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「わかる」「学ぶ」とは!?

読書会をしておりませんが、本日読んだ2冊の本の整理を兼ねて、noteにまとめていきたいと思います。

今回読んだ本は、佐伯胖先生の2冊。佐伯先生の本を読んだ理由は2つあります。
1つは、前回の読書会で小林和雄氏の本を読んだ際に、佐伯先生の本が引用されていたからです。
もう1つは、最近発売した『トヨタの会議は30分』を読んで、トヨタが言葉の定義に厳しいということを知ったからです。「なぜ?」を5回以上問い直すことは有名でしたが、一つひとつの言葉の定義をきちんと整理しておくことが大切だと書かれていました。

確かに、多くの職員が共通理解を図る上でも、言葉の定義を整理しておくことは大切だと思います。学校の職員室もそうで、当たり前のように「学習」や「深い学び」などの言葉を使っていますが、そもそもの定義は何なのか。それを職員が共通理解を図れているのか。を改めて考えていかなければいけません。

佐伯先生は「わかる」「学ぶ」とは一体何なのかを考え、本にまとめられています。授業や学級経営を考える前に、まずは子どもたちの「わかる」や「学び」とは一体何なのかをまとめていきたいと思いました。


「わかる」ということの意味

本著で佐伯氏は「わかる」ということについて、

「わかる」ということは、実は、「わかっていること同士が結びつく」ということにほかならない (『「わかる」ということの意味』 p.153)

と述べている。つまり、そもそも「わかっていたこと」があり、それを改めて「やっぱりそうなんだ!」「結局、同じことだったんだ」と納得することが、「わかる」ということになる。
また、「間違ってわかっていたこと」が正しい知識や経験を得ることで「どうも変だと思った!」と納得することも「わかる」ということになる。

この文面は、前回読書会で読んだ小林和雄氏の誤概念を修正(アップデート)する流れと重なる部分があり、「深い学び」と「わかる」が関係してくるのでは無いかという仮説が生まれる。今はこれ以上は控えておこう。。。

さらに佐伯氏は、以下のように述べている。

「わかる」ということは、たしかに、「わかっていた」ことがわかることでもあると同時に、新しい「わからないこと」へ向けて、それも「わかりうること」だと確信して挑戦する力を与えてくれるものでしょう(同著 p.187)

「わかる」ことが増えると、「わからないこと」も増えるが、「どうせわかるだろう」「00と同じだろう」という予想や仮説を立てて考えることができるということになる。既知が未知へつながると言い換えることができるだろう。

「学ぶ」ということの意味

次に「学ぶ」の意味を佐伯氏がどう述べられているのかを紹介します。

結論から言うと、「学ぶ」は、「自分探し」であると書かれています。
「自分探し」とは「本当の自分」を探すということであるそうだ。「本当の自分」とは以下のような自分の姿を意味している。

ここでいう「本当の自分」とは、今あるこの私そのものではない。この私が成長し、発展し、育っていくべき自分ーむしろ、これから私がなっていく自分ーが何であるかを探し、自分自身を転身させていこうとしているのである。
(『「学び」ということの意味』 p.11)

その「自分探し」の旅の際に大切なのが「まねる」ことや「なりきる」ことが大切だと書かれている。子どもは大人の行動や発言を真似たりなりきったりして学んでいく。赤ちゃんが母親の表情を真似ることも、「学ぶ」につながる。


文化的実践への参加

最後に、どちらの著書にも記されていた「文化的実践」についてまとめて終わりにしたい。

文化的実践とは、自分たちの生活をより良くするための実践(活動)を指し、「よい」と思われる未来を考えたり、技術を開発したりすることが当てはまる。

2つの本から、「わかる」や「学ぶ」はどちらも文化的実践への参加を意味している。また、個人だけでなく集団として、他者と関わりながら参加していく。学級の友だちや先生は一緒に文化的実践へ参加する「他者」であり、協同する「仲間」となる。



まだまだ読んだばかりできちんと整理することができていないが、これからも言葉の定義を意識していきたい。

とりあえず今日はここまで、また続きを書きます!


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