パートナーがわたしの誕生日をたのしみにしていてくれる話

何ヶ月も前から、
パートナーはわたしの誕生日をたのしみにしてくれている。

それがこの間、本当に涙が出るくらいうれしくて、
そのこみ上げてくるものはたぶん、初めて味わう感情だった。

今までお付き合いしたひとにも、
祝ってもらってはきた。

共通点は、本当にこの人にはわたしが見えているのだろうかってものをくれるところだったけど。同性も異性も。

それでもまあ、行きたいところに一緒に行き、
たのしい誕生日も過ごしてきた。

それでも、この感情には、到底到達したことがなかった。

だけどじゃあ、なにが決定的にちがうのかって、
今わたしの隣にいるパートナーは、
わたしの誕生日がくる、わたしにとってうれしい日、祝える日がくることそのものをよろこんでくれているってことなんだろうなとおもう。

わたしの誕生日は、父や母がよろこんでくれるものだった。生まれてきてくれてありがとう、と

家族とのなかに、いろんなことがあったけど、
そのメッセージは、いつもしっかりと受け取っていた。

だけど、それと同時に、

わたしは小さい頃から、
はやく自分で選んだ家族がほしかった。

父や母のことは好きだけど、
自分で選んだ家族ではないことに、
父や母はお互いに思い合って一緒にいるけど、
わたしは、選び選ばれることなく一緒にいるということに、
なんとなく、すこしの違和感があった。

まだことばも多くない頃から、
そしてどんなに愛された実感があっても、
その違和感だけははっきりとあって、
だからこそ、自分の家族をつくる日を、早いころから待ち焦がれていた。

それは、同性が好きだと気づいて、
いずれあらわれる(であろうだった、当時は)パートナーとは婚姻届が出せないと知ってからも、
それでも、自分たちの家族の形でもよかった。

だけど、こんなふうに誕生日をたのしみに待っていてくれる、こんなにも、わたしのよろこびをよろこんでくれるひとは、本当に初めてだった。

結婚したいと思うとき、というのは、
本当にあるんだなとおもった。 

わたしの父や母が、わたしを大事にしてくれたように、
もしかしたら、それ以上に、
今のわたしを見て、大事にしてくれるひとがいる、ということをわたしは考えたことがなかった。

あんなにも自分の家族がほしいとおもっていたのに。

大事にしたいとおもうことはあっても、
大事にされることがあると、たぶんあんまりわかってなかった。

それが初めて、
生まれ育った家族から、自分の家族へ
バトンタッチの瞬間を見たような気にもなった。

そしてそれは、
パートナーがこれまでの人生のなかで、
ちゃんと自分を大事にしてきた証なのかもしれないともおもう。

親から大事にされてきたのかもしれない、
親以外のひとからかもしれないし、
自分で自分を大事にする術をちゃんと知ったのかもしれない

パートナーがわたしを大事にしてくれるとき、
自分で自分を大事にする方法もそっと授けてくれる
こんなふうに、あなたもあなたのことをよろこんであげてとおしえてくれる

それは、一緒にいないときにこそ効力を発揮することにも最近ようやく気づいた。そばにいないときにも、わたしを守ってくれるということに。

これからも、でろんでろんに甘えさせてもらって、すこしずつ、覚えていこうとおもう。地に足をつけて生きていくために。

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