核兵器禁止条約(カクヘイキキンシジョウヤク)と日本(ニホン)


日本(ニホン)は、唯一(ユイイツ)の核爆弾(カクバクダン)被害(ヒガイ)をうけた国(クニ)でありながら、この条約(ジョウヤク)に批准(ヒジュン)しない。

普通(フツウ)にかんがえて、おかしいとおもう。

そういうおかしな人間(ニンゲン)が、圧倒的多数(アットウテキタスウ)で国会議員(コッカイギイン)に当選(トウセン)する国(クニ)。

アメリカの洗脳政策(センノウセイサク)が、唯一(ユイイツ)成功(セイコウ)した日本(ニホン)の結果(ケッカ)が、このありさまである。

核兵器抑止論(カクヘイキヨクシロン)の論破(ロンパ)は、されつくしているので、核兵器(カクヘイキ)をはじめ、兵器(ヘイキ)の撤廃(テッパイ)をふくむ方法論(ホウホウロン)を考察(コウサツ)した。


まず、大前提(ダイゼンテイ)として、戦争(センソウ)は、外交政策(ガコウセイサク)の失敗(シッパイ)の結果(ケッカ)であるという認識(ニンシキ)を確認(カクニン)しておく。

学校(ガッコウ)でならった歴史(レキシ)の授業(ジュギョウ)をおもいだしてみるだけでもいい。

いきおい、戦争行為(センソウコウイ)がインパクトがあるので、ついつい、国(クニ)や都市(トシ)のあらそいや併合(ヘイゴウ)は、すべて武力(ブリョク)で、解決(カイケツ)してきたような錯覚(サッカク)にとらわれている。

しかし、結構(けっこう)権謀術数(ケンボウジュッスウ)で、すませていることもおおいし、いきなり、戦争(センソウ)ではじまるということは、ほとんどない。最初(サイショ)は、外交(ガイコウ)でなんとかしようとして、失敗(シッパイ)して、じゃあ武力(ブリョク)で、というパターンが、ほとんどである。

三国志(サンゴクシ)などは、そういう権謀術数(ケンボウジュッスウ)の宝庫(ホウコ)といえる。

第二次世界大戦(ダイニジセカイタイセン)も、ドイツが、いわゆるポーランド回廊(カイロウ)という地域(チイキ)をとりもどそうと画策(カクサク)していたのを、アメリカ・イギリス・フランスが、阻止(ソシ)しようとしたために、ヒトラーが戦争(センソウ)をはじめた、といういきさつがある。


そこで、日本政府(ニホンセイフ)の外交政策(ガイコウセイサク)をどうすればいいかということが問題(モンダイ)になる。

日本(ニホン)は、周辺諸外国(シュウヘンショガイコク)と比較(ヒカク)すると、ほぼ、外交(ガイコウ)といえることようなことを一回(イッカイ)もできたことがない。

まずは、外交力(ガイコウリョク)をつくるところから、はじめないといけない。これは、10年計画(10ネンケイカク)ですすめる。

1、外国語大学(ガイコクゴダイガク)に補助金(ホジョキン)をだす。

内容(ナイヨウ)は、中国語(チュウゴクゴ)・ロシア語(ゴ)・韓国語(カンコクゴ)専攻(センコウ)の学生(ガクセイ)に無償(ムショウ)の奨学金(ショウガクキン)をだし、この三か国(サンカコク)の人材(ジンザイ)をふやす。

2.1.の卒業生(ソツギョウセイ)で、語学力(ゴガクリョク)十分(ジュウブン)とみとめられるうえで、外交官(がいこうかん)志望(シボウ)の人材(ジンザイ)を各国(カッコク)の外交関連学部(ガイコウカンレンガクブ)に、留学(リュウガク)させる。

3.今後(コンゴ)、外務省(ガイムショウ)採用(サイヨウ)は、全員(ゼンイン)2.の留学終了者(リュウガクシュウリョウシャ)から、選考(センコウ)する。

外務大臣(ガイムダイジン)など、国会議員(コッカイギイン)には、期待(キタイ)できないし、やっぱりエキスパートをそだてるしかない。

4.中国(チュウゴク)・ロシア・韓国(カンコク)の大使館職員(タイシカンショクイン)に、民間(ミンカン)から有能(ユウノウ)な人材(ジンザイ)を多数(タスウ)現地採用(ゲンチサイヨウ)する。

5.外交力(ガイコウリョク)がそなわった時点(ジテン)で、積極的(セッキョクテキ)な三国(サンゴク)との友好政策(ユウコウセイサク)をすすめる。

はやくても、20年(ネン)はかかりそう。


結局(ケッキョク)は、広島(ヒロシマ)や長崎(ナガサキ)だけではなく、全都道府県(ゼントドウフケン)・全市町村(ゼンシチョウソン)で、核兵器禁止(カクヘイキキンシ)デモが、おこるような世論(セロン)をつくれるようにするのが、はやいはずである。

が、75年(ネン)たっても、このありさまである。

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