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昔ブログを書いてました

今から15年以上前、まだ今のように出版業界に知り合いがいなかったころにひっそりとブログを書いていた。ブログを開設しようと思ったのは前職の商品部にいたO先輩の影響を受けたからだ。

https://tarotao.hatenadiary.org/

今読み返すと恥ずかしいくらいに当時の苦悩の様子が見て取れるなぁ。

そのころは東京の店舗で働いていて、都内の直営店の担当者は渋谷のシオノギビルにあった本部に毎月集まって、担当者会に参加していた。
シオノギビルは渋谷駅を降りて宮益坂を少し上り、山下書店渋谷東口店の横を通った先にあった。
まだCCC本社がYGP(恵比寿ガーデンプレイス)にあったころで、直営店を運営している(株)TSUTAYA STORESのオフィスは恵比寿ではなくて渋谷にあった。YGPは年に1回行く機会があるかどうかという場所で、行っても知り合いなど数えるほどしかおらず完全にアウェイだったのに対して、シオノギビルはまだ仲間が働いている感覚があった。知っている人は商品部のO先輩含めて数人しかいなかったが、それでもYGPに比べればこじんまりとしていてアウェイ感は少なかった。
ちなみにシオノギビルも近所の山下書店渋谷東口店も今は無く、そこには渋谷ヒカリエというおしゃれなビルがどーんとそびえている。

私は担当者会に参加するのが毎回楽しみだった。なぜならあの頃店舗内でBOOKの担当者として孤独を感じていたから。他のBOOK担当者はどう思っていたかは分からないが少なくとも私は孤独だった。
理由は一つ、店舗のほかの社員は誰も本の事を知らなかったから。店長を含めてだ。今でこそ本を中心とした売り場づくり(これもここ数年で捉われ方が変わってきていると思うが)としてBOOK単体の直営店が出来たり、元BOOK担当が店長になったりしているが、10数年前は社内でBOOKの事を知っているのは当事者のみだったのではないかと思う。

店舗内ヒエラルキーは、
『レンタル担当者 > TR(セル)担当者 > GR(ゲームリサイクル)担当者 or BOOK担当者』だった。店長はレンタルかTRの経験者がなることが多く、BOOKを知らない店長からはBOOK売場は放任されていた。

少し話が脱線するが、前職では入社後半年でMPS店舗の立上げに参加した。MPSとはマルチパッケージストアの頭文字をとったもので、当時のフルアイテムが揃った複合店舗のことを指した。そこでBOOK担当者として指名を受けてプロジェクトに合流したのだが、BOOKとしての経験は有隣堂本店での7か月間のアルバイトしかなく、しかも文庫しか触っていなかったので総合的な知識など全く持ち合わせていなかった。本に関してほぼ素人である。
インストラクターから返本の仕方を教わり、横で一緒に説明を聞いていたスタッフに改めて説明を施すというような、アクロバティックな毎日だった。
BOOKのことで困ったことがあったら本部のUさんに相談した。逆に言うとUさんくらいしか相談相手がいなかった。Uさんは元他店チェーンの店長を長年されていて、本のことなら何でも知っていた。
他の書店だと店長は当然売り場担当を経験されているから、今自分が困っていたら店長は大概その答えを持っている。店舗を仮に社員2名体制で回していたとしたら、ある種徒弟制度のように誰々店長チルドレン的に業務を教わることが出来るのだろう。TSUTAYAの直営店にはそれはない。なぜなら店長がBOOKを経験したことがないから。そして大概店舗にBOOK担当者は一人。孤独だ。

社歴が浅いうちは社内に知り合いがほとんどおらず、担当者会があることで同じBOOKの担当者と面識を持つことができて幾分孤独感は和らいだ。

担当者会では実績の振り返りや各店の好事例の発表のほか、我々の兄貴的なOさんが出版業界について色々教えてくれた。
「情報は情報を発信している人に集まる」
あるときOさんはそう言って書店員や出版関連に従事している方たちのブログやサイトを我々に紹介してくれた。
実はOさん自身がブロガーで、『本屋のほんね』というタイトルの彼のブログは業界内では知られた存在だった。
その日の発表で、ここは抑えておけと幾つもブログやサイトを紹介してもらった。『空犬通信』『知ったかぶり週報』『政宗九の視点』『炎の営業日誌』などなど。
SNSでの交流が当たり前になった今、かつてパソコンの画面の先にいた業界内の強ええ奴(親しみを込めて孫悟空風に)はTwitterで繋がり、本屋大賞の会場で挨拶し、リアルの場で交流を持つようになった。ちなみに私がTwitterをはじめたとき、最初にフォローしたのはだいたいブログの主だった方々だ。

私はOさんに習ってブログを始めた。自ら発信することで何か得られるものもあるだろうと思ったからだ。ブログでは日々店舗で起きたことや、読んだ本の感想、たまに山に行った時の話などを書いていた。店舗にいても誰も聞いてくれないような話を書き綴ることもあり、書くことで業務の棚卸が出来た。そして息抜きも兼ねていた。
他の方々のブログに励まされたりもしていた。

最初の数年はこまめに更新していたのだが、2010年以降更新が滞りがちになった。原因はTwitterを始めたからだ。これもOさんに勧められて始めた。
Twitterはブログよりも意見交換がしやすいのは大きかった。長年抱えていた孤独感を和らげてくれた。結果、ブログよりもTwitterを優先させていき、ブログの更新が途絶えがちになった。

Twitterを始めたのが2010年の4月で、その年のゴールデンウィークに事件は起きた。宮下奈都さんの『スコーレNo.4』を仕掛けるための秘密結社の結成だ。前述の『政宗九の視点』の政宗さんが中心となって一冊の文庫を全国で同時に仕掛け販売を行った。夜中の2時くらいまで全国の書店員が意見を出し合い意気投合し、ひとつの大きなムーブメントが起きたのだ。
Twitterという媒体を得て、たくさんの書店員がTwitterに集まった。放課後に教室に残ってだべっているような感覚で、毎晩のようにTwitter上でほかの書店員と交流を深めた。もう孤独ではなかった。

Twitterの急速な浸透により私の中のブログ熱は収まってしまっていたが、その代わりに社外に相談できる書店員の友人が出来た。そのうちリアルでも会うようになり、社内よりも社外の知り合いの方がどんどん増えていった。
昔だったら他のチェーン店の方たちと遊びに行くなど考えられなかったが、飲み会を開くようになり、一緒に自転車で出かけるような仲間が出来た。

今ある環境はブログを書いていたその延長線上にあると思っている。
あの孤独な毎日は通過儀礼だったのかもしれない。




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