精神障害者という立ち位置になって

はじめまして、たろんと申します。
今回noteを書くに至った経緯としては、同じ病気を抱えている友人にすすめられたのがきっかけです。現在躁が強く、その勢いで書き殴りました。

軽い自己紹介、簡単な生い立ち、現在の状況、思いなどが主な内容です。読んで頂ければ嬉しいです。



双極性感情障害I型と診断されています。急速交代型(ラピッドサイクラー)且つ混合状態という状態です。他にも社会不安障害の症状が確認されています。併発している身体疾患は睡眠時無呼吸症候群(SAS)です。

発達障害については不明です。検査していません。

主な症状として困っているのは、躁と鬱の切り替わりが激しく1日の中で何度も躁転と鬱転を繰り返してしまうことです。これはおそらく、混合状態であることが要因に挙げられると思います。混合状態の中、1日の間に比重が傾いた方向に応じて躁が強くなるか鬱が強くなるか変動しているのかと解釈しています。

現在24歳で大学に通っており。一人暮らしをしています。4年間通った後に1年間休学を挟み、今年度に復学しました。一留一休という扱いになります?どうしてこうなった。

自立支援医療制度を活用しており、9月に障害基礎年金の申請をしました。12月に入って精神障害者保健福祉手帳の申請も終えた状況です。

卒論提出が目の前に迫っていますが、Wordを開くと謎のストレスに襲われ何も出来ない状態が続いていました。先日、ようやく半年ぶりに1000字程度ですが進めることが出来て安堵している状況です。

小さい頃から「普通」が分からないことに怯え、必死に周りに合わせようとする小学生でした。テストの答案ですら不安でした。変なこと書いてないかなって。授業中に手を挙げて発表するなんてもってのほかでした。答えなんて簡単で分かりきっているのに。人前で声を発することができなくて、発表した人から着席出来るなんて機会があるときは最後の一人になるまで立ってました。結局何も声に出せずに泣いて馬鹿にされてました。今思えばバリバリ不安障害ですね。

中学に入ってからは完全に根暗デブだったんですが、それが嫌で変えたくて明るいキャラを演じたら友人がたくさんできました。「普通」の幻想を追い求めて行動したら明るいデブになりました。部活のおかげちょっと痩せました。今思えばこの頃から躁の気配あったのかもしれません。引退したら普通にリバウンドしたんですけどね。

長くなりそうなので過去を振り返るのはこの辺にします。続きや詳細については気が向いた時に書こうかと思います。こんな感じの幼少期・思春期を過ごしながら「普通」になる為に試行錯誤を繰り返していました。

少し傲慢なことを言えば、ぼくは「普通」な人生を歩めるのだと思っていました。普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚して、家庭を築き、子育てをし、孫の顔を親に見せ、普通に老後を過ごし、老衰で死ぬ。そうなると思って生きてきたしそうなれると思って生きていました。夢見てました。スーパーすら近くにないド田舎で生まれ育ったので尚更そういう思いが強かったんだと思います。

ところがどっこい、現状を見てみるとお前何してんの?ってなってしまうんです。大学に進学するところまでは良かったんでしょうが、この6年の間に大きくズレてしまったみたいです。余談ですが受験には当たり前のように失敗しました。長く引きずったコンプレックスも今はもっと大きなことに搔き消されるように消えました。

大学に進学した同年代の人たちの多くは現在社会人2年目でバリバリ働いており、中には既に結婚した友人もいます。そこで僕はというと変わらず大学生のまま。未だに自立できずに親の稼いだ金で生活しています。勿論学費も払ってもらっています。更には卒業できるか分からない崖っぷち、内定もない穀潰しです。

3年生を終えた時点で卒論以外の単位を取得していたので、復学後は前期卒業する予定でした。本来はその時点で退学する予定でしたが両親の愛や金銭的援助のおかげで今も在学出来ています。今期が正真正銘のラストチャンスになります。卒論提出に成功して無事卒業するか出せずに退学するか、人生の大きな岐路に立っているみたいです。「大卒」という資格の為に2年間足掻いてきましたが結末がどうなるかあと少しで結果が出ます。これもその内報告する予定です。

卒業出来るにせよ出来ないにせよ、長らく共にしてきた学生という身分は今年度いっぱいで終わりを迎えます。今後は体調を整え様子を見つつオープン枠を利用して就労する予定です。寛解するまで療養というのが正しい在り方なのかもしれません。ただ、これ以上未来のない生活を繰り返すことが苦しいので少し無理をしてでも社会に出たい気持ちが強いです。

ぼくは「人間」になりたいのだと思います。ぼくが今過ごしている環境ではこの年齢で社会的に自立出来ていない者に人権がないのです。認めてもらえません。ぼく自身もぼくが許せません。自立したいです。



ひとまず、自己紹介を兼ねて現状の自分を整理してみました。精神科を受診したきっかけや双極性障害と診断された話もする予定だったんですが、長くなってしまいそうなので次回以降に書こうと思います。


元々は鬱病という診断を下された後に躁転して双極性感情障害と診断された形になるので、この病気とまともに向き合って生活するのはほんの1年と数ヶ月ですが、既に随分と苦しめられました。

信用やお金、友人を失うと言ったような典型的な躁の症状の多くは一通り経験しました。このままでは生きられないと悟り手帳を取ることも決めました。

両親には反対されましたが、何も言わずに全て勝手に行いました。鬱病になった辺りから両親とはたくさん揉めましたが、今では完全に和解し仲の良い関係に戻ることも出来ました。

病気について勉強し、理解してくれるようにもなりました。「貴方の人生なのだから貴方の好きなように生きてほしい」という言葉を頂いた後に今の生活があります。


今、ぼくは確かな不自由を多く抱え、「普通」には程遠いことにもなりました。どうしても嫉妬という感情は勿論あります。そちら側だった世界線の自分を想像して苦しくなることは珍しくありません。


しかし、これもまた人の生き方の一つなんだなと自分の中に落とし込めるようにもなってきました。また、手帳の取得準備に伴って自分が精神障害者なのだと改めて理解し自らの納得を得ることが出来ました。「障害者なんだからしょうがない」という思考を知ったことで心が随分穏やかになったのだと感じます。ある意味免罪符みたいなもので、自分にあったペースで生きていこうと決意することができました。いやぁハッピー。


とまぁ、こんな感じの話になります。簡潔にまとめると、双極性障害になったぼくとその生い立ちに始まり、どうやって前を向いて生きられるようになったかというお話でした。

勿論これからも鬱転躁転はたくさん繰り返していくのだと思います。割り切った上で上手にこの障害と付き合っていけたらと思っています。

1000字程度にする予定が少し長くなってしまいました。書きたいことは沢山あるみたいです。

次回は発病までの過程、様子、当時処方された薬を紹介するような記事を書きたいと思っています。よければ読んでいただけると嬉しいです。

文章を書くことに慣れていないので改善点があればコメント等頂けると幸いです。

長々と呼んで頂きありがとうございました。



因みに、現在は炭酸リチウム400mg・ビプレッソ放除剤50mg・マイスリー10mg・フルニトラゼパム1mg・ワイパックス1.5mgで生活しています。



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