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考えすぎマン

私は考えすぎマンである。
社会問題、自分の悩み、こわいこと、何でも考えすぎてある日突然閃いて解決する。考えても考えてもわからなかったらその類の専門書とウィキペディアを読み漁りなんとか解決っぽくする。でも解決っぽいものは根本的な解決にはならなくて大体は数ヶ月後に形を変えてぶりかえすのである。


そのくせ、人に相談などすることはない。
人に相談をすると一番事象をわかっている自分とは違う思考が入ってきてしまい、逆に処理できなくなってしまう。
あと人にせっかくお話してもらったのに「いやそうじゃなくて〜」をしたくないというのもある。その「いやそうじゃなくて〜」は、自らの表現力のなさと、説明の不足から来ているものである。なんとか簡潔に伝えようとすると大事な箇所を抜かしてしまうのだ。詳細に伝えようとすると長くなってしまうし……

このような気質を持っているため、できる限りひとりでいたいのである。うーんと考えて、はっ……疲れた……と寝込む。これは一人でしかできない。そういうことに時間を費やさないと駄目なタイプの人間なのである。

だがしかし人に聴いてほしいと思うことはあるので厄介である。そういう時にnoteで文字にしたりして置いておくと、好きなときに見てくれる人がちらほら出てきて大変嬉しい。これが私の思考回路だドン!をして、何も言わずにネットの誰かしらが「ふーん、そうなんだ」としてくれる環境は大変ありがたい。


つまり否定やら肯定やらなんなんだというものである。人間というものはグラデーションのはずだ。良いも悪いも基本的には無いと思っている。白か黒かなんてすごく難しい。
最近流行りの思考である、人を切り捨てるとか扱うとか人間断捨離とか、それは人の情緒に入り込みすぎているなァと思っている。人の思考を勝手に自分に向けられた刃だと勘違いして、勝手に攻撃をしたり、その人を否定したりするのだから良くないなと私は感じる。


例えて言うなら「私は溺れたことがあって水が怖くて」と言った人を「私も溺れたことあるけど頑張って克服したよ?何甘えたことを」みたいな流れに持ち込んでしまうと、不要に傷がつく。水が怖い人はあなたに何の傷も害も及ぼさないのに。
「ふーん、そうなんだ」「海はサメもいるしな」「オニダルマオコゼも怖いよな」「でもオニダルマオコゼって美味いらしいよな」「ところでガンガゼって食えるん?」みたいな話で世の中回ればいいのに……


と、ほら、また考えすぎている。
基本的には「誰も読んでいない」をコンセプトに書いているのだが、もし読んでくれている人がいるとするならば、これも「ふーん、そうなんだ」と思っていてほしい。

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