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この場所でお店を開くまで。

そもそもはカレーパン工場?

広島市安芸区阿戸町の山の中、この場所に出会ったのは、2011年の冬の事でした。
googlemapで見かけた変な場所にあるお店へふらりと立ち寄ったのがきっかけです。
きっとそういう方は多いお店だと思います。
そのころは「ベーカリーカフェ山のパン屋さん」というお店をしていらっしゃいました。
オーナーさんのお父様(おじいちゃん)の山や田んぼに、近所のカレー屋さん向けのカレーパンを作る工場として2010年頃はじめられたようです。

↑このように、私が初めてお邪魔した時は、一通りテレビや雑誌などに新店舗情報などで露出してしばらく経ってからのようでした。

2011年私は関西から広島へ戻り、どんな事業をしていこうか、模索の日々を過ごしながら、実家から近いということもあり、年に数回程度立ち寄らせていただいていました。ある時は別の方がお店をしていらっしゃったりもしながら、不思議に思いつつ、冬場になる度にお店を閉めたいとの相談を受けていたのが全ての始まりです。

その頃私は広島市内に事務所を置き、呉市でローカルメイドのお仕事として特産品の開発をさせていただいている最中で、「れもんげ」というお菓子のヒットにより忙しくさせていただいていました。一方で冬になるたびに連絡をいただいて山のパン屋さんをなんとか残す方法を提案させていただいていました。

お店の購入からローカルメイド阿戸支店のスタート

しかしながら、2015年の年末、ついにオーナーさんは中国で他の仕事が見つかったことを理由に、説得も虚しく閉店を決意。お店を買い取ってもらいたいと相談を受けることになりました。
そんな広大な場所を購入するような手持ちの無い私は政策金融公庫へその話を相談しに行くことに...
もし審査が通ったら、とオーナーさんへはお茶を濁したつもりが、あっという間に審査に通ってしまい、これも人助けだと山のお店を敷地ごと買い取る事になりました。

ところが、山や駐車場、お店の土地など敷地のあちこちがいろいろな権利関係の問題が複雑になってしまっていて、不動産屋さんや司法書士さんも交えた難しい手続となりました。もちろんそんな事は初めてで、よくわからないまま、不動産屋さんに教えてもらいながらの手続きです。

ようやく手続きを終え、ローカルメイドが山の中で始動

司法書士さんから登記簿が届き、ようやくローカルメイドが活動を始めることができるようになったのが、2016年6月のこと。
ちょうど梅雨時で雨の日に水道から茶色い水が出るので水道屋さんに点検してもらうと、井戸の深さが3メートルほどしかないから泥水を汲み上げているだけだと、衝撃の事実が。
急遽安全な水が出るまで井戸掘りをお願いし、硬い岩盤のため何度もやり直し、結果3箇所をボウリングしました。掘り直しも足すと140メーターに。水は美味しく、菌検査は合格したものの、菓子製造業の許可を私の名前で取り直すため、保健所に伝えると、法律では井戸水での飲食店営業は困難なため消毒装置が必要と言われてしまい、急遽殺菌設備を導入することに。
やっと水が使えるとウキウキしながら井戸水を試しに飲んでみると、カルキ臭くて全く使えないモノでした。すぐに装置を取り外し、ガッカリしている時間もなく、色々方法を模索している中、前面道路に水道が通っている事がわかり、急遽上水道を引き込む事になったのですが、何の準備も整わないまま、どんどんお金がでていってしまいました。

結果本来ならカフェスペースの改装とか本格的な厨房機材、食器などの更新を計画していたのですが、殆どを諦める事に。

いままでどうしていたのやら、そんなスタートのため、仕方なく友人らの助けを借りながらDIYで半年間営業できないままとなってしまいました。(おかげでユンボに乗れるようにはなりました!)

もしかすると、田舎では井戸水で営業する方法もあるのかもしれませんが、広島市の担当保健所さんの指摘で仕方ない判断です。
こうして水問題がようやく片付いたのでした。
今も私の飲み水や天然酵母、アヒル、植物は井戸水を使っています。
お客様の飲みものはミネラルウォーターを買って使用しています。

この場所は水が美味しいとか、こだわりの場所だとか、それが理由でこの場所にした訳ではなく、仕方なく井戸を掘ってみて初めて知った訳です。意外でしょ?

なんでそんな所を購入したのか

ところで、では、なぜこんなところを購入したかというお話になるのですが、1番は先にお話ししたご縁、そして2番目は空(ソラ)が欲しかったのが理由です。

もともと私はコンサルと呼ばれる事が多く、現地へ赴く仕事の為、広島市街地の比治山というところのオシャレビルに広いオフィスを構えて悦に浸っていました。しかしながら、ビルの4階ワンフロアとはいえ、そこには窓から見える比治山の緑と京橋川の照り返しばかりで、自分の空(ソラ)はありませんでした。
その頃ちょうど県内外各地の特産品開発のお仕事で自然豊かな地域で農産物を相手に日々を過ごしていた事や、もともと植物や動物、昆虫などが大好きなこともあり、事務所内で海外から取り寄せた種子を発芽させては農家さんに託したりなどしていました。しかし、どうしてもビルのベランダではアブラムシがたくさんついたりハダニなど、健康的ではない苗ばかりになってしまっていました。
毎日朝昼晩と日当たりや土の湿り気を気にしながらこれ以上ないほど大切に育てるのですが、どうしてもうまくいかず、ネットで調べればホームセンターの栄養素や薬を紹介する記事ばかりで、無知な私はたくさん試して、化学肥料や防虫剤、ケミカルな負のスパイラルへどんどんとハマっていってしまいました。
当然そんな苗をいくら育ててもうまくいく訳はありません。

今でこそ当たり前なのですが、そこには空も風も小鳥も虫たちも雨も何もなかったのが原因だったのだと思います。

2017年1月シーズンオフに突入です

井戸を掘ったり埋めたり、壁を取ったり、立てたり。あっという間に季節も変わり、真冬になりました。
危険な場所の修理からと、ウッドデッキを点検すると、もう既に使える状態ではなく、急遽友人や近くの里山あーと村ボランティアさん達と解体する事に。

友達の友達まで参加してくれました。
全ての板や柱の釘を抜いて、使える場所を切り出す作業です。
2017年2月一時はゴミの山になってしまいました。

海のものが山に登るの、面白いよな。

建物を建てることのできない私は、休憩中のそんな一言から
海上コンテナをこの場所へ並べる事にしました。
私が初めて入った会社は神戸元町のコンテナで荷物を輸出入する会社。神戸から役目を終えたその海上コンテナを内航船(瀬戸内の各港を結ぶ小さな貨物船)で瀬戸内を通り、持ってくることに。
そのための基礎づくりが急遽始まりました。

この頃まだユンボなど考えもなく掘って固めてを繰り返します。
初めての水糸や型枠。呉の建築家の方がアドバイスしてくれて鉄筋を入れる事を知りました。
2月24日夜の9時、基礎が氷はじめて慌ててます。
一夜明け、いよいよコンテナが到着しました。
プロの仕事に惚れ惚れしながら基礎の位置を間違えたことに気付き、覗き込みます。
このままではコンテナの中には入れないので、
その日のうちにプラズマカッターで壁に穴を空けています。
レシプロソーなどという格好いい名前の道具を借りて得意げです。
一方外は雪の溶けない季節です。

2017年春

コンテナを切って運んでを繰り返しながら季節は春になりました。
3月18日 2017年のオープン日です。
営業しながらも、お休みの日には危なかった庭にフェンスを取り付けます。材料はもちろん解体した柱や床。

お客様が庭から落ちたら大変です。
土台は黒瀬の鐵工所さんにバッチリ作ってもらいました。


ウッドデッキを引退した木材で真っ黒フェンスになりました。

慣れない小さな厨房機材や井戸の問題で、結果11月にやっとオープンしたものの、クリスマスには一旦閉店し、冬に工事を続け2017年春に再オープンということになってしまいました。

マイナスからゼロへのリフォーム

泥水の水道、ゴミだらけの土地、ボロボロの建物。想定していた以上のところからスタートしたパネテリエは、マイナスからゼロの状態へ辿り着くために何年もかかってしまいました。もはやゼロがどこなのかも見失っています。
ひとくちに遅いとか、お金がないというわけでもなく、スムーズではない軌跡を辿りながら、考えてやってみて、失敗して、やり直す。色々な人が面白がってやってきてくれたと思っていたら、いつしか顔を見なくなってしまう。反対にそっと寄り添うようにいつも立ち寄ってくれる人もいて、山の中で色々な事を考えてしまいます。

これまであまり語ってこなかった、これがリアルなパネテリエの始まる直前の様子です。これから山を買うとか田舎暮らしをと考える方へ、大変でしたとお伝えするのではなく、なんとかなるものだとお伝えできますように。

そして、これまで関わってきた方々の中には残念ながら敵や味方のような存在ができてしまい、ご縁や良心だけではどうにもならないものだなと、半ば諦めに似た感覚で受け入れています。

一方、いつでも「仲間」は大歓迎です。winwinの関係などという怪しいお話に限って、これまで長続きしたことがありません。それはとても寂しいもので、一緒に頑張ろう!と誓ったところで、しばらくすると二度と会えないような感覚になってしまい、もう訪れることもなくとても残念です。むしろこの場所を貸して欲しいとか、やらせてほしいとか、やってあげたいとか、手伝って欲しいとか、助けてあげたいとか。そっちの方が振り切れててスッキリしているように思います。何かと体力勝負ではありますが、そんな日々を一緒に楽しめる方はいつでも遊びにお越しください。

この場所との出会い(2011年11月頃)から、お店を開くまで(2017年3月頃)までのお話でした。 おしまい。


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