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SDGsアレルギー

私のやっているお店では予約制などのおかげもあり食品ロスはゼロ。フルーツの皮やコーヒー豆は飼ってるミミズの食事、庭のテーマは環る庭(メグルニワ)、木を植え、個包装を嫌い、ストローは無しと、まるで「SDGsに取り組むお店」をしているようですが、それを知ってSDGsだねなどとは決して言わないでくださいね。そして、もっと詳しくどなたかSDGsについて教えてほしいです。

SDGsとは乗りものではなくて、目標であり、課題です。社会活動とかエコとかをブームに持っていくための一時的なツールだと私は考えています。それを批判するというよりはその言葉、マークを目にする度にゾクゾクと不快感を覚えるアレルギーのような感覚でいます。

私のいる地方都市広島では自分のやっている事を、まるで昔の年賀状の当たりくじを探すかのように、おっ!これSDGsじゃね?と言わんばかりに宣伝などに利用している人々が多すぎるように思います。忘れてもらいたくないのはあくまで目標であること。答え合わせをするのではなく、立ち止まって考えて行動を変えることを持続的に繰り返すこと。だと考えています。

太陽光発電したからSDGsじゃん。
リサイクル素材使ってるからSDGsでしょ。

そんな言葉に使うなら、そんなことのためにゴミを増やすなら、今まで通りの生活で無駄遣いを無くして、そのチラシを作らない方がよっぽどマシにも思います。

山を切り開いて作られた田んぼが荒れて、そこを埋めて建てられた空き家に店を開いて、木を切り、火を焚き、エコでもなんでもないお店を私はしています。時に、私さえいなければこの場所は山に戻ることができるのに。と考えることも多く、どこに折り合いをつけるべきか。悩み、探っている最中です。

昔サーフィンにハマっていた1990年頃、サーフィンライフという雑誌で死んだウミガメの胃から出てくるレジ袋と同じように風船が出てきている写真を目にしたことがあります。私はそのレジ袋以上にその風船に驚いたことを良く覚えています。子供たちや結婚式などハッピーな局面で飛ばされる風船、しなくても良い事だったり、授業の一つだったり。それは今もきっと続いていて、海を漂い、たくさんの動物を苦しめているのだと思います。

数日前にも山口から四国の小学校へ奇跡の風船。のような記事を見かけてゾッとしました。瀬戸内を渡った、そんなロマンティックの影に誰からも返信のこなかった子供たちは大勢いて、その中の何人かは自分の風船はどこに行ったのか想像し、その中の一人はクジラのパジャマで天井を見上げているのだと思います。私がそうでした。

どの局面においても人がいる限り、自然は豊かにはならないし、結局は人間のために都合の良い環境をさらに開発しようという世の流れは私には変えられないことを受け入れなければならないかも知れません。

昔、虫獲り好きの恩師に教えてもらった事。

子供たちが虫獲りをするのを、かわいそうだからとやめさせないでほしい。宝物のように家に持って帰ったり、残酷にも羽を千切ったり、そういう子供はそこにその虫が暮らしている事をしっかり理解している。大人になったらその何万倍もの虫を見ることもなく殺す事ができてしまう。せめてその前に、そこに居た事を伝えてやってほしい。いつの日か気持ち悪いと殺虫剤を振り回し、道を作り、家を建てる。その前に。

今年オニヤンマのヤゴを池へ離しました。
あの頃の僕のヒーロー。
ボロボロの昆虫図鑑を何度も妹たちに読み聞かせていたあの頃の気持ちを思い出させてくれます。
命を持つもの、持たないけどそこにあるもの。その全てが対等であって平等であって。それを受け入れること。弱肉強食とかではなくて、自分の中にある恐怖と戦うこと。地球で唯一考えて行動ができる人間、最強の生き物であることへの覚悟と配慮。目の前にあるものを観察すること。

少し飛躍してしまいました。
この歪んだ性格のせいなのだと思います。
私には社会を大きく変える事はできませんが、この足元は変わりました。
でもまだまだです。
合理的な視点で、ただ日々の生活を見直しているだけです。実際にはトライよりエラーの方がずいぶん多いです。
これってSDGsですか?
それってSDGsに乗っかってません?

私はSDGsアレルギーです。 おしまい。


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