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みんな、負けるんだから

 相互フォローしている「ラヴィ🐰物書きウサギ」さんが書いている『甘くない子どものつぶやき』が好きなので、真似をさせていただきます。


 タイトル「みんな、負けるんだから」は【長女(当時7才)】の台詞です。
 離婚した際に「定期的に娘たちとの宿泊できること」を条件として認めてもらいました。
 ある日迎えに行った際に
「今日トランプもってきたから、後でパパと戦うんだ」
と言われ
「パパは勝負したくないなぁ、負けるのイヤだから」
と応えた後に言われたのが、

「みんな、負けるんだから」

との言葉です。娘が意図していたかどうかはともかく、ナカナカ本質的で、かつ、味わい深い台詞だなぁ。と感心してしまいました(バカ親)。
「絶対に勝つ方法」は存在しませんが「絶対に負けない方法」は存在すると考えています、「勝負しないこと」です。

 ところが生きている限り、様々な場面で「勝負」は存在し、おそらくそのような状況になれば、概ね「勝ちたい」と考えることになると思います。
 だけど、勝者が生まれれば必ず敗者は生まれ、しかもほとんどの場合は、特に大きな大会とかになれば圧倒的に「敗者」の数が多くなります。
 またどんなに強い方でも戦い続ければ敗れる時は来る。そんな当たり前のことを改めて感じさせられました。

 私たちは、大人になるにしたがい当たり前のはずの「負け」を恐れすぎて、必要な「勝負」まで避け問題を先送りにし、得られるはずの成果まで失くしているのではないか?
 そんなことも考え「みんな負ける」という、原点の大切さを感じてしまいました。
 ある意味では「みんな死ぬ」ということにも繋がり、黒澤 明監督の映画「生きる」や、哲学・宗教的に言えば「みんな、必ず死ぬ。だから、一日一日を大切に」ということにもなるかもです。

 ということで、娘に感心するとともに(親バカ)、勝負から逃げようとしたことを反省した私は、トランプ(スピード、ババ抜き、戦争)をしました。「本気」でやったのに、負けました。

 話の前段と矛盾しますが「絶対に勝つ方法」は存在しました。「審判を抱き込む(判定を覆させる、ルールを変える)」という方法でした。
 私たち親子の勝負の審判及びルール改正は長女が行いましたので、私は撃沈しました。
 娘に教えられた「甘くない出来事」でした。
(本文ここまで)

 えー、元ネタは20年以上前の話になります。当時、ウェブ用に書き残していた原稿データが見つかりましたので、微修正して投稿いたしました。
 そして、この時のことがさらに熟成されて「ウイナーメーカー」という価値観になったと思うと、私としてはちょっと面白いです。

 負けを必要以上に恐れない、挑戦しないことを畏れる。
 だから、今日も書き続けます。そして
#何を書いても最後は宣伝
 負けを恐れず「技術」に挑戦し続けた方の物語が「黒田製作所物語ー技術に終わりはないー」です。


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