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10年前の福島で

 「元宮ワイナリー黎明奇譚」(著 福島太郎)では、地元の農家さんが東日本大震災時のことについて語る場面があります。抜粋して引用します。
『野菜が売れないから、従業員に給料を払うことができない。その時が一番辛かった。正直、廃業して楽になろうと思った。全て投げ出そうと考えたよ。そしたら楽になる。けどね、従業員がさ、パートのおばちゃん達がさ
『社長、今は給料が出なくて構いませんから、野菜を作りましょう』
と、俺やカァちゃんに言うのさ。それも一人じゃなくて全員がね。
そんな時、取引先の一つで、ライブというスーパーの担当者だけが、
『消費者の反応はわかりませんが、うちは棚から降ろしません。取引を継続してください』
風評に負けない人がいる。ライブからの話を聞いて、何とか、ほんと何とか、皮一枚、踏みとどまることができた。』

 今般、知人の紹介により「内心被爆」(著 馬場マコト)を拝読したところ、その第二章に同じような場面が描かれていました。南相馬市にあるクリーニング店において、地元の方のために、復興のために店を開こうとした社長。しかし、自主避難の指示のもと、従業員も全国に散り、連絡もとれない状況でした。以下、引用します。
『階下でシャッターを叩く音がした。急いで階段を下りた。
 そこに古くからいる社員が立っていた。彼女は家族と一緒に原町から会津若松に避難していた。美加子の顔を見るなり言った。
「働かせてください。お金はいらねがら働きたいんです」

 おそらくですが、同じような場面が、10年前の福島県内・各地で繰り広げられていたのではないでしょうか。恐怖と不安の中においても「誰かのために、未来のために」仕事をしようとした方々がいて、そのような方々に地域が支えられたのだと考えています。

 人は生活の糧を得るために働かなければならない一方、生活のためだけではなく、生きる喜びを感じるために、誰かの光となるために働こうとするのかも知れません。
 未曾有の災害で、生死の極限とも言える状況でも、誰かのために働こうとする方がいた。働く場を提供しようとする方、それを支える方々が、福島に数多く存在していたことを、今も誇りに感じています。

 小さなことしかできないけれど、語り、残していこうと思います。
 これは、これからの福島を生きる私が、未来に向けて行わなければならない仕事なのだろうと考えています。


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