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【駄文】余熱

 毎日、同じような話で恐縮ですが、本日も「夢見る木幡山」関連の話です。タイトルのとおり、一つの作品を書き上げると、余熱が残る感じがします。なお、毎日、校正もしていましたが、今日からは少し熟成期間に入ります。交流させていただいている南田さんの記事を参考にさせていただきます。

 さて、「夢見る木幡山」という作品では、「神社・神道」ということに、向き合うことになりましたが、約1年前の昨年9月に、市内にあるコワーキングスペース co-ba koriyamaで開催された会合で「日本の神様カード」を知り、日本の神様について少し興味を抱き、神さまを訪問していていたことが、力になりました。ということで、久しぶりに、緑川さんに御登場いただきたいと存じます。

人生に無駄なこと

 何度かネタにしていますが、私自身はスピチャルなものに余り関心が無く、否定派ということもなく、特定の宗派には属していませんが、人智を超える存在ということについて、畏敬の念を抱いております。神社仏閣も時々参拝させていただいています。無宗教ではなく無節操と言えます。

 そういう意味では、今回、隠津島神社さんを通じて、神社だけではなく、自然信仰のような話まで展開できたことを少し、嬉しく感じています。
 また、「黒田製作所物語」の主人公の描写で

朝日を見ながら、生があることへの感謝を天に祈る日々を続けていた。特定の宗教に拠ることがないことから、無神論者に見られることもあるが、目に見えぬ何かに生かされている

という場面があるのですが、これは、自分の宗教観をそのまま露出しています。

 ただ、今年の7月上旬まで「神社・神道」をベースにした創作をするとは、考えてもいませんでした。それが急転直下こうなるのですから、人生って少しだけ面白いと感じてしまいます。
 はい、私の作品が面白いかどうかは兎も角、人生をちょっと楽しんでいます。昨年からの創作で言えば
「恋する旅人」→「紫蘇のポット苗を枯らすとは、どういうこと」
「黒田製作所」→「日本一キレイなステンレス専用工場とは、どういうこと」
「夢みる木幡山」→「山の上に、海の三女神とは、どういうこと」
という、一つの疑問から「ナゼ、ナゼ、ナゼ」を重ねて、自分なりの推論・考察(空想・妄想)を加えて、創作に結びつけています。また、ショートショート 「神様になったお役人」→「お役人を神さまとしてお祀りするとは、どういうこと」
ということがありましたので、これまでの執筆経験が、「夢見る木幡山」に繋がった部分もあると考えています。

 また、note街にいるクリエイターの方々との交流から見えてきた着眼点や、いただいたエールを力にしている部分もあります。毎回のことになりますが、note街があるから、福島太郎は存在しています。

 そして、「co-ba koriyama」であり、その運営会社の代表です。ここが主催した「ちいクラ」で、隠津島神社さんとのご縁をいただき、途中で相談させていただきながら、執筆を進めました。
 執筆活動を通じて、賞を受賞したいとか、名前を売りたいとかの野望は無いのですが、いつか「co-ba koriyamaとnoteのおかげで、ここまで成長しました」ということを、独り言ではなく、公の場で語ることを、夢見たいと考えています。
 福島太郎は、「夢見るオッサン」なのですが、これからも仲良くしてください。振り返ってみれば、他の作品も「夢を追う登場人物」が多い気もしますね。人の夢は儚いと言われますが、それでも夢を諦めず、未来に進みます。



サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。