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ミラクルミッション 改(フル)

 公民館物語 完投記念(その2)として「ミラクルミッション」についても、全文を再構成したものを上げておきます。少し校正が甘いところがありますが、楽しんでいただけたら嬉しいです。「お仕事三部作」の中では最初に書き上げた原稿になります。(2万文字を越えていてすいません)
 ちなみに、「フロンティアミッション」と同時並行で進んでいたお仕事の話という「想定」になりますので、双子のような話です。

1 ライトスタッフ
 2011(平成23)年3月の東日本大震災から3年を経過した4月のある日。
 東北の中核都市である某市役所の5階では、秋に行われるマラソン大会のために、S商事に対するスポンサー交渉の結果について、文化部次長が部長に報告を行っていた。
「スポンサーの話は検討していただけることになりました。ただ、
『市役所の担当職員に市の現状を聞き、今後、S商事が企画する復興支援事業について相談したいことがある』
という話をされ、当市役所を訪問したいとでした。いかがしますか」 
部長は、少し面倒くさそうに答えた。
「(俺に聞くまでもなく)受けるしかないだろう。誰かに段取りさせろ」
「窓口は、このままスポーツ課にしますか」
「スポーツ課じゃ駄目だろう……。担当レベルでという話なら、とりあえず、シティプロモーション課の福島係長でどうだ。現状を幅広く聞きたいというなら、本市全体に詳しい福島君が適任だろう、呼べ」
という、深い考えのない采配から、このミッションはスタートした。

 部次長は、あらためて福島に概要を説明し、
「まっ、頼むわ。課長には俺から伝えておくし、S商事にも、福島君を窓口にする旨を電話しておく。市長指示でのスポンサー交渉、広告料500万がかかるから、何としても頼むよ。福島君はS商事が好きだし、適任だな」
と結んだ。
「わかりました」
(いやいや、話はわかりましたし、確かにS商事は大好きですよ。
それにしても、天下のS商事。担当レベルとは言え、こんな田舎の役所に来るような方々じゃないと思いませんか。田舎の市役所なんて、普通は玄関払いですよ。
その窓口を、木っ端係長にやらせて大丈夫ですか。何か事業を検討するとなれば、500万どころの話じゃないかもです。
 うちの課長は、民間事業者との接触を嫌がるから、打ち合わせに入れないほうのが無難です。課長抜きで進めさせてください。
 また、どんな話になるかわかりませんけれど、最初から関係課を巻き込まないと、後になって「うちは聞いてない」「シティプロモーション課でやればいい」という話になります、手順を正しくいかないと。
 私も暇ではないのですが、面白そうなので、やらせていただきます)
 ということを刹那のうちに考えたが、返事としては、こう続けた。
万全の受け入れ体制で対応させていただきます。関係課にも声を掛けて、現場に近い係長、担当者レベルで話をする形で良いでしょうか」
部長はこともなく
「そんな感じで良いだろう、細かいところはまかせる
 福島の不安とは裏腹に、部長はS商事について、あまり興味は抱いてないように見えた。今年度で定年退職を予定しているせいだろうか。それとも、初動が市長指示で始まったせいだろうか。

 いや、そんなことは無い。一緒に仕事をしてまだ3週間にしかならないが、私のことを「正しい資質を持つ者(ライトスタッフ)」として、信頼してくれるに違いない。
 決して失敗しても良いなどと軽く(ライトに)考えているはずがない。
福島はそんなことを思いながら、部長室を辞した。

 なお、市役所の文化部は、文化課、スポーツ課、シティプロモーション課の3課から構成されている。市長が組織を弄り回した結果、持て余された組織の寄せ集めである。とりわけ、シティプロモーション課は名前のとおり、役所内でも
「何をしているかわからない課」
と称されることが多い組織である。
 そんなこともあり、福島は時折、古いアニメのエンディング曲を心の中で歌いながら仕事をしている。
「俺は宇宙の何でも屋 ○ケオゼネラルカンパニー 俺は木っ端の係長(中略) 辛ぇなぁ、辛ぇよなぁ、木っ端は辛ぇよなぁ」

2 ラフストーリーは突然に
 文化部次長が電話で確認したところ、S商事からは
「市役所訪問と打ち合わせは、早急に、それこそ明日、明後日にも行いたい
また、午前中は市職員との打ち合わせを行い、昼は地元の食材を利用したところで食事をしたい。午後は地元の農業関係者の声を聞きたい」
との要望があった。
「明日か、明後日に対応できる?」
また、軽く言う人もいたものです。
何とかします。ただ、農家さんや関係職員との調整をこれから行いますので、明日ではなく、明後日、25日(金)の打ち合わせでお願いします」
と、何の調整もしないまま、日程を了承することだけ回答していただいた。

 それから、福島は慌てて政策開発課、観光課、商工振興課、農政課、農業振興課の各課を訪問し
「文書は後で持参する。25日(金)の打ち合わせに同席して欲しい」
旨を伝えた。当然「迷惑だ」と嫌がられる話ではあるが、こちらの「錦の御旗」は「マラソン大会のスポンサー」である。
 S商事へスポンサ依頼を行う発案者は、ちょっとだけコネがあった市長だったのである。市長案件の成果を上げるために、反旗は許されなかった。当然、市長指示の経過は各課担当者にも伝えておいた。

 農業振興課では、打ち合わせの出席依頼に重ねて、
「F農園さんとM農場さんのアポ取りしたいので、連絡先を教えて欲しい。できれば、打ち合わせの後、午後は一緒に農家を訪問して欲しい」
とのお願いをした。
 あつかましいことこの上ないが、福島の業務とは、まさに畑違いのため、農家の方の場所も顔もわからないのである。
 農業振興係長からは、
「面白そうだから協力はするけど、その日午前中、当課主催の会議があるから、俺は出席できない」
との回答。
(あなたを一番頼りにしていたのに)との言葉を飲み込み
「わかりました。誰か一人だけでも参加していただければ助かります」
と応え、F農園、M農場の連絡先を手に職場に戻った。

 福島と農業振興係長は、一緒の職場で仕事をしたことはないものの、飲み会で何度か同席したことがあり、その役人らしからぬキャラクターにシンパシーを感じ、今回の打ち合わせの戦力として、大きな期待を抱いていたのであるが、さすがにこれ以上無理を通す訳にはいかなかった。

3 黒船来襲
 25日、S商事からは4人のスタッフが文化部を訪問してきた。
 文化部長、部次長と一通りの挨拶をした後、筆者ほか6人の市職員が待つ会議室へと移動した。
 型どおりの自己紹介の後、それぞれの業務内容や郡山市の現状の紹介、質疑等淡々と進むが、あまり盛り上がりは生まれない。お互いが腹の中を探り合う雰囲気で、ガップリとは話がかみ合っていかないような印象である。
『今度もまた、負け戦だったか』
という、黒澤映画の名台詞を頭に浮かべ(7人集めたのが失敗だったかしら)と考えていた時、会議室のドアが開き、農業振興係長が入室してきた。
(これで、ちょっと風向きが変わる)
 福島は、体温がグッと上昇していくのを感じた。

 概況について説明を受けた農業振興係長は、S商事に言い放った。
「いろいろ、支援してくれるという話はいいのですが。皆さんは、どれだけ本気で考えてくれているのですか。震災後、そういう支援話は時々来ていますけど、結局のところ、商社の方は買い叩くことしか考えてないですよね」
 この発言を受けて、S商事の3人の顔色がみるみる変わった。怒りと困惑の表情。そして、福島は、顔から血の気が引いていくことを感じていた。

 少し顔を紅潮させたS商事の担当者は、部下に資料を配るよう指示し、切り出した。
「今日は、皆さんのお話をお伺いするだけの予定でした。この話をするつもりはなかったのですが、本気か、という御質問をいただきましたので、説明します。
『まだ、内部で意思決定はされてないが、これまで復興支援として行ってきた既存企業への支援とは異なり、S商事として直接、復興に寄与する事業ができないか検討している。
 事業内容は全く白紙、地元の声を聞いて固めていく。
 今年度中に事業に着手しないと、計画は無かったことになる。大至急、形にしたい。
 まず、事業用地を探している。何をするかは決まっていないが、5ha程度の用地があればと考えている。
 県全体に対する復興支援として考えているので、貴市で事業を実施するかどうかも白紙。
 この話は、オフレコでお願いしたい。特に市長には伝えないで欲しい。
市長からS商事の幹部に話しが伝わったりすると、話がこじれることが予想される』

 500万なんて目じゃない。壮大な話。
 今までご縁のなかったS商事が当市に根を張るかもしれない。
 しかし、今年度中に事業着手する必要がある?
 どこで何をやるのかも、決まっていないのに。
 作戦なし、武器無し、兵隊無し。予算はあるけど金になるかは企画次第。
 そんなむちゃくちゃな話に、一口噛めということですね。

 うん、まぁ、普通に考えれば、とんでもない与太話である。

 話の内容に、市職員全員が毒気を抜かれたような感じになりながら、少し質疑を重ねて打ち合わせは終了した。
 おそらく、この時に参加していた市職員は、そんな事業企画ができるとも、協力したいとも考えた者はいなかったと思う。

 そんな夢か魔法みたいな話が現実になるはずがないと。

 しかし、福島には別な考えが浮かんでいた。
魔法は使えないけど、タネと仕掛けさえあれば、魔法みたいなことはできる。失敗したところで、もともと無かった話がゼロに戻るだけ。
 どれだけのタネと仕掛けを準備できるか。汗をかく価値はある。
 チャンスの神様が、現れたのだから逃がす手はない。
 前髪しかないというチャンスの神様。筆者一人で捕まえるのは無理かも知れないけど、皆でよってたかって囲んで、逃がしはしない。ガッチリ捕まえてやる)


4 シン・打ち合わせ
 昼食後、市役所のワゴン車にS商事、福島、農業振興課職員が同乗し、農家さんに向かうことにした。
 役所あるあるの一つ、会議室を出てからが、真の打ち合わせである。
 この移動時間中にS商事とコミュニケーションを重ねて、当市のPR、相手からの情報収集を行わなくてはならない。
 それがシティプロモーション課としての務めというものでしょう。 
 車中では、当市の現状やS商事グループとのつながり(グループ会社が多く立地していること、S商事のOBに市の審議会委員を委嘱している話など)をアピールするとともに、S商事の本気度や、他市への働きかけについて探りを重ねた。
 福島が気になっていたのは「福島県への復興支援」というスタンスである。当市以外にも声をかけているのか。福島県とは調整をしているのか。
しかし、敵もさるもの引っ掻く者、ガードが固く、本音は見えないままである。

 車中でS商事の係員が、良い質問を入れてくれた。
「福島さん、失礼ですけど、一昨日の水曜日に、うちの担当と文化部次長が電話で話をしてから、今日の会議を企画して、参加する職員さんを集めたのですよね。他の課の方々は嫌がりましたよね。普通の役所ではあり得ないですよね」
「そうですね、普通はあり得ないですね。けど、S商事さんから声をかけていただくことも、普通ではあり得ない機会ですので、何としても形にしたい、少しでもお役に立ちたいと考え、関係しそうな職場に声をかけました。私は市職員ですが、心はS商事の一人として、今回の事業成功に向けて取り組みたいと考えています」
 その他、様々な話を重ねながら到着したM農場ではあったが、ここで、筆者の小賢しさを吹き飛ばすような、縁の不思議さを感じることになる。


5 縁は異なもの味なもの
 M農場に対し、訪問の趣旨説明をした後、S商事が社長に切り出した。
「震災後、風評被害も多く受けたと思いますが、一番困ったことは
「原発事故の影響で、取引先から手を引かれたのが大きかった。
作っても売れない。作ったものを捨てざるを得ない。
野菜は生き物だから生産を止めるわけにもいかない。
生産をやめたら廃業しかない。
そして、野菜が売れないから従業員に給料を払えない
その時が一番辛かった。誰も助けてくれない
正直、もう廃業するしかないと思った。
けどねぇ、従業員がさ、パートのおばちゃん達がさぁ

『社長、今は給料が無くて構いませんから、野菜を作りましょう』

と、俺やカァちゃんに言うのさ。それも一人じゃなくて全員がね
 皆、自分のことや家族のことも不安で心配だろうに、流通も止まり、生活必需品も揃わず、自分たちの生活が大変な時に、仕事をしたいと言うのさ。野菜を作ろうと言うのよ。一円にもならないのに。
そんな時、取引先の一つで、Rというスーパーの担当者だけが、

『消費者の反応はわかりませんが、うちは棚から降ろしません。取引を継続してください』

と言ってくれたから、何とか踏みとどまることができたよ」

トツトツと話す社長の姿に、筆者の目から、汗が流れ出てきた。
 同席していた社長の奥さんも思い出して嗚咽する中、S商事が想定以上の返しを見せた。
「Rというスーパーは、私たちS商事のグループ会社なのですよ」
筆者は心の中で叫んだ
「社長、グッジョブ!」
 更に帰り際には
「せっかくきてもらったから、お土産を持っていきなよ」
と、倉庫のシャッターを開けたところ「Rスーパー」向けのパレットに積載され、出荷待ちをしている野菜が積み上げられていた。筆者は再度、心の中で叫んだ。
「社長、グッジョブ!」
 あざといテレビ番組の演出でも、できないことを、社長は台本もないのにやってのけてくれた。

 結果オーライの部分は大きいものの、S商事との1回目の打ち合わせを好感触で終えることができたと感じていた。翌々日の日曜日、福島は職場でパソコンの入力をしていた。
 車中でのS商事との会話や農家さんとの話をもとにした「忘備録+プロジェクトネタ」に関するメモを作成していたのである。
 『県内農家に対する支援を軸として、県内の潜在的な魅力をS商事と一緒に引き出すプロジェクトにしたい。当市を拠点としていただけるのが一番良いが、他市町村であってもできる限り御協力させていただきたい。役所が話に乗らなくても、個人としてもできる限り協力したい』
という内容で、A4用紙2枚に想いを綴った。
 翌月曜日の朝一番でS商事に送る「御礼メール」に添付するために、日曜日に作成していたのである。
 「こちらのやる気をみせて、少しでも当市へのイメージを良くしたい。週明けに届いていることで、少し好印象を残せるのでは」
という打算はあるものの
「S商事と一緒に仕事をしてみたい」
 という心と「地元の復興に関りたい」という気持ちは本気であった。

  
6 探しものは何ですか、見つけにくいものですか
 GWをはさみながら、S商事とメール・電話で情報交換、農家との仲介などをする中、漠然とではあるが
「農業を中心とした復興支援」
という共通認識が生まれつつあり、福島が窓口となっているものの、必然的に農業振興係長に相談することが多くなる。
 打ち合わせ初日こそ、斜に構えていた農業振興係長も、S商事からのアプローチを受け、かなり信頼感を高めつつあった。しかし
「福島君、農家さんは協力してくれると思うけど、実際、当市で事業展開するのかい」
という懸念を抱くことも当然であった。
 壁になるのは事業用地である。
 S商事と我々のもう一つの共通認識が「福島県の復興支援」である。
 今のところは、当市役所に相談していただいているものの、県内で他に良い土地があれば、拠点がそこになる可能性が高い。
 市内の農家さんに協力していただくにあたり、拠点が市内と市外ではモチベーションに違いが出るのは明らかである。
 S商事からは折に触れ、
「良い事業用地はありましたか」
との問いがあるが、
「鋭意、探しています」
と回答をするしかなく、忸怩たる思いが募っていた。

 あまり情報を拡散させたくはなかったが、通常の市役所ルート、交流のある不動産業者の情報では候補地が全く出てこないことから、「耕作放棄地」などを含め、市役所の出先機関である支所の職員にも、事業用地の情報提供を依頼することにした。
 情報提供と言っても、電話をして
「事業に使えそうな、空いている土地は無いですか」
と聞くだけのこと。
「何に使うのか、誰が使うのかは教えられないですが、地主が協力してくれそうな土地に限ります」
というむちゃな条件を付けながら、9つある支所の職員に情報提供を呼びかけていくと、田原支所という地区の職員から、意外な回答を得た。
「田原の東のはずれに、何も使ってない市有地があるよ。細かい住所は知らないけど、担当は農政課のはず」
(えっ、農政課? 最初の打ち合わせにも参加していたし、土地探しも協力のお願いにも行ったし、耕作放棄地の情報をもらったりしていたけど、そんな土地の話一言も聞いてないよ)
 田原支所との電話を切るやいなや、農政課にかけつけた。
 担当者によれば、昭和の終わりに防衛省から押し付けられて、旧訓練用地を取得したものの、その後25年以上に渡り用途がなく、一時期は「市民菜園事業」を模索したが頓挫し、塩漬けになっていた土地があるとのこと。
そして、地元からは早期活用の要望があるものの、良い企画もなく、もてあましている状況とのことである。

 2.5haの「宅地」

 農業振興地域でもなく、都市計画法の用途地域で言えば無指定地域。市で使う計画も展望もない。
(いけるかも。何をやるかはわからないけど、法的には規制が少ない土地
 福島は農政課から資料を入手すると、すぐにS商事にメールした。
 5haという希望には足りない面積ではあるが、手を上げなければそこで話が終わってしまう。0と1は大きく違うはず。
 まずは、候補地としてステージに上げて欲しいとの思いがあった。
 S商事へのメールを送信後、1時間ほど間をおいてから、あらためて農政課に電話する。
「先ほど、お預かりした田原の資料ですけど、S商事案件の候補地として、資料を送付しても良いですか。もちろん、私が送りますので、お手数はかけませんよ」
 この土地について、農政課から情報提供が無かったことについて、文句の一つも言いたいところを我慢して、資料送付の承諾を得た。まぁ、駄目と言われても後の祭りというものです。

 S商事の反応は早かった。
「是非、現地を確認させてください。こちらの都合で恐縮ですが、私の上司も連れていきたいので5月16日に訪問します。筆者さんの都合は大丈夫ですか。また、時間がないので駅から直行します」
「私はもちろん大丈夫です。担当者さんを駅にお迎えにあがります」
自分のスケジュール、車両の空情報を確認することなく、こちらも直ちに応えた。


7 エリートとペテン師
 郡山駅にて初対面となったS商事の部長は「エリート」という言葉が似合う、40前後のスマートな男性であった。
 穏やかそうに見えるものの、人の嘘やごまかしを見透かすような賢者の雰囲気を身に纏っている。
(この方は、仕事もできて、人当たりもよい、出世していく人ですよ。人としてのステージが違い過ぎます。お相手をするのが、私で良いのかしら
との懸念を抱かざるを得なかった。

 車を走らせながら、福島の不安は大きくなるばかりである。
(あの荒地を見てがっかりされてしまうのか。この話が消えるのか)
 実は、5月13日に資料を送付した後、福島は業務終了後に一人で現地を下見していたのである。
 「家庭菜園事業」を実施していたことから、ある程度、造成済みの土地をイメージしていたが、実際のところ、現場は背丈以上もある草木が生い茂り、「宅地」どころか「雑種地」でもなく、「原野」「山林」「秘境」というような状況であった。
 どんな事業を行うにしても、造成等の初期投資や期間が大きくなることが予想できた。
 しかし、持ち玉はこれしかない。また、無指定地域という強みがある。不安と大きな不安の間で揺れながら、現地へと到着する。

 草木が生い茂り、敷地の境界は全く見えないけれど、広大な用地の隅に立ちながら、部長から、いくつかの質問を受ける。
 土地の面積、これまでの利用経過、地域の状況など、など。
 事前に想定していた内容なので、よどみなく答える(土地の担当者でもないけど)
 そして、最後に、一番重要と思われる質問を受けることになる。

ここで事業を行う場合、土地を購入又は貸借することは可能ですか

 間髪入れずに応える
売却、賃貸、いずれも可能です。正式に機関決定するまでには、少しお時間をいただくと思いますが、全面的に協力できると考えています
 振り出したのは、全く根拠がない手形である。
 このような質問の想定はしていたものの、担当課でもなく、上司の内諾も、関係課との事前調整もしてないままである。役所の職員としては「言ってはいけない」レベルの話。
 しかし、「できない」「わからない」「検討します」
そんなつまらない回答で、チャンスを逃すようなことはしたくなかった。
「役人」としてではなく、「市民」として「チャンスの神様を逃がすな」という心の声が筆者の背中を強く押した。
 あることないことの話を通じて、相手の前向きな気持ちを引き出すのがペテン師の常道。巷で「ペテン師」と称される話術を、ここで使わず、いつ使うのか。

「土地を動かすとなると、役所内部の手続きは、大変なのでは」
「役所仕事」と言われるスピード感を懸念していることが感じられた。
「多少内部で異論が生じたとしても、最終判断は市長ですので、GOサインが出るはずです。御社のスケジュールに合致するように全力で取り組みます
 市役所なんてところは、縦のものを横にするだけでも「何で横に」、「誰が横に」、「いつ決めた」「誰が責任を」なんて声が、あちらこちらから沸いてくる変な組織。
 しかし、トップが決めたことには、迅速に対応する組織でもある。この企画が市長まで行けば通るはず。その想いは確信に近かった。

8 人事を尽くして
 部長の視察後、土地についての追加データ、法的な規制の状況、S商事に売却・賃貸借する場合の課題や手続き、市内、県内の果樹生産量、気象データ、事業に利用できそうな優遇制度など、毎日のように様々な資料を求められる日々が続く。
 責任感の強い、真面目な職員であれば
「担当じゃないので、わかりかねます。担当課に確認してください
と、言いそうなところであるが、無責任で不真面目な福島は、庁内をかけまわり、情報を収集し、ざっくり回答していた。
 役所的な対応で
「文書で照会してください」「上司に確認して連絡します」
などと、事業が遅延したり、当市の印象が悪くなることは避けたかった。
 企業誘致の業界では、担当職員の対応の悪さや回答の遅さを理由に、誘致が失敗するということはざらにある。(しかし、担当者が良い人だから工場を作りますは、皆無である)

「問い合わせがくるということは、候補地として検討しているはず」
と前向きに考えるものの、可否について回答はいただけず、文化部次長から
マラソン大会のスポンサー契約は、どうなっている
と、せかされるものの、こちらも良い回答はできない。
 相手は日本有数の総合商社。社内手続き等も考えれば、そう簡単に結論が出ないことは、当然のことであった。

9 予選通過
 5月30日、S商事からの電話は吉報であった。
「まだ、正式に決定していないので、情報の取り扱いには、御注意いただきたいのですが、あまりお待たせするのも申し訳ないので、正直なところをお伝えします。 
担当役員には、田原の土地で復興支援事業を行う旨の内諾いただきました。また、事業は介護食に特化した野菜・果物の食品加工場を企画します。
 農業を中心とした復興支援ということで、農家レストランや6次化製品などの可能性を探ってきましたが、一つには既存の事業者の皆様との競合を避けること、また、将来性を鑑み、介護食に特化すること、そして、福島県全体の復興ということで、果樹王国福島、貴市や会津などの特徴ある野菜を活用できる事業を展開したいとの考えです。
 なお、マラソン大会のスポンサーも内諾を得ましたので、後ほど、担当から資料を送付させます。
 ただ、何度も申し上げていますが、社内手続きはこれからになりますので、S商事の法務部門、建設部門などと話を進めていく中で、異論が出て、話が立ち消えになる可能性があります。
 そのため、市長には話を上げないでください。また、社内で企画を検討していく場合、これまで以上に、筆者さんに様々な資料などの情報提供をお願いすることになります。引き続き、御協力ください」
 S商事に対し、御礼を申し上げる筆者の声が上ずり、震えていることが周囲にも伝わり、部内から、怪訝な視線が筆者に集中した。
 安堵と興奮と不安、言葉にできない様々な思いが錯綜していた。が、

体の芯を突き抜けるのは歓喜!

 ほんの、1月前には、全くの夢にもならない物語が、おぼろげではあるが、現実の世界に降りてきたのである。
同時に、S商事も市役所も、本当に難しいのはこれからであることも感じていた。
 さらに様々な課題をクリアしていく必要がある。
 そして、S商事ではハッキリと言葉にはしないものの、このような事業において、候補地が一つということはあり得ない。今回の電話は、言わば一次試験を通過したということであり、他市町村にも候補地があるはず。
 しかし、この電話の後、S商事と我々との距離感が、ぐっと近まったように感じていた。
 農業振興係長からの提案もあり、6月11日に当市にお越しいただいた際には、夜のミーティングを開催することとした。

 地元の食材を出す居酒屋にて、地酒や食材、地場産業など様々な話題に興じる中、勢いにまかせ、かねてからの疑問をぶつけてみた。
「当市に声をかけていただき、大変有難く思うのですが、本質的には「福島県の復興支援」ですよね。県庁には声をかけたのですか」
担当者の目に、一瞬、険しい色が入ったように見えた。
ため息を一つ入れ、グラスを置いてから、話し始めた。
「実は、今年の3月に県庁を訪問したのです。お会いした担当の方から、『自分は4月に異動になるので、また、4月以降にお話にきてください』という話をいただきまして、こう申し上げては何ですが、県の方には期待しないことにしました。
なので、直接、自分たちで農家の方々にアプローチしようと考えていたのですが、偶々貴市の部次長がいらっしゃるということで、市長とのご縁もありましたので、相談させていただきました。
福島県もそうですが、他県の市町村でも、これほど協力していただける自治体はありませんでしたので、正直、最初の会議に関係課の皆さんが参加してくださったことから始まり、この1ケ月半の対応は驚かされてばかりです」
(さすが県職員、素晴らしい。心から感謝申し上げる)
心の中で喝采をあげずにはいられなかった。そんな前振りがあったおかげで、当市の株が上がったということですか。

初めての「夜ミーティング」は非常に有意義な情報を得て終了したが、幹事としては、飲み放題にしなかったことが痛恨のミスであった。
言うまでもないことであるが、筆者も農業振興係長も自腹で、割り勘だったので、その後の生活に支障をきたした。

10 二次予選
 2回目の「夜ミーティング」は、6月25日、S商事本社近くの居酒屋で開催された。

今回のミッションとは別件で、農業振興課長、農業振興係長がS商事本社を訪問することになり、東京での「夜ミーティング」が企画されたのである。
農業振興係長からの筆者に対する
「筆者君、参加できなくて残念だね」
という声がけに
「何をおっしゃる。休暇をとって自費でかけつけますよ」
ということで、筆者も参加した次第である。

 そして、この楽しいミーティングの翌日から、二次予選が始まった。

 この日のS商事からの電話は、実に事務的な声であった。(昨夜の盛り上がりは何だったのでしょうか)
「田原の土地について、社内で検討する上で、1点突破とは行かないです。
比較物件がないと稟議があげられないのです。
私としても、このまま貴市と事業を行い、あの土地を活用したいと思うのですが。
そこでお尋ねです。更地の適地は無いとのことですが、活用できそうな廃校はありますか。あれば資料をいただきたいのです。
また、田原町の環境では不便すぎて、集客が見込めないのではという声も社内で出ています。例えば、A町の方が果樹と観光のイメージがあるのではないか、駅前の方が集客を期待できるのではないか。などの意見が出ています」
「承知しました。先日の田原町よりも不便になりますが、いくつか、廃校がありますので、直ちに資料を送付します。また、田原町で事業を行う利点について、地元民の考えをメモにまとめ、別途送付させていただきます」

 実際のところは、当市以外のところで、既に比較物件を準備しているのかもしれない。まぁ、結果として他市に落ちても仕方ない。が、できればではあるが、当市で事業化して欲しい。
 そのためには、市内での比較物件を出さなければと考えながら、教育委員会に向かった。廃校の担当者は、以前の同僚だったので、面倒な話をとばしてお願いした。
「ということで、物件情報の依頼があったので、資料をデータでお願いしたい。選んでいただける可能性は低いので申し訳ない。依頼文が必要なら後で届けるから、データは今すぐ筆者宛にメールして欲しい」

 そして、当市でも辺境な地である田原町であることを逆手にとり、S商事に対し
「田原町で事業を行いたい7つの理由」
と題して、A4用紙2枚のレポートを送付した。
1 福島県の農業支援を目的としていること
2 福島県全域を支援の対象としていること
3 地域性・拡張性(発展可能性)が高いこと
4 広域観光性が高いこと
5 公共性が高いこと
6 開拓者精神・未来への希望を表現できること
7 効果的な地域プロデュースが期待できること
要約すれば
「ある程度、市街地が形成されているよりも、何にも無い、僻地のような場所の方が、競合しないし、変な色もないし、面白いのではないですか。他市町村も参入しやすいと思いますよ。田舎の住人は地域活性化に能動的で、本気ですから面白いですよ」
という提案である。

 詭弁だろうが何だろうが、他市町村ではなく当市で、当市であれば田原町で事業を実施して欲しい一心である。いつもどおり、内部の決裁は受けていない無責任な独断専行である。
 実のところ田原町で事業を行って欲しい「真の理由」は、福島が田原町出身ということに尽きる。
 しかし、田原町の役に立ちたい、田原町に貢献したいという思いが強くあり、いくら厚顔無恥の福島と言え、その気持ちをレポートに記載することはできなかった。
 

11 手形の回収
「明日、田原町と廃校の現地視察をお願いしたい。
今回はS商事の建設部門、広報部門の担当も同行するので、市役所の車の手配は不用です。なお、記録用の写真や映像も撮影したいのですが、大丈夫ですか」
 この頃になると、S商事からの話について「むちゃな日程」という感覚は全く麻痺しており、粛々と淡々と関係課へ連絡する。
 今回は、農政課、農業振興課、教育委員会総務課、公有資産課を参集させることとした。
(本格的なスタッフを連れてくる、前向きな視察ということか)
と、期待せずにはいられなかった。

 当日は、最悪とも言える土砂振りの天気であったが視察は決行され、S商事の広報班が撮影する記録用のカメラに緊張しながら、公有資産課が土地の詳細説明を行った。
 その後、前回視察に来た部長の質問と同じような内容ではあるが、実務者レベルでの踏み込んだ質疑応答も行われた。
 市側の回答が期待に応えられたかどうかはともかく、あらためて大きな山を越えた印象が残った。

 さて、日本の商慣習として「約束手形」という制度がある。
 契約金の支払いをする際に、3ケ月、6ケ月、1年先など一定の期日を指定した「手形」を振り出し、金融機関を介して相手に支払う制度である。
 言わば支払いの先延ばしであり、資金繰りが行いやすいという利点があるものの、期日に支払いができない場合「不渡り」となり、1回で信用を大きく失い、その後の営業が不穏になり、2回目の「不渡り」を出すと銀行取引が停止し、実質的な倒産につながるという、諸刃の剣である。
 ちなみに、支払う意思や根拠がないのに、手形を発行することを「空手形」という。会社が末期の時や詐欺的な行為の時に行われることもあるらしい。

 大規模な現地視察の翌週、7月15日にS商事から電話があり、筆者が発行を続けていた「約束手形」の決済を行う必要にせまられた。
「正式決定はもう少し先になりますが、社内では田原の土地で事業を行うこと、常務まで内諾を得ることができました。事実上の決定です。
そこで、まずは、田原の土地の借用に向けた手続きを進めていきたいのです。9月議会に補正予算を計上くださるようお願いします。
しかし、申し訳ないですが、現時点では、正式な文書等を発出することはできないことを御理解ください」

 S商事の関連事業所ができることによる設備投資や雇用、税収などの効果に加え、S商事との人の交流が生まれることにより、有形無形の波及効果が期待できると考え、福島は汗を流してきた。
 しかし、その想いが役所全体で共有できているわけではない状況で、土地の賃貸借、予算の計上をまとめることができるのか。
予算を計上するとなると、財政部へ事業企画書と予算見積書を提出する必要があるが、提出締切りは7月18日となっており、後3日しかない。
「正式な文書が発出できないことは承知しました。9月議会の予算計上に向けて、直ちに調整します。ただ、予算については、市長判断を仰ぐ必要がありますので、今回の動きについて、一度市長に報告させてください」
「市長報告の件、承知しました。ただし、くれぐれも市長が外で話をしないよう、最大機密で進めてください」

 電話を切り、すぐさま文化部の部長、部次長に報告する。
「ということで、補正予算を計上するにあたり、農林水産部で計上することが、要になろうかと思います(文化部はそろそろ手を引きましょう。農業支援ですから)
 基金からの買い戻しになりますので、実質的にはお金の動きが無いのですが、予算計上の是非について、あらためて、農林水産部と財政部に対する説明を行う必要があると考えております。また、市長査定が8月7日からになりますので、その前に一度、市長への説明が必要になると思います」
説明を受け、部次長が提案した。
「じゃぁ、農林水産部長のところは、私がすぐに説明に行きます、その後、農林水産部と一緒に財政部に説明するような段取りでよろしいでしょうか」
予算を伴うとなると、担当係長レベルでの協議など意味がない。事務が増えることを嫌がることは目に見えている。まして
「相手からの文書も無いのに予算を計上するなんてあり得ない」
という、手続き論、入口で動きが止まってしまうことになる。
 そんな瑣末なことにとらわれず、政治的・政策的な判断をするためには、政治判断、政策判断による前捌きが必要になる。

 なお、9月補正予算の資料提出締め切りについてが、事前にS商事には伝えてあり、間に合うように二次予選の結果を求めていたところである。
 ギリギリのせめぎあいというか、普通であれば、このタイミングで一から予算を組み立てるなんてことは考えられない話であった。

12 御前会議
 これまでの経過について、農林水産部長、部次長に説明したところ、反応は想定どおりだった。
「そんな話、俺は何も報告を聞いてない」
(そんなことだろうと思ってましたよ)
 と、言いたい気持ちを我慢して、農林水産部長には、立ち消えになるリスクは0では無いものの、これまでの経過から確証が高いことを説明した。
 有難いことに、農林水産部長は予算化への理解を示してくれた。
「総論は問題無い、というか本当に嬉しい話だね。土地は活用してもらえ、農業振興の視点からも、新規の事業創出として目玉になる。
特定企業との連携という部分は、少し工夫が必要だけど、ここで予算計上をしないで、相手を逃すという話にはならない。
ただ、何部で予算計上するかは、財政部長と市長に確認しないとね(急に話を持ってきて、俺に押し付けるつもりか)」
 文化部次長の反応も早い。
「私もそう思います。至急、財政部長との打ち合わせの調整をします。これまでの経緯もありますので、財政部への説明は当部で行います。農林水産部長か部次長の時間が合えば、同席をお願いできないでしょうか(はいはい、前捌きは文化部でやりますから、負担はかけませんよ。資料も福島君に作らせますから、まぁ、顔を出してください)」
 
 歴史に「もしも」は無いけれど、もし、農林水産部長が
「俺はそんな報告を受けてない。今日、話を持ってきて3日後に予算なんか上げられるか」と、蹴飛ばされてもおかしくない話であったが、かつて同じ職場で勤務していた農林水産部長と文化部次長の絶妙な呼吸により、事前調整は円滑に終了した。

 財政部の反応も早く、翌日には財政部長、同部次長、農林水産部長、同部次長、公有資産課長、農林水産部の各課長、そして、文化部長など、錚々たるメンバーが財政部会議室に参集した。
 文化部長が趣旨説明、筆者が詳細の説明を行い、財政部長の声を待つことになる。
「まぁ、予算は上げるしか無い、うちは認めるだけの話だね。ただ、市長が聞いてないとすれば、早く耳に入れるだけでしょ。まさか、いきなり市長査定で話をしてもまずいし。で、どっちの部で予算を上げるの。
今、文化部で説明したけど、まさか文化部で食品加工場はやらないよね。料理などの食べ物について、文化の側面も無いとはと言えないけど。食品加工場の支援となるとねぇ」
農林水産部の各課長の視線が、農業振興課長の方へ集っていた。
「6次産業化という趣旨で、農業振興課で予算を計上したいと思います」
農業振興課長が回答し、全員がうなずくように視線を戻した。すかさず、文化部長が続けた。
「市長への説明は、マラソン大会のスポンサー契約もあるので、文化部で行いますよ。その時に、農林水産部からも誰か同席してくれればという感じで、どうですかね」
という流れで、「予算計上」「所管課」「市長説明」と、大きな課題について方向性を出し、その後、実務上の課題を整理して会議は終了した。
(なお、農林水産部長へは説明をしていなかったが、財政部、農業振興課長とは、二次予選を通過した段階で、「予算をあげるなら農業振興課」ということを事前調整していたところである)
誰もが嫌がる市長説明を文化部長が引き受けたことで、その後の意見交換もスムーズであった。
(財政部長への説明もそうだけど、市長への説明も筆者が行うのかしら。まぁ、良いですけど。農政課で所管している土地で、農業振興課で計上する予算の市長説明を、文化部が行うというのも、何とも不思議な話だが、俺は宇宙の何でも屋、○ケオゼネラル)

 後日行われた市長説明には、文化部長、筆者、そして業農業振興係長の3人が入室した。
市長に対し、部長が趣旨説明をしただけで、市長からの指示をいただいた。

「そうですか、どんどん進めてください」

 この一言だけで、筆者の作成資料は一瞥もされず、筆者は一言も発することなく、20分間を予定していた説明時間のうち18分を残し、市長説明は終了した。
 まぁ、何はともあれ、S商事という黒船が4月に訪れてから3ケ月、夢のようなプランについて、市役所の実務として動き出すことが、確定した瞬間であった。
 そして、正式に農業振興課が予算計上・事業企画を行うこととなり、筆者はS商事との担当窓口としての役割を終えることとなった。

 これ以降、担当窓口ではなくなったものの、農業振興係長から
「あんた、人に業務を投げておいて、逃げるってことはしないよね」
という言葉をいただきながら、後方支援的に、この事業との関係を続けることになる。
 なお、この後の農業振興係長の労苦は、言葉では言い尽くせないものだったようである。

13 ディスカウントプリーズ
 5月にS商事から土地の賃貸借使用料について打診を受けた際に、筆者は取得金額である4000万円に行政財産使用料の基準3%を乗した120万が、一つの目安になる旨を回答していた。
 ところが、9月の補正予算成立後に土地賃貸借の窓口となる公有資産課がS商事に示した額は400万を超えていたとのことでである。
「福島さん、以前確認した金額が、非公式の試算ということは承知していますが、3倍以上になるというのはあまりに違いすぎて、社内で説明できないです。事業が御破算になるかもです」
という、S商事からのクレームに近い問い合わせを受け、福島は公有資産課にかけつけた。

「俺も高くしたいわけじゃないけど、資産税課に評価額を照会したら、田原の宅地は平米単価6000円という回答だったのさ。そこから計算すると全体で1億五千万円の評価で、その3%をいただかないとしょうがないのよ」
「ちょっと待ってください。5分後にもう1回来ます」
部屋を出て、まっすぐ資産税課に行き、土地評価の担当者と話をする。
「固定資産税の評価は、登記地目が宅地でも荒地であれば価値が下がるよね。多分、その基準表みたいなのもあると思うのだけど、今すぐコピーを2枚ください。大丈夫、外部には出さないから」
そして、そのまま、公有資産課に戻る。
「私が申し上げるのも何ですが、平米6000円というのは、田原地区の造成済みの綺麗な宅地の評価です。この基準表のとおり、大規模造成が必要な場合は、その3割評価です。実際、担当者さんも、実際に、あの秘境を見たでしょう。再計算してください」
「上司にも相手にも、この金額で説明しているから、今更、再計算なんてできないです」
「相手は安くなる分には問題にしないはずです。何でしたら、S商事には私から説明します。逆に「高すぎる」という疑問が出され、直接市長に評価額の確認が入ったら、それこそ答えに窮して、説明できなくなりますよ。
前の数字をA案、基準表に基づくB案のような併記でも良いですから、資料を修正して再度、上に説明した方が無難じゃないですか。
 ただ、誤解しないで欲しいのですが、筆者は賃借料を安くして欲しいという話をしているのではないのです。
(ここからが、ペテン師と言われる筆者の真骨頂)
 適正な価格を示さないことで、後でトラブルになることを心配しています。担当者さんが間違えたわけないことは、十分に理解しています。
 資産税課の土地評価が雑で、不適切な回答があった。一度はその金額を採用したものの、担当者さんは現場を見たことがあるので、価格に疑問を感じて詳細を確認したら、この基準表を入手することができ、価格を修正すべきと考えた、という展開でいかがですか」
 担当者に責めが及ばず、むしろ手柄にしてしまう策を一瞬のうちに紡ぎだす。

その後、公有資産課からの報告は無かったが、S商事からは
「筆者さん、何をしたのですか。賃借料が年間120万円に下がりました」
との電話をいただいた。

14 規制官庁
 S商事からは、当市における復興支援事業について
「平成26年度中の事業着手が必須」
というスケジュールを最初に示されていたが、食品加工場が具体化するにしたがい
「27年4月には工場建設に着工し、半年後の10月末に竣工、11月に製造を開始し、翌年の3月には初出荷」
という、更に具体的で、とんでもないスケジュールが計画されていた。
 予算計上までは何とかなったものの、その3ケ月後の12月上旬。
 開発許可制度が大きな壁となり行く手を塞いだ。

S商事が食品加工場の具体的な建築に向け、開発指導課に相談をしたところ
「正式な申請を受けて審査を行いますが、最短でも半年は必要になります。
書類や計画に不備があれば、さらに時間を要しますので、いつ許可できるかは、見込みでも申し上げられません」
という趣旨の回答しかこないとのことである。
 話が並行線で進展しない状況で年明けを迎えたようで、農業振興係長から
「福島君、S商事と開発指導課の打ち合わせに同席して、何としてくれる」
という話を振られてしまった。
今から開発許可の申請をして、審査期間を半分に短縮できたとしても27年4月着工、10月竣工がギリギリである。

 普通に審査をしたら、完全にスケジュールが間に合わない。

 この時、農業振興係長に言いたかったが飲みこんだ言葉がある。
「なんともできるか」
 開発行政の専門家と建設工事の専門家による打ち合わせに、何の資格も無いド素人が顔を出しても、どうなるものでもないでしょう。
 とは言え、ここまで奇跡的な積み上げで事業が具体化しているのに、御破算には絶対にしたくもない。打ち合わせに同席する前に、開発指導課を訪問し、事業の経緯を説明し、
「行き違いがあれば市長案件になります。調整できる部分は無いですか」
と、確認したものの、
「審査は適正に行う必要がある。期間短縮等は約束できない」
と、職務に忠実な回答を得るだけであった。役人としては素晴らしい。
 また、S商事の建築担当者からも、スケジュール(案)や図面などの資料を入手し、いくつかの考えを確認してから、打ち合わせに挑んだ。

 S商事からは、かつて土砂振りの中での現地視察に来た際に、
「開発許可のスケジュールは問題ないのか」
と質問してきた建設担当者の姿も見えた。当然ながら、その時に福島は
「何とかします。大丈夫です」
と答えていたので、今日はまともに視線を合わせることができない。

 さて、打ち合わせ
「申請から許可まで最短でいきたい。3ケ月以内に終わらせたい」
「駄目、無理、話にならない」
 双方とも譲れない戦いが繰り返される。緊張状態が続く中、福島は深呼吸を一つ入れ、ちょっとした疑問を提示してみた。

「部外者の立場で恐縮ですが、2.5haの全体を造成しようとするから開発許可が必要になりますけど、1ha未満の造成で、盛土や切土が高さ1m未満なら、そもそも申請も許可も要りませんよね。
 S商事さんの今の図面では、東側の半分以上が駐車場のようですけど、東側に駐車場を作らず現状のままとして、西側の1ha未満の敷地で建物、駐車場を設計することは、いかがでしょうか」
S商事の目が輝いた。
「うちは、1haあれば食品加工場の機能は十分です。残りの敷地利用について、あらためて検討する必要がありますが、設計変更は問題ないです。開発指導課さんはいかがですか」
「確かにルール上、1ha未満であれば申請は不要です。ただ、任意にはなりますが、それなりに大きな開発ですので、進捗状況は随時教えてください」
 真面目な人間にはとても口に出すことはできない、筆者の「法の隙間理論」により課題が一瞬のうちに氷解したと自負している。


15 エピローグ
 この当時、周囲の人間から言われたのが
「何でS商事のために、そんなにがんばるの」
ということであった。
 しかし。福島としては「S商事」のために仕事をしている気持ちは全く無かった。
 ここで、S商事との御縁を結ぶことが「市民のためになる」と考えていたから、汗をかくことができたのだと思う。
 当時、S商事からの問い合わせについては、全て
「Yes, I do, Yes I can, as soon as impossible」
と、応えていたが、全ては「市民のためにチャンスを逃さない」ということに尽きる。
 そして、ここでは福島目線での話しか記載できなかったが、実際S商事はもとより、地元農家、農業振興課、その他、様々な関係者が、奇跡のような軌跡を重ね、事業を構築したと感じている。
 それぞれが、負けを恐れずに、あり金全部をダブルアップに賭け、不思議なくらい連勝して勝ち残ったようなイメージを抱いている。

 食品加工場が竣工してから数年後、S商事担当者のインタビュー記事をみつけた。
「最初の年に市役所を訪問した際、担当の方が『自分だったらこうしてみたい』という提案や『地元にはこんな農家や事業所がある』と教えてくれ、様々なアプローチをしてくれ、その熱意に巻き込まれました」
 この記事を読んだ福島は
「報われた」
という気持ち、そして、S商事への深い感謝から、天を仰いで動くことができなかった。
 その後、食品加工場は、生産量が上がったり、新商品が開発されたり、新しい雇用を生み出したり、企業として日々成長しているようである。また、地域貢献や商品開発技術で、様々な賞をいただくなどの栄誉も受けているらしい。

 年年歳々花相似
 歳々年年人不動

 2016年4月25日、最初に市を訪問したS商事の担当者も、福島も農業振興係長も、今は職場を異動し、業務として食品加工場に携わることはできなくなっている。
 福島は時々製品を買いに行き、介護食品を自分で食したり、親しい方におすそ分けしたりしている。安くはないが美味しく、工場や製品について知人に紹介することを楽しんでいる。

 この食品加工事業は、今後も様々な困難が生じると思う。

 福島は、どのような立場になるとしても、一生応援し続けることを心に決めている。個人ができることは、小さな事でしかないけど、魂みたいなものは、寄り添い続けたい、食品加工場のファン1号として、ともに歩み続けたいと考えている。

 ずっと先のことする予定であるが、「田原食品加工場」の新商品を口にし
「今度の製品もすごく美味しい」
と感じながら、覚めない眠りについたとき、この未来が実現した時、福島のミラクルミッションが完結することになる。


サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。