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銀山町 妖精綺譚(第16話)

外伝二 高齢者福祉センター(平成元年 秋)

「渡部君って変わっているよね」
という話が話題になるのは、あっという間だったが、自然なことでもあった。
 平成元年四月に開館した「高齢者福祉センター」。これまでの銀山町には無かったディサービス機能を中心に、お風呂、集会室、機能訓練室などを備えた施設であり、高齢化が進む銀山町の「シルバーユートピア構想」の中核、と言えば聞こえが良いが、影では「町中にある姥捨て山」とも揶揄される施設なので、運営を委託された社会福祉協議会職員は、誰もが高齢者福祉センターへの配置転換を嫌がった。
「お弁当を配達したり、少し話を聞いたりするのは良いですけど、施設に一日中居座られて、ずっと愚痴や我儘を聞かされるのは勘弁して欲しいです」
という話を何人かの職員が、会長に訴えた。
 新規パート職員も含めて何人かの職員を配置できたが、渡部だけは率先して「高齢者福祉センター勤務」を希望したことから関係者を安堵させた。

 渡部は筋トレマニアだった。誰よりも早く出勤し誰よりも早く昼食を食べ終え、誰よりも遅くまで残り、視察の戸締り、安全確認を担当した。その隙間時間に施設にあるリハビリ器具で体を鍛えていた。
「渡部君背は低いけど、すごい立派な体をしているのよ。筋トレをしたくてこの施設を希望したのね。納得したわ」
という話が職員間で語られるのもあっという間だった。噂を聞いた介護専門員の荒川は少し苛ついた。
(施設の私物化は良くないと思いますし、施設管理を一人に押しつけているのもどうかと思います。皆さんは、その方が楽だから良いのでしょうけど)
とは思うものの、波風を起したくはないし自分が施設管理を担いたいとは思わない。定時に出勤して定時に帰ることができる、今の生活を守りたいと考えていた。
 背が低くて誰にでも腰が低い渡部が、筋トレマニアということを少し意外と感じただけでそれ以上考えることはしなかった。

 その日もいつものように窓口での受付や来館者のサポートをしていた荒川は、野太い叫び声を聞いて駆け出した。お風呂がある方向から騒がしい声が響いていた。
 男子浴場の入口まで来たものの開けていいのか躊躇っていると、遅れてきた渡部が引き戸を開けて脱衣所に入っていった。 
 一人の裸の男性が倒れていて、周囲を何人かの男性が取り囲んでいるのが荒川の目に入り、倒れているのが遠藤と気づいた。渡部が遠藤に近づき周囲に声を掛けた。
「動かさないでください、皆さん落ち着いてください」
 渡部は遠藤の顔を覗き込むと、遠藤の首の下に丸めたタオルを入れて、頭の位置が低くなるようにして口を開かせた。
「気道確保、ヨシ。荒川さん救急車を呼んでください。脳梗塞が疑われます」
 振り返りもせず荒川に指示した。荒川は走って事務室に戻り、消防署に電話をしてから浴室に戻った。
「渡部さん救急車は出払っていて、いつ来られるか解らないとのことです」
泣きそうな声で渡部に伝えた。遠藤には毛布が掛けられていた。
「一刻の猶予もありません。救急車を待つ時間はないです。僕が遠藤さんを会津若松市の病院まで搬送します。消防署に受け入れ可能な病院を聞いてください。森下さんが病院まで同行してくれます、僕の携帯を森下さんに預けますので、受け入れ可能な病院が決まったら携帯に電話をください」
 渡部は救急車が来られないことを想定し準備をしていた。荒川に伝えるやいなや、毛布にくるまれた遠藤を抱きかかえて、しっかりとした足取りで歩き始めた。森下が心配そうな顔をしながら後ろをついていった。

 遠藤は会津病院の救急外来に運びこまれた。残念ながら治療の甲斐なく体の右半身に少し麻痺が残った。が、退院後は元気に高齢者安心センターに通い、リハビリをしながら森下などの友人たちと笑顔で過ごせるようになった。
 高齢者安心センターの職員は渡部の初期対応を褒めたが渡部は納得しなかった。
「発作を起こす前に、もう少し早く脳梗塞の兆候に気づくことができていたら」
と口惜しそうに語ることがあった。

 後に荒川に語った。
「子どもの頃にお爺ちゃんが倒れた時、救急車を読んだ後に何もできなかった。救急車が着いた時には手遅れだった。ずっと口惜しくている。もし自分がお爺ちゃんを病院に連れていくことができたら、もっと早くお爺ちゃんの異変に気付いていたら。
 だから、最悪救急車が来なくても、自分の車が無くても具合の悪い方を運ぶことがきるように体を鍛えている。何もできず見ているだけの自分になるのは嫌なんだ」

 渡部と荒川は二人で筋トレをするようになった。

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