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【連載小説】企業のお医者さん 第8話 #創作大賞2024

8 進撃
 久志にとって登美子が、生きる喜びを与えてくれた運命の人だとしたら、大泉は何と表現すれば良いのか、適切な言葉は見つからないが、久志の運気を大きく上昇させてくれた、開運の人とでも表現すれば良いだろうか。

 大泉の期待に対し久志は期待以上の働きを見せた。商工会議所の監査としてはもちろん、大泉に相談してきた経営者の悩みを大泉は久志に相談し、二人の知識と知恵を経営者に伝えた。二人からの助言は経営者の悩みの改善に良く効いた。
 不思議なことに二人の相談は内密で進めているにも関わらず、大泉の懐刀のような存在として久志に一目置く経営者も見受けられるようになっていった。
 郡山市経済界で全く無名だった織田公認会計士事務所 郡山主張所は着実に成長していった。郡山出張所に仕事の依頼が舞い込むようになり、久志は苦手な営業から解放され、本業と公認会計士三次試験に向けた対策に注力できる環境が整うようになった。
 収入と生活が安定してきた昭和38年3月、長男 久顕が誕生した。新しい家族は久志に、一層の生きる希望と力を与えた。

 生来の病弱に加え、胸郭形成術後により「人の6掛けの体になる」と言われていた久志だったが、登美子と結婚後は丈夫な体に進化しており、郡山に戻ってからは医師が「あり得ない」と語るくらい一層丈夫になった。いや不思議ではないのかも知れない。登美子と共に生きていくという意志と、久志を丈夫にしたいという登美子の願いが、相乗効果を生み奇跡のような回復を生んだのだろう。

 翌39年3月 久志は税理士試験に合格し、さらに顧客のために力を尽くす体制を整えた。公認会計士 三次試験に合格すれば税理士の資格は付いてくるが、敢えて税理士の資格を別に取得した。

 昭和39年4月 新しく竣工したばかりの郡山商工会議所会館内に織田公認会計士事務所郡山出張所が入居したことについて
「入居して良いのだろうか」
と疑問を感じたのは商工会議所関者では久志一人だけだった。郡山商工会議所関係者の誰もが久志の実力を認めていた。
 久志の「事業家」としての扉を開いた大泉は、久志にとって「開運の人」と言えるが、大泉にとっても久志は「開運の人」だった。商工会議所には「経営指導員」という資格を持つ専門職員がいる。大学等で経済・経営を学びかつ職場でも研修などで学び合い、切磋琢磨している経営のプロフェッショナル職員である。
 しかし経営者の視点を持つ大泉から見ると、少し物足りなさを感じていた。優秀ではあるが、温室栽培・養殖のようなひ弱さも感じてしまうのである。彼らの資質や能力に問題があるというよりも「安定したサラリーマン」という環境に起因するものである。

 経営者は他者に弱みを見せられない、孤独孤高な存在である。常に会社の突然死という「最悪な結果」という覚悟を背負って生きている。その部分をサラリーマンが真に共感することは相当に難しい話である。空を飛ぶ鳥の気持ちについて地を駆ける獣が理解することはできない。
 郡山商工会議所に足りなかったピースを久志が埋めた。公認会計士としての知識に加え、出張所長として従業員の生殺与奪を預かった経験を活かし、経営者に寄り添い助言した。
 豊富な知識に加え、結核という死病とその後のリハビリ、そして清貧な生活を乗り越え、覚悟を持ち経営してきた久志の言葉には、若さを補って余る力強さがあった。

 昭和40年3月 久志は公認会計士三次試験に合格し、郡山市に初めて公認会計士が誕生した。
 
 朗報を受けた大泉は、子どもが生まれた父親のように顔を綻ばせた。個人として嬉しいのは当然だが、郡山商工会議所専務としても経済県都を名乗る都市として名誉挽回を果たした思いだった。前年の「郡山商工会議所会館竣工」、「郡山市・新産業都市指定」に続く朗報だった。
 大泉は本田総務部長に祝賀会の開催を指示した。一会員のために祝賀会を開くというのは例が無いことだったが「公認会計士 山部久志先生祝賀会」は商工会議所会頭、野島東北公認会計士会会長、織田公認会計士、トキ子、そしてと登美子とその両親を来賓として、商工会議所会館内のグリルセイキで開催された。
 織田からは祝辞とともに独立開業を許す餞の言葉が贈られた。

 歓談時に久志は織田に思いを告げた。
「織田先生にお世話になりっ放しで恩返しもできていないのに、独立開業はできません」
独立開業を固辞する久志に、織田は微笑を浮かべながら諭した。
「山部君、相撲界では稽古で胸を借りた先輩力士に本場所の土俵で勝つことを「恩を返す」と言うそうだ。将棋の棋士は師匠に公式戦で勝つことを「恩返し」と言う。山部君が僕に恩を感じているなら、僕を越える会計事務所を創りあげて欲しい『郡山の山部は、若い時に俺が育てたんだ』と自慢させて欲しいな」
「わかりました、織田先生を越える東北一の公認会計士事務所を目指します」
 久志と織田は固く手を握り合った。

 昭和40年7月 久志は山部会計事務所として独立開業した。33歳の若さだった。
(第8話 おわり)

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