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【再掲】生きていてくれれば、それで良いよ(修正版)

 今年度の締め括りは、どんな記事にしようか。真面目な話にするか、くだらない話にするか。noteに初投稿してから丸三年という節目でもありますし、「福島太郎らしい」話にしなくては。
 と、ぼんやり考えておりましたら、昨日「衝撃的なクリエイターさん」であるikue.mさんが、このような小説を投稿されたのです。【さえすれば】

 このお話を読み、自分が2021年3月31日に投稿した記事を想い出しましたので、修正して再掲します。

(以下、修正版です)

 離婚する際に考えていたのは、
「夫は辞めるが、父は辞めない」
ということでした。なので「面会権」にはこだわり、離婚の条件として
「月3回の面会」
を家庭裁判所の調停を通じて確保しました。

 ところが、この約束は数年後、
「県外に転居した」
という、元妻からの連絡とともに、一方的に破棄されてしまいました。
「県外でも、会いに行く」
という私の願いは全く受け入れられず、その後、数ケ月に渡り、転居先も知らされずに、養育費を振り込むだけの日々が続くことになりました。身内の中には
「相手が約束を守らないのだから、養育費を止めるのも手では」
という助言をする者もいましたが、
「それとこれとは、別。父として養育費は続ける」
と、振込み続けました。その後、転居先が知らされたため、養育費とは別に、手紙とお菓子や本を贈り続けることにしました。面会ができない日々が淋しいというのは本音ではありますが

「生きていてくれれば、それで良いよ」

という想いを抱いたのも、本音になります。面会の有無とか淋しさはさておき、娘たちが生きていてくれる。それだけで有難いと思うようになりました。

 数年後、元妻が養育を放棄するような形で、子どもたちは郡山にいる元妻の両親の家に入り、面会も復活しましたが、「月3回」の約束は、なし崩し的に反故にされ、月1回が標準となりました。子どもたちも、自分の世界が広がりつつあるだろうから、それも良いと考えることにしました。

「生きていてくれれば、それで良いよ」

 もちろん、子どもたちからの要望があれば、必ず面会に駆けつけました。祖父母には言いにくい、お金を中心とした困りごとであろうとも、力になれることは嬉しいことでもありました。

 下の子どもの年齢が二桁になる頃、私が東京で勤務することになりましたが、東京から駆けつける形で、月1面会は継続していました。
 そして、2011年3月11日 東日本大震災が発生しました。
 ショートメールで二人の生存を確認し

「生きていてくれた、もう、後は何も望まない」
と、天に感謝しました。
 それから12年、私も娘たちも、生をいただいてます。

 私はnote街を中心にSNSで「福島太郎」という生を受け3年になります。
 この3年の間にnote街を去った方々がいます。
 私は、この3年の間に「書き手」として立派な花を咲かせることはできませんでした。

 悲しい、寂しい、残念、どうしてとかの、色々な感情が駆け巡り続けます。けど

「生きていて」

 いや、そうじゃない。
 会えなくても、言葉を交わせなくても、記事を読めなくても、お互いに、辛いことや、しんどいこととか、ネガティブなことがあったとしても、魂が天に駆け登ったとしても

「光をありがとう」

 これまでの交流に、光に感謝しながら、今日を生きていく。
 明日を目指して生きていく。
 私たちはまだ生きているんですから、大事なのことは、これからどうしていくかです。

光は人の想い、人の意志
流れ、受け継がれ、紡がれて大きな光となる
世界を流れて海に至り、天に昇りて、地に降り注ぐ
世代を越え、時代を越えて輝く命となり、清らかな明るい未来へと進む
正しく、直き誠の心へと人を導く
光流るる阿武隈川

福島太郎著:光流るる阿武隈川より

 過去に感謝し 今を受け入れ 未来を夢見て生きていく
#何を書いても最後は宣伝
 光流るる阿武隈川は、こちらです。

 福島太郎は「文学フリマ東京36(5月21日)、文学フリマ大阪11(9月10日)」に出店を予定しています。
 また「文学フリマ岩手(6月18日)」は出店の抽選待ちですが、出店できない場合は、遊びに行く予定です。
(こっそり、恋する旅人からも、一文を引用しています)


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サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。