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嫌われてでもやるべきこと

本日もお読みいただきありがとうございます。

自分の常識は往々にして通じない。というのは恐らく誰しもがうっすら理解できるし経験したことがあると思います。

私は田舎の中小企業の役員で30代ですが、幼いころから社長の父親を見て育ち、同じような経営者(候補)の人たちとたくさん接してきました。そんな彼らがこぼす愚痴を長いこと聞いているとまあ平成生まれの私ですが思考が昭和世代の考え方に染まるわけで、立場が上の人間が何を考えているのか部下や社員にどう動いてほしいのかどう感じて欲しいのか理解してほしいのかということをうっすらわかっていました。

人間いろんなことにストレスを感じるものですが、私はとりわけ他者への共感性が低く傲慢な性格をしているので自分が出来ることが他人が出来ないことにとてもストレスを感じます。

そうするとどうなるのかというと基本的に指導するべき後輩や部下に対して非常に厳しくなります。逆に言うと自分が出来ない領域や知らないことに対して知見や行動力を持っている人は立場に関係なくリスペクトを持って接することが出来るので、向こうがどう思っているのかは分かりませんが比較的良好な関係を気づけていると思います。

そして先述したように私はどちらかというと目上の人に好かれやすいムーブを意識的にも無意識的にも出来ます。まあ下っ端根性が染みついてるだけなんですが・・・そうすると下っ端根性が出来てない社員に対してすんごいストレス溜まるんですよね。

大きな声ではっきりと返事が出来ない、言われたことに対してネガティブなリアクションから入る、誘いを即断る(次の機会を提案しない)、よくわからないままで返事をしたり話を進めてしまう・・・などなど、他にもたくさんあるのですがとりあえず今パッと思いつく中でここ数ヶ月でイラっとした出来事が列挙されていますね。

ここで難しいのが
1.あくまでも私が心がけていること、当たり前に出来ることなのでやらなければいけない理由は無い。
2.1にも書いてある通りルールや規範として定めているわけではないので指導の仕方も非常に曖昧になってしまう。「大きな声で挨拶しましょう」と全体に投げかけるのが精一杯で個別指導や指摘になると面倒くさいことに発展するリスクを孕む。

というようなことがありまして、社内的にはベテランと若手の意思疎通がいまいちハッキリ出来ていなかったり当たり前のことが当たり前じゃなかったりそれを指導するのが難しくなってきています。

ここで必要になってくるのがいわゆる「老害」と呼ばれる存在でしょうか。規律や細かい行動に至るところまで指摘して時には怒鳴り散らしてでもその重要性を訴える役割が組織には必要だと思います。

私はいまだ30代で経験が足りないといいますか、細かいところまで突っ込めるほど物事を把握してませんしそもそもの性格が適当で物事をなあなあで済ませてしまいがちなので嫌われ者を演じることが出来ません。

しかしまあ如実に感じるといいますか、仲がいいだけや雰囲気がいいだけの職場やチームでは決して強くなれないのです。同じ目標を抱きながら自分にも味方にも厳しい目線を向けられる人が必要になります。

なかなか出来ることじゃありません。技術や知識面で現場や部下に舐められてはいけないのでプレーヤーとして高いレベルにいなければいけないことに加え、管理者として経営者に近いものの見方が出来なければいけません。うちの会社で言えば私ですね・・・いやあ社内の勉強がまだまだ足りないし言うときは強く言わなきゃいけないのは分かってるんですがなかなか。

本日はここまで
常識なんていうのはあって無いようなもの、とは心がけているつもりですがやはり非言語領域といいますか、改めて言葉にしなくても振る舞いを分かってくれる人って本当にいないんだな、と痛感します。他人事のように言ってますが私もどこかで誰かに「あいつは何も分かってねえから言っても無駄だ」と思われてるんでしょうけどね。
また今度


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