Threads参入で思う「嫌なら見るな」の精神の大切さ
Threadsとかいうインターネットが始まりましたね。昨今のTwitterくんのAPI制限その他のおしまいっぷりもあり移住先としての注目度も高まっていたSNSです。僕も登録しました。
インターネットの文化は好きだけどあんまり新しいアイティーには興味ないというか覚えるのめんどくさいという僕ですがやむをえず始めることにしました。全てはイーロンくんがTwitterでむちゃくちゃしてるのが悪い。
そんで新顔のスレッズくん。フェイスブックさんやインスタさんとこのご親戚ということで、まあなんかそっち系の顔をしてました。文化祭とかで中心的になって盛り上がってるタイプ。サッカー部。ディズニーランドでなんのためらいもなく耳を買ってつけられる。
PCから投稿できないとか検索が弱いとかいろいろありますが、やっぱり一番はフォローした人だけのタイムラインが組めないというのがアレだなと思いました。みんな言ってるけど。
登録した当初、知らんねえちゃんの自撮り写真と一儲けしてやろうと思ってるうさんくさい投稿がいっぱい流れてきてきつかったです。フォロー増やすと少し変わるけど今でもいっぱい出る。
普段話さないのに文化祭のときだけ「一緒に頑張ろうぜ~!」とか言って話しかけてきて、「みんなと仲良くできる俺すげー」で気持ちよくなって、イベントが終わったらフル無視に戻るみたいな。別にいじめたりしないけど知らん顔みたいな。そういう悪意のない冷たさをおすすめシステムのタイムラインからは感じました。やめてくれないか。そっちのノリでこっちの心を弄ぶのは。
我々(クソデカ主語)のようなクラスの隅っこでラノベを読んでいるハイリーセンシティブパーソンはそういう複雑な距離感に悩みまくった末に1人1人をフォローし、リストを作り、自分が呼吸のしやすいタイムラインを築き上げているのであって、「おすすめ」みたいなのはいらんわけです。別にあってもいいけどそれはサブ的なものでいい。
それができるからTwitterにいるんだなあと再認識しました。Twitterくんはクラスの陽キャともオタクグループとも絡める中間層ちょいオタク寄りの性格で、直すところもたくさんあるけど憎めないやつという感じでした。最近家庭の事情でお母さんがおかしくなってアレになっちゃいましたが、なるべく根っこの部分はそのままでいてほしいと思います。
古のインターネット格言に「嫌なら見るな」というものがあり、歴史の中でさまざまな解釈をされてきましたが、一部の人種にとってこれは自衛であり真理であり心理でもあったと思うわけです。時代の流れとともにそうしたものを自分で選べなくなったりAIが代替したりしていくのだとしたら、その先で自分はどんな風に呼吸をしているのだろうか。そんなことを思いました。
ついでにインスタもはじめました。がんばります