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未来の建設業を考える:「想定内と想定外、人工と自然」

「想定外」と「想定内」

 「想定外」と「想定内」、「人工」と「自然」、「破壊」と「創造」、すべて対立概念として整理される。しかし、言葉の本質を考えると、必ずしも対立した概念でないことがわかる。
 今回の震災における大津波やそれに伴う原発事故において、良く「想定外」という言葉で語られるが、想定外でも、想定外までも対象にした準備やリスク回避策を構築しておくことで、いざというときの的確な行動を促し、大きな被害を防ぐことができる。
 想定外を想定することができる。

自然の摂理

 東日本大震災震災でも、自然と対峙するコンクリート建造物や人工的に植林された松林が壊れたり、倒れたりする一方で、古来の自然植生であるブナ林や神社の森は、今回の津波でも残っている。自然と向き合い、自然の摂理をわかっていることが、長年の災害や経験でわかっていたからの結果ではなかろうか。
 人工と自然も、同様に、自然から学ぶ人工物を造ることにより、対立概念を解消することができるはず。

自然の真理に学ぶことが必要

 津波で電柱が簡単になぎ倒されているのに、隣の自然な木が残っていたりする。根の張り方が地下3mもあるような広葉樹とコンクリートで固めた電柱の根っこの差が如実に現れている。また、本物の木は津波を分散するように受け止めるが、電柱はまともに津波の力を受け止めてしまう。自然の真理に学ぶことが必要だ。
 

自然を活かした、自然と共生した人工物

 だからと言って、人工物を否定するものではない。むしろ、自然を活かした、自然と共生した人工物のありようを探るべきである。電柱の基礎に木の根の形を応用するとか、外部エネルギーが無くとも動き続けられる生物の仕組みに学ぶとか、たった数十年の発達以上に40億年以上の自然の経験や進化の結果を真摯に学び直すことが、今こそ、必要なのではなかろうか。
 ダムや堤防などの人工物も必要だと思う。しかし、設計の際、どこかで自然の力を取り入れるような設計をするとか、想定を超えても、自然の力が分散できるような方法を自然から学ぶとか、科学の対応を超えた設計が可能ではないか。むしろ、そのようなことを少しでも取り入れた設計を行うべきであろう。

自然と調和された建築

 すべてが人工でも、すべてが自然でもない、より人工と自然を調和させた設計を行い、技術力を向上させることが求められている。
 自然と調和された建築は、すでに様々な点で活用されている。安藤さんの渋谷駅では、自然換気を取り入れたり、日光を駅構内に取り込み、余分な電力を使わないようにするなど、いろいろな工夫がなされている。
 自然を人工に、いかに取り入れ、協調させるのか、エネルギーを消費する建築から、エネルギーを活用し、生み出す建築が、今、まさに求められていると思う。
 想定内と想定外、自然と人工を対立概念としてとらえるのではなく、それぞれの本質を見極めたうえで、対立概念の良さを取り入れ、建築や技術として昇華させることが、今、まさに必要なことだと思う。
 想定内も想定外とできるし、人工も自然とできる。
 ぜひとも、対立概念から学び、次世代への発展へとつながることに期待したいものである。

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