小じさん第二十二話「老爺」
僕が少し前までよく通っていた書店がある。その店は昔からある個人店で、家族で代々継いでいるということだったが、出版不況もあり、ついに継ぐ者が出なかったのか、足の悪い老爺がひとりで切り盛りしていた。建物は外も内もかなり古びていて、板張りの床は歩くとところどころ軋む音がした。どれも端が擦り切れ変色した、いつの時代のものだからわからないポップの数々が、神経質なほどきっちり均等な間隔を空けて壁に貼られていた。当然、店内の棚に陳列されている書籍とそのポップとの間の関連はすでに失われていた。
そこは選書の趣味がよかった。いたずらに流行の本を売ろうとはしない。経験に裏付けられた玄人の目で世間を見、時代を見、その洞察によって丹念に仕入れる本を選んでいた。その姿勢が僕を惹きつけ、僕を何度もそこに通わせたのだ。
外装や内装といった余分な(少なくともその老爺からみれば余分な)要素に気を配らないのは、単にその余裕がなかったからだろう。ひとりで店を回すには、老爺はあまりにも老いていた。
老爺は足は悪いが目は恐ろしく良く、レジから最も遠いところにある棚に陳列されている本の背表紙を「右から順に読み上げてやろうか?」と得意げに言った。それはいつやっても全て正解するのだった。暗記しているのではないかと疑い、後で元通りにする約束で出鱈目に並べ替え、老爺に読み上げさせた客がいたが、それでも老爺は全て順番通り正確に読み上げるのだった。
老爺はそのおちゃめな性格ゆえに、地元客に人気だった。老爺と話すことを目的に店に足を運ぶ客も珍しくなかった。
老爺は、頭はひとつも衰えていないというように、会話はいつも明晰だった。論理的に会話を運び、ときにさしはさむおちゃめなジョークも客を飽きさせないポイントだった。
ただ、老爺が言うジョークの中で、ひとつだけ意味がよく分からないものがあった。会話の途中で唐突に5秒ほど目を閉じ、また唐突に目を開いたと思えば、「ちょっと、ばあさんのとこ行っとったわ。ふぉっふぉっふぉ」と言うのだった。会話の文脈に関係なくいつも唐突で、目を閉じている間は生気の抜けたような、血色もこころなしか悪いようなので、客は唖然とした。
何かの病気を疑って病院にかかるよう勧めた客もあったが、老爺は「大丈夫。わしの魂はまだ帰る場所を誤ったりはせん」と、またよく意味の分からない返しをするのだった。
老爺の妻だった人が亡くなってからもう10年経つと、老爺はよく言っていた。
「ばあさんはな、もう、それはそれはべっぴんさんでな、おまえさんたちにも若い頃のばあさんを見せてやりたかったわい」
老爺はよくこう言った。
写真は一切残っていないとのことだった。思い出して悲しくなるから全て捨てたのだという。
老爺は少し前に亡くなった。老衰だったとのことだ。老爺は息を引き取る直前までピンピンしていて、いつもと変わらず書店で働いていたという。客と饒舌に話していたところ急に目を閉じ無言になったので、その場に居合わせた者は、またあのよくわからないジョークだろうと思ったらしい。しかし、そのときはそのまま膝から崩れ落ち、抱き上げた客が老爺が呼吸をしていないことを確認し、救急車を呼んだとのことだった。
馴染み客は皆悲しんだ。
もちろん僕も深く悲しんだ。
以来、その書店は放置されている。表の扉の鍵が固く閉じられ、暗い店内には老爺が亡くなった当時のまま本が寂しげに並んでいる。老爺には親族があるらしいのだが、この書店をどうするつもりなのかは定かではない。
そういえば、小じさんが僕の前に姿を現すようになったのは、その老爺が亡くなった後だった気がする。それらに関連があるかどうかはわからないが。
■これまでの小じさん
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