小じさん第16話「遊園地と小じさん 3」
みっちょんの頭頂から小じさんの顔が私に向けられている。私はその顔を見る。何もない顔。のっぺらぼうの顔。
互いに顔を向け合う私たち。しかし、小じさんの姿が見えるのはこの場に私しかいない。
「サヤちん、どした? ……え、まさか! 私、後退してる!?」
みっちょんは私におでこをじろじろと見られていると思い、髪の生え際あたりを手で押さえた。
「大丈夫、だいじょうぶ。その兆候は今のところないみたい……ごめん、ちょっとぼ~としてただけ」
「よかったぁ~。拙者まだピチピチの二十歳でござるよ」
「何故“拙者”? “ござる”? ていうか、早く帰ってあげなきゃでしょ? お母さん」
「あ、そうだった、そうだった!」
「そうだったって……」
何か怪しい気がする。私が訝しむように細めた目を向けると、みっちょんはバツが悪そうな顔をして、頭を掻いた。
「そんじゃ、あとはよろしくやるでござるよ〜」
そう言って、みっちょんはクルッと私たちに背を向け、走り去っていった。同時に、みっちょんの頭頂から小じさんが飛び降りる。着地に失敗し、すっ転び、「いて!」とか言っているが、私にはどうでもいいことだ。ていうか、私は今それどころではないのだ。
「お母さん、心配だね」
遠い目をしてみっちょんの背中を見送るりょうくん。
「そ、そうだね……」
それもそうなのだけれど、私は私たちのこれからのことも心配だった。遊園地にりょうくんと二人きりで取り残され、いったい私はどうすればいいというのか。
小じさんは、身体に付いた砂塵を払うようなしぐさをしながら、こちらにてくてくと歩み寄ってきた。私とりょうくんの立っている位置のちょうど中間あたりで立ち止まる。
「…………」
どうして何もしゃべらないのだろう。ただただ邪魔なんですけど。
「そしたら、お言葉に甘えて、今日は僕たちだけで楽しもうか」
「そ、そうだね!」
小じさんに気を取られていて、調子っぱずれの反応になってしまった。
「よかった、元気そうで。ひょっとして、僕がいたら迷惑なんじゃないかなって、心配してたんだ」
「そんなことない! この遊園地いちど来てみたかったし、りょうくんともゼミ以外で遊びたいって思ってた!」
私は改めてジャージ姿の自分が恥ずかしくなってきた。しかし、もうそれは解決済みだ。考えない考えない……。
「よし。それじゃ、早速で悪いけど、僕が一番乗りたいと思っていたアトラクションからでいいかな? その次はサヤさんの。順番に行こう」
なんだか、流れを作ってくれて助かる。
私たちが動き始めると、小じさんも後からとことこと付いてきた。
ありえない……。
「……え、うそ」
りょうくんが私を導いた先には、いわゆるジェットコースターがあった。
「もしかして、苦手だった?」
りょうくんが、苦手なら他にしようと言わんばかりの遠慮がちな目で私を見る。その通り。私はジェットコースターがとてつもなく苦手だ。
私は足元にいる小じさんに視線を送る。こんなときにどうして私は小じさんに助けを求めるのだろう。そして、相変わらずそこにいるだけで何も言わない小じさん。やっぱり、邪魔だ。
「す、好きだよ。ものすごく好き。まさか、りょうくんと乗りたいもの一緒だなんて思ってなかったからびっくりして」
我ながらよくもまあこんな嘘が口から出るものである。言ってしまった嘘はもう取り返せない。
「ほんと? よかった! じゃあ、並ぼう」
そのときのりょうくんのはしゃぎようは子どもみたいだった。……ていうか、私たちはまだ半分は子どもか。もう、子どもでいられるのもあと数年。大学を卒業したら、社会に出て仕事をしなくちゃならない。自立した一人の大人にならなければならない。ほんとうに、なれるだろうか? 分からない。大学を卒業すると同時に、指をパチンと弾いて「はい、スタート」みたいに、都合よく大人に切り替われるとは思えない。子どものまま社会に突っ込んでいく気がする。それでほんとうにいいのだろうか。
「サヤさん!」
りょうくんに呼ばれて気づいた。私がぼ〜っと立ち尽くしているせいで、私の後ろのお客さんたちが列を前に詰められずに困っていたのだ。
「すみません」
私は後ろのお客さんに謝って、小走りに列を詰めた。
「ごめん、ぼ〜っとしてた」
「具合悪い? どこかで休む?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと考えごとしてただけだから」
りょうくんは心配そうな表情は変えなかったが、それ以上は聞いてこなかった。彼のこのあたりの距離感がとても助かる。
小じさんも私たちに付いて並んでいる。もういい。ついて来たければ、ついてくればいい。どうせ後で、今日一日のことに勝手なコメントするんだろうけど、好きにすればいい。
ほどなく、私たちはジェットコースターに乗った。安全バーを握る手が震えた。そこでもりょうくんに「大丈夫?」と問われたが、私は「武者震いよ」と返した。勝手に動く口が憎い。
さすが、この遊園地の目玉とされるそれは、スピード、角度、カーブ、どれをとっても一級品だった。私はりょうくんの隣であられもない絶叫を上げた。溢れる涙も止めることができなかった。小じさんは、私とりょうくんの間に座っていた。当然、小じさん用の安全バーなど無かったが、小じさんはコースターの走行中、ずっと安定して座っていた。いったいこのお人はどんな物理法則の下にいるのか。
コースターが走行を終え、終着点に付くと、さすがのりょうくんも本気で心配する様子で「ほ、ほんとに、大丈夫?」と聞いたが、「大丈夫! あ〜怖かった。これがたまんないのよ!」と、私の口は最後までよい働きをした。
しかし、さすがに疲れた私は、飲み物でも買ってベンチで休む提案をした。それは快く受け入れられた。
「はい、どうぞ」
ベンチでダウンしている私に、りょうくんが缶コーヒーを買ってきてくれた。まだ痺れが残っている手で、私はそれを受け取る。
「無理して合わせなくても良かったんだよ?」
私の隣に腰掛け、同じく缶コーヒーを手にプルタブをカチッと開けながらりょうくんが言った。気付かれてた?
「そりゃ、そうやろ」
ここでようやく口を開く小じさん。私とりょうくんの間にちょこんと座っている。もう、殴り飛ばす元気もないくらいに私は疲弊していた。
「あ、先に開けたこっちをどうぞ」
と、お互いの缶コーヒーの交換を提案するりょうくん。さりげない気遣いがありがたい。
りょうくんは私から受け取った缶コーヒーをカチッと開けて一口飲んだ。私もりょうくんから手渡された缶コーヒーを一口飲む。冷たい感触が、つーっと喉を通ってお腹に達する。
私たちは無言でコーヒーをすすった。その間、小じさんも何も話さなかった。ふたりとも缶コーヒーを飲み干したとき、私の体調はほぼ元通りになっていた。
「恋って何だろうね」
私はびっくりしてりょうくんの顔を見た。りょうくんは人の往来に視線を向けていた。そこにはカップルや家族連れ、友達グループなど、様々な人々が行き交っていた。
「僕、実は今日、サヤさんに告白できたらいいなって思ってたんだ」
「そ、そうなの……」
頭が話題に追いつかない。けれど、りょうくんの口調から、この後の話の流れはなんとなくわかった。そしてそれは、決して私の意にも反してはいないだろうと思った。
「でも、やめた。たぶん、僕のこの気持ちは恋じゃない」
りょうくんも一緒なんだ。
「サヤさんの様子を見ていて気付いたんだ。自分で言うのは何だか恥ずかしいし、ちょっと傲慢な気もするけど、サヤさんが僕に好意を持ってくれていることはすごく伝わってくる。でも……」
りょうくんはそこで言葉を切り、手元のコーヒー缶に視線を落とした。缶を手の中でくるくると回しながらひとしきり眺めた後、思い出したようにまた往来に視線を戻して言った。
「それが恋ではないこともまた伝わってきた。そして、今一度自分の胸に手を当てて聞いてみた。僕はサヤさんに恋をしているか? 答えは否。サヤさんと同じで、僕もサヤさんに好意は抱いているけど、恋をしているわけではない。……ごめん、決めつける言い方になっちゃったね」
「ううん。りょうくんの言う通り。私も恋って何なのか、よくわからないの。私もりょうくんと付き合ったらどんなだろうって想像したことはある。……でも、何だかしっくりこなかった。それが、自分の本当の気持ちかどうか、分からなくなって」
すると突然、りょうくんが吹き出した。私が驚いたような目で見ると、りょうくんは「ごめんごめん」と謝った。
「いや、こうまで全く同じ状態だとは思わなくて、ちょっとびっくりした」
そしたら、私もなんだか可笑しくなってきて、一緒に笑った。「何がそんなおもろいねん」と小じさんの呟きが聞こえた気がしたが、無視した。
「たぶん、恋をするには、僕たちはもう一歩相手に踏み込まなくちゃいけないんだと思う。精神的に。けど、そうするにはいろいろなことの準備がまだ整っていないんだと思う」
「いろいろなことの準備」
私はりょうくんの言葉を繰り返した。たしかにそうかもしれない。私たちは、自分が恋をできるコンディションに無いのかもしれない。いつそのコンディションが整うかなんていう見通しもないのだけれど。
「ただ、これを言わないとズルいな。実は僕、このことを他の人に相談してたんだ」と、りょうくんの声のトーンが微妙に変わる。そして慌てて付け加えた。「あ、でも大丈夫。サヤさんと僕の共通の知り合いとかではないから」
「そ、そうなんだ」
それを聞いて、私は何だか変な感じがした。恋の相談を友達にすることなんてよくあることだから、別に言わなくてもいいんじゃないか。
しかし、同時に私の中にも引っかかるものがあった。
「ただ、説明が難しくてね。人じゃないっていうか、正確には人かどうかわからないっていうか……」
ここで私は嫌な予感がしてきた。そして、りょうくんの次の一言でその予感は確信に変わる。
「今も実はここにいるんだけど」
そこで急に小じさんがパチンと手を叩いた。
「はい、そこまで。ほな、そろそろ喋らさせてもらうで」
(つづく)
■これまでの小じさん
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