エリザの音楽

エリザの音楽

1. KEEN結成編 前編

「人生を変えた出会い」と言われたら、剣持エリザとの出会いを真っ先にイメージする。彼女との出会いがなければ、きっと全く別の人生を歩んでいたと思う。

エリザと出会ったのは高校一年生の時だ。たまたま、僕の前の席に座っていた。だから、自然と会話するようになった。僕の苗字が小橋でなければ、仲良くならなかったんじゃないかな。

最初にどんな会話をしたのか、今となっては全く覚えていない。宿題の場所、小テストの範囲、たぶんそんなことを話したんだと思う。

彼女はあまり数学が得意ではなかったので、たびたび僕に聞いてきた。僕は英語があまり得意ではなかったので、よく宿題を写させてもらった。

中間考査前には、学校に残って一緒に勉強した。確か、土日もわざわざ学校に来ていた。他にも何人かで一緒に勉強した記憶がある。それでみんなと仲良くなって、中間考査が終わると、打ち上げと称して、みんなでカラオケに行った。

エリザは抜群に歌が上手かった。ただ上手いだけじゃなくて、力強い歌声が彼女の特徴だ。だから、毎回マイクの音量を下げ、エコーを弱めていた。「声小さくして歌えばいいじゃん」と言うと「それじゃあ、気持ちよく歌えない」と言ってきた。「歌は気持ちよく歌うのが重要」らしい。

「へー、じゃあ俺もでっかい声で歌ってみようかな」

中学までは野球部で、毎日大きな声を出していたから、声の大きさには自信がある。顔が真っ赤になるくらい力を振り絞って歌った。確かに気持ちいい。

「ね、気持ちよかったでしょ?」

「気持ちよかった。歌うのってこんなに気持ちいいんだね」

「ねえ、小橋くん。よかったらミュー部に入らない? 今ボーカル探してるんだ」

「ミュー部?」

「ミュージック部。バンド活動する部活。知らないの? 私ミュー部に入るために、この高校入ったんだから」

そんな部活あったんだ。ボーカルかぁ。ちょっと恥ずかしいな。

「私のバンド今のところボーカルがいなくて、このままだと私がギターとボーカルの両方をしないといけなくなりそうなの。でも私は男ボーカルのバンドをやりたいし、ギターに集中したいの。お願い!」

女の子にお願いなんてされたことなかったので、僕は簡単にエリザの誘いを受け入れた。男子高校生とはそういうものであったなと、今思い出しても苦笑する。

こうして、僕はミュー部に入ることになったのである。


2. KEEN結成編 後編

「同じクラスの小橋エイジくん。ボーカルやってくれるって!」

エリザは興奮気味にベースとドラムの二人に僕を紹介した。

ベース担当は渡辺コウイチ。全くの初心者でありながら、新入生歓迎ライブでミュー部の演奏に感動し、入部を決めたらしい。新入生歓迎ライブなんてあったの知らなかったと僕が言ったら、「もったいないことしたね〜、小橋くん。人生の半分損したよ」だって。それは残念なことしたな。

ドラム担当は工藤ノリヒロ。同じく全くの初心者である。コウイチと同じ中学で、コウイチに誘われるまま新入生歓迎ライブに行き、感動したコウイチに誘われてミュー部への入部を決めた。コウイチがベースをやりたいと言ったので、ドラム担当になったらしい。そして、ここまでの説明は全てコウイチによってなされた。ノリヒロは無口なやつなのである。

唯一の経験者はギター担当の剣持エリザである。自然に彼女がバンドのリーダーとなった。

「同じ学年の部員は他にいないの?」

「いるいる。甲斐くんたちのグループと、樋口さんたちのグループ」

甲斐くんたちはボーカル以外が全員経験者らしい。できれば経験者だけでハード・ロック/ヘヴィ・メタルをやりたいということから、コウイチとノリヒロはお断わりされたらしい。ギター担当の甲斐くんと仲の良い相馬くんもギター担当だったことから、エリザも除外された。

樋口さんたちは全員同じ中学の仲良し四人組だ。みんな初心者である。最初から四人でバンドを組むことを決めて入ってきたので、誰もそこに入る余地はなかったらしい。

「つまり、私たちはあまりものなのです!」

エリザたちは僕に「ごめんよ」と笑いながら謝った。僕も一緒になって笑った。このメンバーでバンドを組めて良かったと思ったのを今でも覚えている。

「さて、私から提案です。みんな名前呼び捨てにしない? バンドのメンバーって感じがするじゃん?」

「いいね。じゃあ、よろしくエリザ」

エリザの提案にコウイチが乗る。ノリヒロは黙って頷く。僕が反対する理由はなかった。「よろしくね、エイジ」ってエリザに言われたときは、ちょっとドキッとしたかな。「よろしく、エリザ」っていう僕の声は心なしか震えていたし、めちゃくちゃぎこちなかったと思う。

「次に、バンド名をどうするかだね。みんな何かいい名前ある?」

「うーん」としばらく考えこんでいると、コウイチが、

「みんなの名前のイニシャルをつなげてさ、KEENにしない? ほら、コウイチのK、エリザのE、エイジのE、ノリヒロのNでさ」

ちゃっかり自分のイニシャルを一番前に持ってくるあたりコウイチらしいが、みんな代案もなく反対する理由もなかった。

KEENの結成である。


3. 夏祭りライブ編 前編

ミュー部の一年生は毎年、高校の近くで行われる地域の夏祭りのお手伝いをすることになっていて、盛り上げ役としてライブをすることになっている。

「二曲用意しなきゃいけないんだけど、何かやりたい曲ある?」

地域の夏祭りであるため、みんなが知っている曲が望ましいらしい。

「初心者に優しい曲がいいよな、ノリヒロ」

ノリヒロは黙って頷く。コウイチもノリヒロも初心者すぎて、最初にどういう曲をやったほうがいいのかさえ、わからないみたいだ。

「てことで、最初はエリザが決めてほしい。僕たちが挫折しない曲をお願いね」

「私はいいけど、エイジはいいの?」

「まあ、特にやりたい曲があるわけじゃないし、僕は歌うだけだし、いいと思うよ」

ということで、エリザが曲を選ぶことになったのだが、このとき自己主張をしなかったことを翌日激しく後悔した。

エリザが選んだのが、英語の曲だったからである。

「これ英語の曲じゃん」

「そうよ。みんな知ってるし、歌いやすいし、ベースもドラムも簡単。夏祭りにピッタリでしょ!」

「いいね〜、さすがエリザ。お前もそう思うよな」

ノリヒロは黙って頷く。コウイチはノリノリである。いやいや、英語は覚えるの大変でしょ。僕は嫌だなぁ。しかし、反対できるような雰囲気ではなかった。仕方ない。

「じゃあ、来週までにここまで練習してきてね」

エリザは三人に楽譜を手渡し、赤線でラインを引いた。

「こんなに短くていいの?」

「まあ、最初だし、様子見ってとこだね。いけそうだったらどんどん先まで練習していいよ」

ミュー部は音楽室で活動するのだが、スペースの都合上、バンド練習ができるのは1バンドだけである。バンド練習する以外は、空いている教室を使うか、家で練習するか、自由にして良いことになっている。

ノリヒロはトレーニングドラムセットを購入したらしく、コウイチはノリヒロの家に自分のベースアンプを置いて一緒に練習するらしい。

じゃあ、教室で一人で歌うのも恥ずかしいし、僕も帰って家で歌詞を覚えようかなと思って帰ろうとしたところ、

「ちょっと、エイジ! なに帰ろうとしてるの? 一緒に練習するよ!」

エリザに捕まった。

「え? 練習?」

「ちゃんと歌わないと上手くならないし、エイジは英語の発音がダメダメだから、私が教えてあげる!」

空いた教室を探し、二人きりで歌の練習することになった。


4. 夏祭りライブ編 中編

エリザが歌ったところを僕が続けて歌うという方式で練習は始まった。

Repeat after Eliza. である。エリザは本当に歌が上手い。英語の発音も日本人離れしている。なんでも、小学生まではニューヨークにいたらしい。

「ダメダメな発音だと、せっかくの歌が台無しになっちゃうからね」

じゃあ、日本語の歌にすればよかったじゃないか。英語の歌を選んだのはエリザだろうに。

「エイジだけ楽したらダメだよ。コウイチもノリヒロも頑張ってるんだから」

それを言われると、何も返す言葉がない。

こんな感じでエリザの個人レッスンは夏祭りまで続いた。僕が疲れたり、飽きて集中力がなくなったりすると、エリザは歌詞の意味について解説してくれた。

「この際、英語の勉強もやっちゃおう!」ということで、学校の勉強や簡単な英会話も教えてくれた。僕も特別やることがなかったから、空いた時間もずっと英語の勉強をしていた。おかげで二学期以降、英語は得意科目になった。

コウイチとノリヒロは最初こそ苦労したものの、地道な練習を続けたことにより、バンド練習で一曲通して演奏できるまでになった。

「なんかバンドって感じだよな! いいな、これ!」

一曲通せたときのコウイチはとても感動していた。ノリヒロは黙って頷いていたが、頷き方に感動があらわれていた。

僕もバンドの楽しさがちょっとずつわかってきた。歌うにしてもカラオケとは違う生音のよさがあるし、みんなで協力して一つの音楽を作っていくのは、とても楽しい。エリザが誘ってくれなかったら、一生経験できなかったのかもしれない、と思うと彼女に感謝しかなかった。

エリザはエリザで、同年代でバンド活動をするのは初めてらしく、練習ではあるものの一曲通せたときには、めちゃくちゃはしゃいでいた。エリザってこういうはしゃぎ方をするんだ、と思ったことを今でも覚えている。

一曲通せるようになった後は、エリザの指示によって上手く出来ていない部分の練習をしつつ、二曲目の練習に入った。二曲目が通せるようになったのはすぐだった。僕たちは自分たちの成長を感じていた。

そして、ついに夏祭りライブ当日がやってきた。


5. 夏祭りライブ編 後編

一年生の三つのバンドの出演順を決めるべく、エリザと甲斐くんと樋口さんがジャンケンをした。エリザ勝利!

「じゃあ、トップバッターで!」

え!? なんでトップバッター? こういうのは普通勝ったら二番目を選ぶんじゃないの?

「私たちがライブの流れを作るのよ! ライブの成功はいい流れを作れるかどうかにかかっているの。一年生みんなでいいものを作りたいじゃん! 夏祭りを盛り上げよう!」

僕は自分たちのことしか考えていなかったが、エリザは全体のことを考えていた。でも、いい流れを作るって相当な自信だ。上手くいかなかったらどうするのか。

「大丈夫大丈夫! あんなに練習したんだもの。上手くいくに決まっているわ」

エリザに言われると不思議と自信がみなぎってくる。

「よし! やってやろうぜ!」

コウイチが気合を入れる。ノリヒロもやってやろうぜ、と目で語ってきた。

一曲目の演奏が始まり、歌い出しが上手くいくと緊張はどこかに吹き飛んだ。夢中で歌った。今の自分の全力を出そう。そう思っているうちに一曲目があっという間に終わった。

歓声と拍手。他の一年生が盛り上げ役に回ってくれたのもあって、地域の皆さんも温かい声援を送ってくれた。うれしい。ライブってこんな感じなんだな。

演奏をする側と聞く側という感じじゃなくて、みんなで一つのものを作り上げていくっていう感覚。

二曲目が始まる。また全力で歌う。みんながノッてくれる。左にエリザ、右にコウイチ、後ろにノリヒロを感じる。

ギターソロでエリザがステージ前に出る。身体全身で弾いているみたいだ。すごい。みんなを煽る。煽る。もっと盛り上がろうぜ!

練習では見せなかった姿だ。みんなのまとめ役に徹してくれていたから、今まで自分を抑えていたのだろう。

これがライブだ。私についてこい。エリザはそう言っているみたいだった。

カッコイイ。

語彙が貧弱すぎるけど、そうとしか形容できなかった。

あんな風になりたい。エリザに追いつきたい。

はっきりとした目標ができた。

僕はこれ以後、真剣に音楽に取り組むようになった。

エリザに誘われたからやっているんじゃない、自分で音楽をやっているんだ。

そういう人間になったのである。


6. クリスマスライブ編 前編

僕たちKEENにとって夏祭りライブの経験は大きかった。

もっと上手くなりたい。メンバー全員が練習に励み、一つひとつ曲を完成させていった。11月になるのはあっという間だった。

ミュー部の次のイベントはクリスマスライブである。一年生は三曲ずつ用意することになった。

「クリスマスだから、クリスマスっぽい曲がいいね!」

コウイチは上達するにつれて、いろいろやりたい曲ができて、選ぶのに苦労しているみたいだ。

ノリヒロは絶対にやりたいという渾身の一曲を持ってきて、何回も聴いている。きっと僕たちにアピールしているのだろう。

「今回はみんなで一曲ずつ選んで」

エリザは今回曲選びを遠慮するらしい。

「夏祭りにやりたいものをやれたしね。エイジは歌いたい曲ないの?」

歌いたい曲か。最近何を歌ってても楽しいからな。だから、ギターのかっこいい曲がやりたいな。エリザがどんな風に演奏するのか気になるし。

僕が考え込んでいると、

「まあ、時間あるしゆっくり考えたらいいよ。とりあえずノリヒロが持ってきた曲から練習しよう」

エリザの言葉に、ノリヒロが小さくガッツポーズをするのを僕たちは見逃さなかった。

しかし、翌日トラブルが発生する。

エリザが体育の時間、バスケットボール中に左手首を負傷してしまう。病院に行ったところ、全治二ヶ月と診断された。

「本当、ごめん。これからクリスマスライブに向けてがんばろうっていうときに」

「いや、仕方ないよ。気にしちゃダメだよ。ライブにはギリギリ間に合うかどうかだね。その間、バンド練習どうしようか」

「甲斐くんにギターやってもらおうか」

エリザが提案する。すると、今までエリザとコウイチのやりとりを聞いていたノリヒロが、珍しく口を開いた。

「それだと、KEENじゃなくなる」

ノリヒロの言う通りだ。僕たちのなかには、今までKEENとして作りあげてきた「呼吸」みたいなものがある。別の人が入ると、それが壊れてしまいそうな気がする。エリザがライブにギリギリ間に合ったとしても、元のようにKEENとしてスンナリいくかどうかわからない。

「じゃあ、どうしよう」

みんなが悩んでいた。ギターなしで練習するか。でも全体の音を確認しないと修正ポイントもわからない。それは困る。

「あのさ」

ここで僕が一つのアイデアを思いつく。

「僕がギターやっちゃダメかな?」


7. クリスマスライブ編 中編

「エイジ、ギター弾けるのか?」

「最近買ったんだ。それで、ちょっと練習してた」

夏祭りの、ギターを弾くエリザに憧れたっていうのは、みんなには内緒だ。

「エリザには今回ボーカルをやってもらう。エリザの性格を考えたら、たぶんこのままいくと一ヶ月もしたら、治ってないのに『治った』って言い張って練習しだすと思う」

「確かに、エリザならしそうだね」

コウイチが笑って、ノリヒロが黙って頷くと、エリザが「そんなことないもん」と頬を膨らませた。

「ノリヒロがやりたい曲って女性ボーカル版あったよね? 今回それでいい?」

「うん、それでいこう」

ノリヒロが僕の提案に間髪入れずに同意したことで、コウイチも賛成にまわり、エリザは怪我をした負い目からなのか、反対しなかった。ただ、

「エイジは今回全く歌わないの? エイジの歌楽しみにしてる人いるかもしれないじゃん」

と言ってきた。

「僕が歌っている間、エリザは何してるつもりなの? エリザのことだから、たぶん居ても立っても居られなくなって、『私がギターやる』って言い出すよ」

「そんなことないもん」

また頬を膨らませる。

「それに、僕の歌を楽しみにしてる人なんていないよ」

と謙遜すると、

「私は楽しみなんだけどな。エイジの歌」

とエリザは言った。ちょっとドキッとした。じゃあ、歌おうかなと言ってしまいそうになった。

僕が黙っていると、

「じゃあさ、一緒に歌おうよ。そういう曲あるじゃん? クリスマスっぽいし、いいと思うんだけど」

その発想はなかったな。エリザと一緒に歌ったら、どんな風になるんだろう。

「ただ、ギター弾きながら歌うのって結構難しいんだよ。エイジ頑張らなきゃね」

それからはひたすら猛練習した。練習して、エリザにダメ出しをくらって、また練習。バンド練習して、自分の実力のなさを実感して、また練習。

ボーカルは喉を使うので、練習できる時間が決まっていたけど、ギターは時間がある限り練習できる。

指はかなり痛くなったけれど、それどころじゃない、自分から言い出した以上、みんなの足を引っ張ることは許されない、という気持ちのほうが強かった。

それに、ギターの練習は楽しかった。弾けなかったものが弾けるようになる、出せなかった音が出せるようになる。自分の成長が実感できて、夢中になってやっていた。

クリスマスライブ当日がやってくるのは、あっという間だった。


8. クリスマスライブ編 後編

クリスマスライブ、僕たちKEENはミュー部のトップバッターを任された。

僕はギターとしての初ライブで緊張していたが、同時に集中もしていた。

今日はMCをエリザがやる。エリザが合図して、ノリヒロがリズムをとってくれたら、自動的に演奏は始まる。それだけに集中すればいい。大丈夫だ。あれだけ練習したんだから。

一曲目が始まる。手を動かす。若干震えてた気がするけど、上手くいった。大丈夫だ。

周りが見える。みんなノッくれている。右でエリザが歌っている。コウイチ、ノリヒロの音をしっかり感じて、そこに僕の音を乗せる感覚。

いけ、エリザ! 思いっきり歌え!

ギターを弾いているうちに僕は自然とそういう気持ちになった。エリザはギターを弾いているとき、どういう気持ちなんだろう。あとで聞いてみよう。あっ、ミスった! ヤベぇ! エリザが睨む。いかんいかん、集中集中。

さあ、ギターソロ、練習の成果を見せてやる! みんな聴いてくれ! 僕はステージ前へ出て、みんなを煽った。気持ちいい。ギター楽しい。

一曲目が終わり、歓声が起こった。

「どーも、KEENです。今日は左手首を負傷した私に代わってエイジがギター、ベースはコウイチ、ドラムはノリヒロ、そしてボーカルは私、エリザでございます。よろしくお願いします!」

拍手と歓声。

「エイジやっぱり緊張してる? 演奏前ガチガチだったけど」

ここぞとばかりにいじってくるなあ。今度僕がMCのとき、仕返ししてやろう。僕は、僕の前に置かれたマイクスタンドのスイッチをオンにし、

「緊張してる。でも、ギター楽しいね。みなさん、盛り上がってくれてありがとうございます!」

再び、拍手と歓声。

「では、二曲目いきます! 盛り上がっていきましょう!」

エリザが合図し、ノリヒロがリズムをとる。二曲目は右手が難しい曲だ。集中しろ。親指と人差し指に挟まれたピックが、リズム良くギターの弦を弾いていく。いい感じ。

僕は、後ろに置かれたギターアンプから出る音に酔いしれた。何度も何度も練習したところが、一音一音しっかり出てくる。そして、僕の音をカッコよくしてくれる。魔法の箱だ。

二曲目は会心の出来だった。僕の今の精一杯を出せた感じ。満足だ。

「さて、最後の曲ですが、エイジも一緒に歌います。クリスマスなんで、ラブソングです。聴いてください」

僕は二曲目が上手くいったからなのか、三曲目は「上手くやろう」という意識がどこかにいっていた。練習のときは、ギターを弾きながら歌うという感覚だったのに、今はそういう感覚なしに自然に歌えた。声が出る。いい感じに出る。

エリザのパート。そして、僕のパート。順番に愛のコトバを奏でていく。

そして、一緒に奏でる。

エリザの声に僕の声が重なる。ゆっくり溶けて一つになる。気持ちいい。

この感覚は初めてだ。練習では味わえなかった。

やっぱ、ライブってすごい。終わってほしくない。もっとエリザと歌っていたい。ああ、でも終わってしまう。

最後の曲が終わってからの記憶がない。どうやって片づけて、どうやってステージから降りたか覚えていなかった。

「なんか、すごかったな三曲目」

コウイチが話しかけてきてやっと、僕は我に返った。

「そ、そう?」

僕はなぜか恥ずかしくなってしまった。そして、なぜかエリザを探した。夏祭りのときは自分の出番が終わったあと、すぐに樋口さんたちの演奏の盛り上げ役に回っていたエリザだったが、今日は椅子に座ってボーッとしていた。

「いや、練習ではあんな感じじゃなかったじゃん? 本番パワーってやつかな?」

コウイチはそう言うと樋口さんたちの演奏に盛り上がっているみんなのなかに入っていった。

僕もそのなかに入っていかなければならなかったのだけど、そのときは、すぐにそういう気持ちになれなかった。


9. 曲作り編 前編

「そろそろ僕たちも自分たちで曲を作らない?」

年明け、KEENのメンバーで初詣をしに行った帰りに、突然コウイチが言い出した。クリスマスライブで甲斐くんたちが自作の曲を披露して、大いに盛り上がった影響を受けたのだろう。まあ、確かにあれはカッコよかった。

「曲作りねぇ。なかなか難しいよ、私たちには」

「なんで?」

「私たちって、みんな好みのジャンルがバラバラじゃん? やりたい音楽に統一性がないんだよ。それでも、コピーバンドだと元々の音源があって、それに近づこうとするから、一曲の秩序が保たれる」

「それが自作の曲だとどうなるの?」

「例えば、私が曲を作ってきました。みんなに聴かせます。この段階では歌とギターだけ。それを元にコウイチがベースを、ノリヒロがドラムを、自分が演奏したいように作ったとする。そうすると、自分たちの好みが露骨に出るから、私が最初にイメージした曲とは全く別のものになっちゃうわけ」

「そうなるとダメ?」

「味付けをバラバラにしてるようなものだからね。目玉焼きを私が作りました。私は塩と胡椒で味付けをする予定だったんだけど、コウイチは醤油で、ノリヒロはソースで食べたいっていう感じ。全部混ぜたら美味しくないでしょ?」

喩えが的確なのかは置いておいて、そんな目玉焼きは嫌だ。

「そして、最大の問題がエイジよ」

え? 僕? なんで?

「エイジって何を歌っても『エイジ』って感じになるでしょ? どんな料理でもマヨネーズをかけて食べる感じ」

「確かに! わかる!」

コウイチとノリヒロは妙に感心していた。僕はよくわからない。

「私たちはコピーバンドをやってきたんだけど、元の曲とは全く別の曲になるじゃん? あれはエイジの強烈な個性のせいよ。アーティストとして絶対的な存在になれるから、ものすごい武器なんだけど、それだけに活かし方を間違えると気持ち悪くなっちゃう」

「なるほど」

「だから、私たちが曲を作るときは『エイジ』が歌うことを前提に考えて、自分たちがそれぞれにやりたいことを抑える必要がある。塩胡椒とマヨネーズ、醤油とマヨネーズ、ソースとマヨネーズ、の組み合わせならいけるでしょ?」

「ケチャップとマヨネーズも合うよね」

もはや何の話をしているのかわからない。

「でも、それでみんな楽しいのかって話よ。コピーなら、元の曲に近づく楽しみ、自分の実力をつける楽しみがあるけど、自作だと完全に自己表現だからね。『その味付けちょっと違うでしょ』ってメンバーから否定されたら、楽しくないんじゃない?」

確かになぁ。曲作りって一筋縄ではいかないんだな。


10. 曲作り編 中編

「でも、やってみたいよ、曲作り。エリザの味付けに合わせるからさ。なあ、みんな」

ノリヒロは黙って頷く。僕もやってみたい気持ちのほうが強かった。

「後悔しても知らないよ。私の音楽になっちゃうから」

エリザは意味有り気に笑った。エリザの音楽か、楽しみだ。

三学期、エリザは曲をいくつか作ってきた。そして、それをみんなの前で披露した。

「どれもいい曲じゃん! すごいね、エリザ」

「ありがとう。でも、問題はエイジが歌ったらどんな風になるかよ。一応、私もエイジの声を想定して作ったんだけど、実際にエイジに歌ってもらわないとわからない部分が多いからね」

「確かに、エイジは想像の斜め上をいくからね」

「ということで、明日までに歌えるようにしてきてね」

僕はその日、録音されたエリザの歌声を何回も何回も聴き、そして歌えるように練習した。おかげで、その日の夜はエリザと一緒に歌う夢を見た。

「なるほど、そうきたか」

翌日、みんなの前で歌い終わると、エリザはそう言った。

「やっぱりエイジは想像の斜め上をいくね。全然違う曲になった」

コウイチの言葉に、ノリヒロは黙って頷く。

「みんな、この中で一曲選ぶとしたらどの曲がいい?」

「うーん、三番目のやつかな、ノリヒロは?」

「三番目」

「そうかあ。私は二番目の曲が一番自信あったんだけどな。でも、エイジの歌を聴いたら、三番目が一番よかったね。エイジは?」

「僕も、三番目の曲が一番カッコいいと思ったし、歌っていて気持ちよかった」

満場一致で三番目の曲で行くことに決まった。のちに、『海岸を全力で走る男』という曲名がつくその曲は、KEENの代表曲となり、ライブで必ず演奏されることになる。

さて、僕たちは、エリザのギターに合わせてベースとドラムの音を作っていく作業に入った。

コウイチとノリヒロは、まずオーソドックスな音を作り、そこから徐々にさまざまなパターンを演奏した。

それをエリザが、あーでもないこーでもないと口出しをし、修正する。このやりとりを全て録音し、エリザはそれを家に帰って何度も聴き、次の音作りの材料にした。

コウイチとノリヒロは自分で演奏した音を覚えていないことが多く、エリザはたびたび「いや、そうじゃなかったでしょ」と苛立った。

ときには苛立ちすぎて、コウイチのベースやノリヒロのスティックを奪いとり、自分で演奏してみせた。

「こうだったでしょ! 自分で作った音くらい覚えて!」


11. 曲作り編 後編

「それにしてもすごかったな。エリザ」

ノリヒロと二人でトイレに行くと、珍しくノリヒロから話しかけてきた。確かに、エリザはコウイチとノリヒロにきつく当たっている。

「いや、俺が言いたいのはそれについてじゃない。だいたい、『曲作りは難しい』とエリザが言っていたにも関わらず、やりたいと言ったのは俺たちなんだから、それはむしろ望むところだよ」

「じゃあ、なに?」

「エリザのベースとドラムの実力だよ。あれは相当上手いぞ。下手したら、ミュー部の誰よりも上手い」

エリザがベースとドラムを演奏する姿を見るのは初めてだったから、僕は「エリザってギター以外の楽器もできるんだ」ぐらいにしか思わなかった。

「ギターに関しては言うまでもないよな。高校生離れしてるよ。普通の高校生って、ギター弾くとき自分が気持ちよくなることだけを考えるからな。音のバランスとかそこまで深く考えない。エリザはそこを細かく微調整する。弦を叩く強さ、ピックを入れる角度、いろいろ試して調整してるよ」

ノリヒロよく見てるな。僕はそんなの全然わからなかった。もうちょっと勉強しないとな。

「そこまでのこだわりがあるやつだったらさ、その気になればベースやドラムの音まで作れると思うし、それを俺たちに押しつけることもできると思うんだ。でも、エリザはそれをしなかった。ベースはコウイチに、ドラムは俺に任せたぞって言われてる気がしたよ。俺、エリザの期待に応えたい。もっと努力しなきゃな」

なるほど。ノリヒロがそう考えてるってことは、コウイチも同じこと考えてるのかな?

「さあ。でも、あいつは俺以上にエリザのファンだよ」

エリザのファンか。じゃあ僕たち全員エリザのファンだね。みんなでがんばろうぜ!

エリザの要求は日ごとに多く、強くなっていったが、僕たちは誰ひとり弱音を吐くことなく、曲を完成に近づけていった。

僕たちは二年生になった。

そして、僕たちは完成した『海岸を全力で走る男』を文化祭で演奏した。

ライブで演奏するのは初めてだったものの、音楽室からたびたび聴こえてくるこの曲を聴いた人たちが、「この曲って誰の曲? めちゃくちゃかっこいいじゃん」「どうやらミュー部のKEENオリジナルの曲らしい」と話題にしてくれたおかげで、かなり盛り上がった。

演奏後、ステージから降りたところで、エリザが泣いていた。

「なに泣いてんだよ、泣くなよ」

と言っている僕も泣いていた。コウイチもノリヒロも一緒に泣いた。

「KEEN最高だよ! 私この学校に来て、みんなに会えてよかった!」

僕も、コウイチも、ノリヒロも、みんな同じ気持ちだよ。

僕たちの涙はしばらく止まらなかった。


12. シアトル編 前編

「応援団、参加してもいいかな?」

僕たちの学校は九月に体育祭があり、コウイチとノリヒロはその応援団に誘われたらしい。応援団に参加するとその練習のために、二人は夏休みの間、部活動ができなくなる。当然KEENとしての活動ができなくなるため、僕たちに断りを入れに来たのである。

「僕はいいと思うけど」

「私も構わないわ」

僕とエリザが賛成すると、コウイチとノリヒロは安堵の表情を浮かべた。なんでも、中学時代からの先輩に強く誘われ、断りにくいらしい。

「よかったらエイジもやらない?」

「いや、僕は遠慮しとくよ。ギターの練習に集中したいし」

「それは残念。エリザはチアリーディングするの?」

「しないよ。そういうの向いてないもん」

樋口さんたちは全員チアリーディングに参加するらしい。エリザのチアリーディング姿、見てみたい気持ちがあったのでちょっと残念。

「じゃあ、二人とも本当ごめんね!」

コウイチとノリヒロは申し訳なさそうに去っていった。

翌日、僕は廊下でエリザに呼び止められた。

「エイジ、私と一緒に夏休みシアトル行かない?」

「シアトル? シアトルってアメリカの?」

「そう。私のパパがシアトルを拠点に活動してるの。エイジ、夏休みギターの練習するって言ってたでしょ? パパの家なら機材も揃ってるし、いろいろと勉強になると思うの」

「いや、でも僕なんかが行って迷惑にならない?」

「ならないならない。この前の文化祭の動画見せたら、みんなで遊びに来いって行ってたから」

「うーん」

「なに? 嫌なの?」

「嫌じゃないけど、いいのかなって」

「いいのいいの。じゃあ、決定!」

いつもながら、強引だなエリザは。

ということで、僕は夏休みをシアトルで過ごすことになった。行きの飛行機でエリザは自分の家族について話してくれた。

エリザのお父さん、剣持ジョージは現在シアトルを拠点に活動するバンドB.O.Jのギタリスト。エリザはこのお父さんの影響で小さいころから音楽に親しんできた。

エリザのお母さん、剣持アンナは実業家で、世界中を飛び回っていて月の半分は日本にいない。

元々エリザは、お父さん、お母さんと一緒にニューヨークに暮らしていたのだが、小学生のとき、テロの影響でおじいちゃんとおばあちゃんの住む日本に行くことになった。

「パパのところに行くんだから、パパの音楽を知っておかないとね」

ファザコンだと言われるのが嫌で、今まで黙っていたのだが、本当はお父さんのバンドを自慢したかったらしい。

飛行機のなかで聴いたB.O.Jの曲はどれもカッコよかった。

「これはコウイチとノリヒロにも聴かせるべきだよ。できればKEENでもコピーしたいね」

と僕が言うと、

「本当!? それは楽しみ!」

エリザはとても嬉しそうに笑った。


13. シアトル編 中編

「ようこそシアトルへ、エイジくん。エリザの父のジョージだ。ジョージって呼んでよ」

ジョージさんはエネルギッシュな感じの人で、いかにもエリザのお父さんって感じだ。僕に気さくに話しかけてくれて、僕が過ごしやすいようにしてくれた。

「エリザの友だちってことは、俺の友だちってことだよな、エイジ!」

知り合って一時間もしないうちに僕のことを呼び捨てで呼ぶようになった。お酒が入ってからは、

「おお、エイジ、我が息子よ!」

とほおずりとキスのコンボで僕を可愛がってくれた。

「ごめんね、迷惑じゃなかった?」

エリザは酔いつぶれてソファで眠っているジョージさんに毛布を掛けながら、僕に謝った。

「全然。むしろありがたいくらいだよ」

「そう。それならよかった。まあ、パパはこんな人だから、この家は自分の家だと思って過ごしてもらって構わないからね」

「うん。ありがとう」

時差ボケが治ってからは、音楽漬けの生活だった。ギターの練習をして、自分なりに上手く弾けるようになったら、エリザにアドバイスをもらいにいく。エリザが練習している様子を観察して、自分なりに真似てみる。エリザのオススメの曲を聴くとともに、いろいろ解説してもらう。

エリザはギターの練習だけでなく、他の楽器の練習もしていた。だから、たびたび「合わせようよ」と言われて、一緒に演奏した。それをビデオに録画したものを観て、「あーでもない、こーでもない」とおしゃべりするのも、とても楽しかった。

B.O.Jの曲も練習した。やっぱりカッコいい。これはKEENでも絶対にやるべきだ。

「せっかくシアトルに来たんだから、観光もしなくちゃね」と言われて連れて行かれたのは、ロックスターのお墓だった。

せっかくシアトルに来たんだからマリナーズの試合を観に行きたいという気持ちもあったけれど、音楽のために来てるっていう感じがしてよかったと思う。

ライブハウスにも連れて行ってもらった。日本のライブとは全く盛り上がりが違った。僕も一回でいいからこういうところでライブをしてみたいと思った。

「そういう感想が出てくるって、エイジはバンドマンだね!」

そうか、僕はバンドマンなんだな。エリザと出会って一年ちょっとしか経っていないけど、だいぶ人生変わったと思う。「音楽に生きる喜び」っていうのかな、そういうものを知る人生を歩んでいるという実感があった。

「週末はパパたちのライブがあるから楽しみ!」

とエリザははしゃいでいた。いよいよB.O.Jの演奏が生で観られるのか。僕もかなり楽しみだ。


14. シアトル編 後編

B.O.Jのライブは予想以上の盛り上がりだった。コアなファンが多く、どこでどういう風に盛り上がるのかが決まっているみたいだった。ライブを繰り返していくと、こういうライブをすることができるんだなと思った。

MCでのやりとりも軽快だった。ボーカルのケビンさんとギターのジョージさん、そのなかにファンが絡んでいって爆笑が起こる。日本でいう漫才みたいなものなのかな。こういうところも勉強になる。

ライブも終盤に差し掛かった頃、ジョージさんが、

「俺の愛すべき娘が遊びに来ているんだ」

と言って大いに盛り上がった。「そして」とジョージさんは続けた。

「新しく息子もできた。娘と同い年の息子だ。今日遊びに来てる」

盛り上がるファン。するとケビンさんが、

「エリザのことはよく知ってるけど、君の新しい息子は会ったことないな。それはぜひ会いたい。おーい! どこだ! ジョージの息子! ステージに上がって来い!」

エリザが「ほら、呼んでるよ」と言って僕の右腕を掴んで、ステージまで引っ張っていった。僕はわけがわからないまま、ステージに上がり拍手と歓声に包まれた。

「はじめまして、ジョージの息子。名前はなんて言うんだい?」

「エイジ」

「エイジ! いい名前だ。僕はケビン。よろしくね」

ケビンさんとがっちり握手を交わすと、また拍手と歓声に包まれた。

「ところで君、ジョージの息子なんだったらB.O.Jの曲は知ってるよね? 次の曲代わりに歌ってよ。僕はちょっと疲れたから休憩したいんだ」

爆笑が起こる。「えっ?」これは冗談だよね。ケビンさんは続ける。

「ジョージも疲れたよね。エリザとギター代わったら?」

ステージ脇から二つ椅子を持ってきたケビンさんはそこに座りだした。そして、ジョージさんに向かって「ここに座れ」というジェスチャーをした。

すると、ジョージさんはエリザにギターを渡し、ケビンさんの横に座った。大爆笑と拍手。ケビンさんは「準備できた?」と言う。

エリザはギターを弾く準備をしている。「え? これ本気なの?」と僕がエリザに言うと、「それ、英語で言ってごらん」と言った。

僕が「何? これ本気?」と英語で言うと、大爆笑と歓声と拍手が巻き起こった。曲が始まる。ケビンさんは椅子から動こうとしない。これは、やるしかない。

めちゃくちゃ緊張して、足が震えて、声も震え気味だったと思うのだけど、ファンのみなさんが大いに盛り上げてくれたおかげで気持ちよく歌えた。ライブは観るのもいいけど、するのがやっぱり一番だ。僕は「バンドマン」なんだな。

ケビンさんは「さすがジョージの息子。素晴らしかった。このままだと僕はB.O.Jをクビになってしまうね。新しい職を探さないと」とまた冗談を言ってみんなを笑わせた。

ライブが終わったあと、ファンのみなさんから、「なかなかやるな」「また遊びに来いよ」「ジョージの息子ってことは、俺の息子ってことだな」というような温かい言葉をかけてもらった。

B.O.Jのメンバー、特にケビンさんとはこの後めちゃくちゃ仲良くなった。マリナーズの試合にも連れていってもらった。「ベースボールを観るのも、音楽には重要なことさ。覚えておくといい」と言っていた。本気かな?

こんな感じで、僕のシアトルでの日々はあっという間に終わった。

「また帰ってきたい」

シアトルは僕にそう思わせてくれる場所になった。


15. ライブハウス編 前編

「僕たちもライブハウスでライブやってみたいな!」

ミュー部のみんなのために買ってきたお土産のお菓子を食べながら、コウイチは言った。ノリヒロは黙って頷く。僕がシアトルのライブハウスでライブをしたことを聞いて、みんなめちゃくちゃ羨ましがっていた。

「じゃあ、ミュー部の二年生みんなでライブハウスを借りてライブしようか?」

コウイチの言葉を聞いた甲斐くんがこういうと、

「そんなことできるの? プロでもないのに?」

と樋口さんは目を丸くした。

「お金払えば大丈夫だよ」

「結構かかるの?」

「まあ、それなりに。でもチケットがまあまあ売れればそこまでの出費にはならないかも」

「チケットか」

音楽室でやるライブならば、無料だし、単純に行きやすいのでお客さんを集めやすい。いつも無料でやっているものを有料にして、学校から遠いライブハウスにわざわざ来てくれるのかが問題だった。

「何か特別感が必要だね。それを考えよう」

とエリザが言って、その日は終わった。

翌日、「秘策がある」と言い出したのはノリヒロだった。

音楽室に和太鼓とビデオを持ち込んだノリヒロは、和太鼓を叩きながら歌い出した。ミュー部のみんなは固唾を呑んで見守った。そして、「何があったの工藤くん?」という顔をしていた。

「さっ、みんなこれを練習して」

ノリヒロは歌い終わると、みんなにこう言った。その有無を言わさない勢いに、僕たちは断ることができなかった。とりあえず、ビデオを繰り返し観ることにした。

「この曲なんて曲?」

エリザが聞くと、待ってましたとばかりにコウイチが答えた。

「『青春の叫び』って曲。僕とノリヒロと和太鼓部の部長の浜岡くんと一緒に作ったんだ」

コウイチとノリヒロは体育祭の応援団に参加したときに、和太鼓部の浜岡部長と仲良くなったらしい。応援団の練習の合間に、なんとなく作った曲らしい。

「みんなで歌ったら案外面白くなるかもね」

エリザはそう言うと、ビデオに合わせて歌い出した。僕もそれに合わせて歌った。すると、「おおー!」という歓声と拍手が上がった。なんかちょっと照れくさい。

「みんなで歌おうよ」

エリザの言葉でみんな練習し始めた。樋口さんが「一緒に踊るといいかも!」と言い出し、曲に合わせた踊りを考え始めた。

それをまたみんなで練習する。なんか新鮮だった。いつもはバンドで活動するから、二年生全員で一緒に何かをするのは、ライブの当日かリハーサルのときだけだったからだろう。とても楽しい時間だった。

「で、これをどうするの?」

歌と踊りが完成し、『青春の叫び』を録画し終えると、甲斐くんがノリヒロに聞いた。

「まあ、そのうちわかるよ」

ノリヒロはニヤリと笑った。


16. ライブハウス編 中編

「ミュー部面白いことするね!」

翌日、クラスメイトに声をかけられた僕は何のことかさっぱりわからなかった。

「新聞部の記事見てないの?」

「見てないよ」

「何でミュー部なのに知らないんだよ。見てきなよ」

クラスメイトに促された僕は新聞部の掲示板のところまで行った。

「ミュー部、和太鼓部へ挑戦状!」

新聞の見出しにはこのように書かれていた。

記事には、以下のようなことが書かれていた。

ミュー部が和太鼓を使った曲を作り「俺たちのほうが和太鼓部より和太鼓の使い方がうまい」と主張。ミュー部の工藤くんが和太鼓部の部長浜岡くんにDVDつき挑戦状を叩きつけた。浜岡くんは「俺たちのほうがミュー部より歌がうまい」と主張。近々和太鼓部もDVDを作成し、「民意を問う」ことに決まった。

「ノリヒロ、新聞部の部長とも友だちらしいよ」

記事を見ていた僕にエリザが後ろから話しかけてきた。

「ミュー部の『青春の叫び』と和太鼓部の『青春の叫び』、どっちの『青春の叫び』がよかったかを投票で決めるらしい」

「ノリヒロの狙いがよくわからないな。何か聞いた?」

「いや、聞いてないよ。たぶん、聞いても『そのうちわかる』としか言わないよ」

まあ、多くを語らないノリヒロのことだから仕方ない。この件は完全にノリヒロに任せるしかない。

「ま、面白くなってきたのは間違いないね」

と言って、エリザは自分の教室のほうに歩いていった。

二日後、和太鼓部の『青春の叫び』のDVDを入手した僕たちは、音楽室で一緒に鑑賞することにした。

上半身裸のねじり鉢巻をした男たちが、豪快に和太鼓を叩く。歌う。

「おー、めっちゃ気合入ってる!」

「かっけー!」

僕たちは口々にこのような感想をもらした。

中心にいるのは部長の浜岡くんだ。浜岡くんは体重120kgを越す巨漢だ。和太鼓を叩くにしても迫力が違う。

「浜岡くんだけレベルが違うね!」

エリザは妙に感心していた。

「録音じゃなくて、録画である意味をよくわかってる。全身から音が出ているみたい」

確かに。ジャンルは違うけど、ミュー部と和太鼓部に共通するのは、音だけじゃなくパフォーマンスでも魅せるってことだと思う。

「これはいい勝負になりそうだね」

来週、DVDを観た人たちによる投票が行われ、即日開票されることになった。


17. ライブハウス編 後編

結果は僕たちミュー部の圧勝だった。

有効投票数387票中、ミュー部271票、和太鼓部116票の大差だった。上半身裸の男たちが和太鼓を叩きながら歌う姿は凄まじかったが、おそらく女子ウケしなかったんだろうと思われる。

「ミュー部圧勝!」の新聞記事が作られ、右手を突き上げ勝ち誇るノリヒロと、地面に両手をついてガックリしている浜岡くんの写真が載せられた。そして記事の最後には、大きな文字でこのように書いてあった。

「11月11日、ミュー部ライブ開催決定! ミュー部が和太鼓部とコラボ! 『青春の叫び』をみんなで歌おう! チケット購入はお近くのミュー部員、和太鼓部員まで」

なるほど、ノリヒロの狙いはこれだったのか。

「エリザに『特別感』と言われて考えた結果、みんなに『ライブに音楽を聴きにくるお客さん』としてではなくて、『ライブで演奏する演奏者』として参加してもらったらいいんじゃないかと思ったんだ」

ノリヒロはライブハウスに機材を運び込みながら言った。

「正直、DVDの評判がどれくらいのものになるかが全く読めなかったから、不安で仕方なかったけどな。うまくいってよかったよ。みんなのおかげだ」

お礼を言いたいのは僕らのほうだ。ノリヒロの秘策がなければ、きっとチケットが完売することはなかった。

「いいライブにしよう」

僕の言葉に、ノリヒロは黙って頷いた。

ライブのトップバッターはいつもの通り僕たちKEEN、ではなく、和太鼓部。浜岡くんたっての希望だ。

「しっかり温めてくるから、期待しといて」

という言葉通り、ライブハウスの雰囲気は、浜岡くんたちのパフォーマンスによって異様なほど盛り上がった。おかげで、二番手の僕たちが登場しただけで、大歓声が沸き起こった。

「なんか、すげぇな!」

待望のライブハウスでのライブにコウイチは大興奮だった。ノリヒロは多少緊張しているのか、表情が硬い。エリザは、いつも通りだ。

「どーも、KEENです。和太鼓部めちゃくちゃカッコよかったですね。特に部長の浜岡くんの大迫力といったら言葉にできないほどですよね」

笑いが起こる。何を言っても盛り上がりそうだ。

「その浜岡くんに挑戦状を叩きつけ、見事勝利した男が、僕の後ろにいるドラムのノリヒロです」

笑いと歓声と拍手。ノリヒロは右手を突き上げ、それに応えた。ノリヒロの緊張はほぐれてくれたかな。

「そして、ステージの左手にいるのがベースのコウイチです。この男が『ライブハウスでライブやりたい』と言いださなければ、今日のライブはありませんでした。拍手をお願いします!」

拍手が起こる。コウイチは「ありがとー! 幸せでーす!」と叫んだ。

「そして、ステージ右手にギターのエリザです。エリザがシアトルのライブハウスでライブをしなければ、コウイチが『ライブハウスでライブやりたい』と言いだすことはありませんでした。拍手!」

拍手が起こる。エリザは、「なんか私の紹介だけ微妙じゃない?」と文句を言った。笑いが起こる。

「ボーカルはこの僕、エイジです。盛り上がっていきましょう!」

僕たちの演奏はライブハウスを一層盛り上げた。エリザが夏休みに作りあげた新曲『バンドマン』のほか、B.O.Jの曲を四曲、最後の曲に『海岸を全力で走る男』を演奏して、樋口さんたちにバトンを渡した。

樋口さんたちのバトンを受け継いだ甲斐くんたちの演奏によって、ライブハウスの雰囲気は最高潮に達した。

そして最後に、みんなで『青春の叫び』を歌った。「歌った」という表現より「叫んだ」という表現のほうが正しかったかもしれない。

「もっと声出るだろ!」

と和太鼓がみんなを挑発するように鳴る。

「お前は全力を出しているのか?」

側にいる者に確認するように叫ぶ。

そんな感じだった。

「今この瞬間、青春しているんだ」

そういう心の叫びを、永遠に消えてなくならないように、お互いに刻むように、僕たちは全力で叫んだのだった。後悔することのないように。


18. 引退ライブ編 前編

「何書いてるの?」

コウイチとノリヒロが何かを一生懸命書いているのを発見した僕は、気になって話しかけた。

「楽譜さ。僕たちKEENの曲のね。ほら、僕たちもう三年生になって、残すイベントは六月の引退ライブだけだろ? KEENとしての活動もあと少しだからさ、それを思うと『KEENはここにいたんだぞ!』っていうのを残しておきたいなと思ってね」

「なるほど、さすがコウイチ。僕にはそんなこと考えつかないよ」

「それはエイジが前だけ見てるからだよ。これから先、エイジは今よりもっといい音楽を作っていけると思っているから、今の音楽なんか残さなくていいんだよ。エリザもそう。エリザは楽譜を残したり、音を録音したりしてるけど、それは反省するため、次の曲を作るためにしているのであって、思い出を残すためじゃない」

「コウイチだって今よりもっといい音楽を作っていけるだろ」

「もちろんそうしたいけどね。でも、エリザを考えずに今よりいい音楽はありえないと思ってしまうんだ。エイジはさ、エリザなしで、自分の力だけで、いつか必ずいい音楽を作ってやるって思ってるだろ?」

「まあ、いつか自分が作った曲をエリザに聴かせて『いい曲だ』って言わせたいかな」

今は曲を作って聴かせても、ダメだしされてばかりだけどね。

「僕はそんな風に考えられないんだよ。ノリヒロも同じさ」

ノリヒロは黙って頷く。

「だから、KEENの活動は宝物なんだ」

「KEENの活動が宝物なのは、僕も一緒だよ。エリザだってきっとそう言うよ」

KEENがあったから、今の僕たちがあるんだ。20年後も30年後も、きっとそう思うに違いないよ。

六月の引退ライブに向け、僕たちは新たに新曲を四曲作った。『海岸を全力で走る男』『バンドマン』にも改良を加えた。

今まで「中途半端だとかえって私のギターの邪魔になるから」という理由で、僕がギターを弾くことを許してくれなかったエリザが、「音に厚みを持たせたい」ということで、僕にギターを弾くように言った。

「ただし、ちゃんと弾けなかったら即クビだからね!」

とエリザは厳しい。でも、最後の最後でエリザと一緒にギターを弾けるのはとても嬉しかった。

「高校生活最後のライブだからね。悔いの残らないようにしよう!」

「おう!」

エリザの言葉に、僕たちは力強く返事をした。そして、残り少なくなった練習時間を、大切に大切に使った。


19. 引退ライブ編 後編

「本日は僕たちミュー部の三年生の引退ライブにお集まり頂き、ありがとうございます。最高のライブにしようと思いますので、盛り上がっていきましょう!」

トップバッターは僕たちKEEN。僕の左にはエリザ、右にはコウイチ、後ろにノリヒロ。この四人でやるのもついに最後になるのか。

そして、ミュー部のみんなと一緒にライブを作り上げるのも最後。絶対にいいものにしたい。僕らが流れを作るんだ!

一曲目、『海岸を全力で走る男』は僕のギターパートが増えたぶん、音に厚みが増し、より疾走感が出るようになった。その勢いに乗って、僕は全力で歌った。

音の圧力を背中に感じて、僕は本当に海岸を全力で走っているみたいになった。強い追い風を受けて走ると、風が強すぎて転びそうになる感じ。足をしっかり上げて全力で走らないと!

走れ! 走れ! 走れ!

行け! 行け! 行け!

力を振り絞れ!

エリザはギターソロでみんなを煽る。みんなのテンションがどんどん上がっていく。

ここにいる全員の気持ちが一つになった。

この勢いで、四曲目まで一気に突っ走った。最高に盛り上がった。

「みんなそろそろ疲れてきたころだろうから、次の曲はちょっと落ち着くためにもバラードをやろうと思います。この曲はエリザと一緒に歌います」

クリスマスライブ以降、エリザは僕と一緒に歌うことを避けてたみたいだった。最後だから、もう一度一緒に歌いたいと僕が言うと、エリザは『夜景』という曲を作ってくれた。

「僕は大した男じゃないから、君には何もあげることができないよ」と言う男に対して、「あなたは気づいていないだろうけど、私はいろんなものをもらっているわ。だからずっとそばにいて」と言う女の話。

サビの部分でエリザと僕の声が溶けて一つになる。夜景を見ながら、恋人がお互いを愛し合う気持ちを、僕らの声で表現する。歌えば歌うほど、一つになっていく感じがして気持ちがよかった。

拍手と歓声で、曲が終わったことに気づいたほどに夢中になってしまっていた。エリザと一緒に歌えて本当によかった。

「さて、いよいよKEEN最後の曲になってしまいました。最後の曲は『バンドマン』です。準備はいいかコウイチ!」

「もちろん!」

コウイチは力強く答える。

「ノリヒロ!」

ノリヒロは黙って頷く。

「エリザ!」

僕はエリザを見る。エリザも僕を見る。

「ミュー部に誘ってくれて、本当にありがとう!」


20. 卒業編

引退ライブが終わってからの一、二週間は「自分がミュー部を引退した」という実感が湧かなかった。

学校が終われば、家に帰ってギターを弾いていたから、音楽から離れたわけではなかったし、ミュー部のメンバーとは学校の廊下ですれ違うので、引退したからといってみんなに会えなくなるわけではなかった。

作曲にも力を入れた。自信作が出来たらエリザに聴かせにいこうと思って、一人で「あーでもない、こーでもない」と考えるのは楽しかった。

でも、一ヶ月が経つとさすがに「終わってしまったんだな」という気持ちが出てきた。一ヶ月間、誰かと一緒に演奏することがない、ということなんてミュー部に入って以降なかったからだ。

こんな僕にとって、体育祭があるのはありがたかった。九月の体育祭に向けて、高3である僕たちは中心となって活動しなければならない。

「みんなと協力して何かを作り上げる」ということをミュー部引退によって奪われてしまったときに、体育祭の準備という形で「みんなと協力して何かを作り上げる」ことを与えられたおかげで、寂しさを感じずに毎日を過ごせた。


夏休みに入り、僕は教室で一人で作業をしていた。

「あっ、エイジ! 今、時間ある?」

声をかけてきたのはエリザだった。引退して以降、別のクラスのエリザとは会話をすることがあまりなかったので、ちょっと緊張した。

「うん。大丈夫だよ」

「あのさ、大事な話なんだけどね」

「うん」

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