太郎丸
旅に関する雑多なお話
ロバと歩いていると日々、いろんな人から差し入れをもらう。 ロバに食べてもらおうとわざわざ人参を買ってきてくれる人もいれば、私のために食料や飲み物、時には旅の資金にとお金をくれる人がいる。 まだ旅を始めて間もないころ、思いがけない「差し入れ」をもらうことがあった。
旅の間、スーパーマーケットに立ち寄る機会は多くない。駐車場にロバをつなげば人目を引いてしまうから、普段はさっと買い物を済ませられるコンビニを使っている。だから宮崎県延岡市のスーパーを利用したのは、私にしては珍しいことだった。これは別の機会に書こうと思うが、私はこの後、塩職人のところで何日か過ごすことになっていたので食料をいくらか買い込む必要があったのだ。
3日目に入ると、ロバとの旅は日本だからといって、モロッコと大きく変わるわけではないことが分かってきた。これまでそうしたように、ロバのペースに合わせて歩く。時々休憩もする。すると、気がつけば1日に20キロほど進んでいる。
朝4時、空が白み始めたころ、ヒグラシが一斉に鳴き始めた。それを夢うつつに聞いていると、間もなく、耳をつんざくようなクサツネの叫び声が響き渡る。腹を空かせて餌をくれと訴えているのだ。
※ずっと記事の更新をサボっていて申し訳ありません。。12月からは心を入れ替えます。もし、「このテーマについて書いてほしい」みたいなものがあればコメント欄からいただけると幸いです! __________________________________________________ 栃木県北部の牧場で6歳のオスロバ「クサツネ」と出会い、旅をスタートさせた私の最初の目的地は福島・猪苗代湖だった。距離にしておよそ100キロ。その間に、働くロバとしてのクサツネの適性を見極め、旅を続
牧場側が用意してくれたキャンプ地に、2頭目のロバがやってきた。間もなく6歳になるという去勢されたオス。6歳は人間でいうと24歳くらいに相当する。牧場スタッフのHさんによると、まだ人を乗せた経験はないが、いずれは子供向けの乗馬に使うつもりで、そのための訓練を始めて2ヶ月ほど経つということだった。
あれ?なんだか思っていたのと違うな・・・。
5月下旬。編集者さんとの打ち合わせのため上京した私は、その足で、ロバの飼い主を募集しているという茨城県の牧場に向かった。
今回、旅をスタートしたのは栃木県の牧場だったが、もともとは関西の農場でロバを買おうと思っていた。
今回の旅の相棒、クサツネと出会ってから1ヶ月が過ぎた。ここまでを時系列で整理する。
なぜロバと旅をするようになったのか。 きっかけを与えてくれたのは、モロッコの遊牧民だった。山に住む彼らがロバを何頭も従えて行き来している姿を眺めるうちに、ロバが私の荷物や食料を運んでくれたら、どこまでも行けるだろうと、そう思ったのである。 2018年にモロッコで初めてロバを買い、一緒に歩いた。22年にはイランとトルコ、再びモロッコでロバと旅をした。ロバに荷物をのせ、私はその傍らを歩く。野宿したり、人の家に泊まったりしながら、歩いた距離は計5000キロに上る。 ロバは馬よ
モロッコの山深くで、遊牧民と1カ月、生活を共にしたことがある。木は一本も生えていない乾燥した岩山。その斜面に大きな穴が五つ、六つ。ただ掘るという、最も原始的な方法で作られた家で、彼らは暮らしていた。 きっかけはトレッキングだった。4000メートル級の山々が連なるアトラス山脈。私は谷あいの小さな村に滞在しながら、気が向くとひとりで山に入っては帰ってくるということを繰り返していた。 ある日、道に迷って方向感覚を失い、もしかしたらこのまま山の中で朽ち果ててしまうのではないかとい
新聞記者をしていたころに、タイの日本語教師W君を取材したときの話をしたい。その取材は、W君が大学在学中、アメリカに留学した体験記を自費出版したという内容だった。だが、私には、その時の話もさることながら、彼がタイに移住したきっかけが面白かった。 「タイの空港で、きれいなキャビンアテンダント(CA)が鼻を激しくほじっているのを見て、住んでみたいと強く思ったんです」 W君によると、アメリカから帰国後、就職活動を始めたが、うまくいかず悩んでいた。そこで、夏休みにタイに遊びに行った
歩く旅の面白さに気付いたのは、スペインの巡礼路である「カミーノ・デ・サンティアゴ」を歩いたことがきっかけだった。フランスのピレネー山脈の麓から、スペイン北部にあるキリスト教の三大巡礼地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を目指す約900キロの道のりだ。1000年以上の歴史を持つこの聖地への道は、世界遺産に登録され、今では信仰心からだけでなく旅行やレジャーとして世界中の人たちが訪れている。 自転車や、まれにロバに乗って巡礼する人もいるが、大半の人々は歩く。道沿いには巡礼宿が整
大学生のころ、ヒッチハイクばかりしていた。今どき乗せてくれるの?と聞かれることも多いが、10分以内に拾ってくれることの方が多い。とりわけ私は童顔で、心細そうな顔をしているらしく、後で拾ってくれたドライバーからは「かわいそうだから乗せた」とよく言われた。 営業マンや農家、カップル、家族連れ、さまざまな人が乗せてくれた。ご飯をおごってくれたり、家に泊めさせてくれたりした人もいた。青森県ではウニ漁師に拾ってもらい、船で一緒に沖合に出て、新鮮なウニをたらふく食べさせてもらったのはい
目的地もなく、見知らぬ土地をただ彷徨(さまよ)いたい。そんな漂泊の思いが芽生えたのは、いつからだろう。私は今、会社を辞め、いつ帰るとも知らぬ旅に出ようとしている。中東のイランでロバを買い、荷物をのせ、行けるところまで歩いてみるつもりだ。すべてを放り出し、長い旅に出るのは、2度目になる。 なぜそんな旅をするのかと、これまで何度も自分に問いかけてきた。しかし、「なぜそんなことをするのか」という問いは、「なぜ生きているのか」と聞かれているのと同義で、私はうまく答えられない。「片雲