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原点のヒッチハイク

大学生のころ、ヒッチハイクばかりしていた。今どき乗せてくれるの?と聞かれることも多いが、10分以内に拾ってくれることの方が多い。とりわけ私は童顔で、心細そうな顔をしているらしく、後で拾ってくれたドライバーからは「かわいそうだから乗せた」とよく言われた。

営業マンや農家、カップル、家族連れ、さまざまな人が乗せてくれた。ご飯をおごってくれたり、家に泊めさせてくれたりした人もいた。青森県ではウニ漁師に拾ってもらい、船で一緒に沖合に出て、新鮮なウニをたらふく食べさせてもらったのはいい思い出だ。

時には親切すぎる人も現れる。大学1年生の夏休みに、ヒッチハイクで北海道を一周した時のことだ。ある日の夜、小樽郊外の国道沿いで、「留萌(るもい)」という町の名前を書いたボードを掲げて立っていた。ここから留萌までは約120キロ離れている。

午後9時ごろ、車通りは少ない。夜のヒッチハイクは相手の顔が見えない分、成功率は低い。諦めかけたころ、一台の車が止まってくれた。「ヒッチハイク?」とドライバーの男性。一度は私の前を通り過ぎたが、気になって戻ってきてくれたらしい。もし誰も拾ってくれなければ、その辺で野宿するつもりだったので、どうしてもその日のうちに留萌まで行かなければならない理由はない。それでも、ドライバーは、私を留萌まで送り届けてくれる決心をしてくれた。札幌の自宅では妻と幼い子どもが待っているというのに。

黒々とした日本海をながめながら、他愛もないことをしゃべり、留萌に着いたころには日付が変わっていた。私たちは、男性の携帯電話で記念撮影した。札幌の自宅に大幅に遅れることが、浮気でないことを妻に証明するためだという。「君を乗せてよかった」という言葉はうれしかったが、あの暗くさびしい道のりを1人で帰っていくのだと思うと、胸が痛んだ。

こうしたことは、一度や二度ではない。「今日は暑くて漁に出られないから」と、何の用事もないのに、青森から栃木まで走ってくれた漁師がいた。栃木の国道で立っていた時は、若い女性が、やはり何の用事もないのに「気分が晴れるから」と高速道路を何百キロも走ってくれた。

みんな、さびしいのだ――。”親切”という言葉がある。しかしドライバーが私の目的地までとことん付き合ってくれる理由は、みんな、誰かと話したがっているからだと思った。私自身もそうだ。テントで過ごす一人の時間もいいが、人恋しくてヒッチハイクする時だってある。

私たちは、大人になると、互いに胸襟を開いて話すことが、なぜか難しくなる。けれど行きずりのヒッチハイカーになら話せる。普段は話せないことでも。大学卒業後、私が新聞記者になったのは、そうした人との出会いに面白さを感じたからだと思う。

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