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行きつけの店探し

会社の仲の良い同期たちと、「行きつけの店」を探すことに躍起になっていた時期がある。

例えば平日の夜10時くらいにやってるお仕事ドラマなら、かならず主人公行きつけの居酒屋があって、そこにはぶっきらぼうに愚痴を聞いてくれる店主がいる。
角田光代や川上弘美なんかの小説を読むと、主人公がする大人な恋の相手は、行きつけの小料理屋でたまたま隣り合った人、みたいなイメージがある。

でも実際、こんな行きつけの店がある人をわたしは見たことがない。
少なくとも、わたしの周りの友人は一人で居酒屋に入ることさえビビってる人が多かった。

行きつけの店、良き。
会社のお昼休み、同期たちとそう口を揃えて言っては、自分たちが物語の主人公になれそうな行きつけのお店をGoogleで探すことを日課としていた。

・店主がアットホームで入りやすいこと
・会社から近いこと
・通っても負担にならないような価格帯であること

上記3つの条件は必要だ、という話になった。
もしみんなで共通の行きつけの店があったら、残業でクタクタになって駆け込んでも、先に飲んでる誰かしらに気軽に労ってもらえるだろうし、行って1人でも愚痴を聞いてくれる店主がいるだろうし、ほんとに素晴らしい。そんな環境を持ってるだけで人生が潤ってる気がする。

でも、そんな都合の良い店はなかなか見つけられなくて、そのうち探すのもめんどくさくなり、結局大阪王将になだれこむ日々が続いていた。

さて、わたしたち同期は、毎週末飲みに行くほど仲が良い。
嗜好も似ていて、おしゃれなバルよりむしろ古い油が染み込んだ赤提灯が垂れた店に好んで入った。

こう言ったお店への嗅覚はそこそこある方で、会社終わりには煩雑なネオン街の中から、地味だけど確実に旨いお店を見つけ出すのは得意だった。

そして、「行きつけの店」への熱望も忘れかけていたある日、ひょんなことからわたしたちの行きつけの店が生まれる。

そのお店は「かあさん」という居酒屋だった。
一応チェーン店のようだが、それこそ田舎のお母さんのような手作り料理と暖かい接客を迎え入れてくれるお店だ。更に価格帯もリーズナブル。

厨房前のカウンターには作り置きした小料理、たとえば野菜のきんぴらとか、味の染み込んだ煮浸しが並び、フロアを徘徊する"かあさん"はわたしたちの話に首を突っ込んできたり、何故か駄菓子や旬の果物を持ってきてタダでくれたりする。

かあさん、最高に良き。
わたしたち同期は嬉しくなり、半月も経たないうちにまた再訪する。すると、かあさんはわたしたちのことを覚えてくれていて、それが更にわたしたちを嬉しくさせた。

浮かれた気持ちはホッピーの泡となって弾けて、テーブルの上が空き瓶で埋まる頃には、わたしはみっともなく酩酊した。(そもそも割る用の焼酎をとんでもない量サービスして出してくれるのである。)

かあさんは心配して、ラムネ玉を手渡してくれる。
「これ舐めてれば、酔い醒めてくるから。しっかり舐めるんだよ。」そんな気遣いも心地よい。

その日の帰り道、自分がドラマのワンシーンに溶け込んだような気持ちになっていた。仕事を頑張って、仲の良い同僚がいて、優しくねぎらってくれる行きつけの店がある。
1人でしっぽり飲める感じの理想とは違うけど、まあいいや。

どこかで見た物語でも、仕事に邁進する主人公がこうしてたまにはおぼつかない足で夜風に吹かれていた。

倒れ込んだ自宅の玄関で、わたしは背中を丸めてくっくっく、と笑った。自分が何かの主人公にでもなった気分で愉快だった。今考えると、びっくりするくらい単純だ。

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先日、約1年ぶりにかあさんへ行った。

行きつけの店ができたー!なんて泥酔して騒ぎ立ててたくせに、あれから一度も行かなかったのだった。

理由は二つあり、一つ目はわたしが最高と称する同期たちがいる職場をあっさりと辞め、今は他の場所で働いているためだ。二つ目は、単にコロナの影響でなかなか飲み会ができなかったためである。

あまりに久しぶりなので、ドキドキしながらのれんをくぐると、あの"かあさん"がいらっしゃい、と出迎えてくれた。

もちろんかあさんはわたしたちのことを一切覚えてなかった。一年ほど前に2.3回来たくらいだから、当たり前である。しかし、突然駄菓子や果物をくれたりする謎接客は何も変わっておらず、嬉しくなってわたしたちはまたテーブルの上をグラスで埋め尽くした。

酔いが進むにつれ、何故かわたしは感傷的になっていた。椅子の上にひいてある煎餅座布団も、分煙されてない少しもやがかかったような店内も、かあさんが相変わらず渡してくれるラムネ玉も、全部懐かしくて胸がギュッとなる。いや、まだ3回しか来てないのだが。

この店が変わらない一方、わたしの境遇は大きく変わった。一年前は物語の主人公気分になるくらいには自意識過剰さを待て余していたし、この街のあたり一面は飲んだくれサラリーマンに埋め尽くされて、その中にわたしたちもいた。

この一年、ほとんど家から出ず、前職の同僚なんか会わずに過ごしてきたことが信じられない。

自分の状況を振り返る起点となる場所と言うのは、意識して生活していれば、たぶん誰にでも作ることができる。
わたしにとって、大切な友人たちと皆で見つけた、この「かあさん」がそうだった。どんなわたしも受け入れてくれるかあさんたちのブレなさが、こう言った気持ちにさせるのかもしれない。

お酒が入っているとは言え、家で1人で飲んでも、思い入れのないお店へ行っても、こんな感情にならないから不思議だなぁと感じる。

「行きつけの店」について書こうと思ったのに、今までで5回くらいしか行ったことのないお店をあげてしまった。でもかあさんは紛れもなく、わたしたちの行きつけなのである。

次に行く時は、どんな自分になってるんだろう。その時の自分の境遇なんか全く想像もつかないが、かあさん特製の田舎煮をつまみながら、友人たちと相変わらず酒を飲んでいるイメージだけはしっかりとできた。

また感染者数増えてきちゃったから、世間がもうちょっと落ち着いたら、またここでみんなと飲みたいなー。

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その友人たちと自己満足ラジオをやっています。

完全に内輪5人で楽しむために作ったものですが、せっかくなのでリンク貼らせてください。




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