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愛の賞味期限という探求ー結婚ー

結婚について、モソ族の長老を守り神にしつつ、探っていきたいと思います。最近は未婚の人(結婚はしたいがまだ)、非婚の人(結婚はしない選択をしている)、離婚の人、一夫一婦制、一夫多妻制、一妻多夫、同性婚、最近では様々な選択肢があります。そもそも結婚ってなんでしょうか。

未婚の人たちは、一度は結婚したい、とか、結婚したらもっと幸せになるなんじゃないか、とか、いろいろな思いがあると思いますが、長く結婚生活を送っている人たちの多くは(全てとは言いませんが)たまには相手を変えたいとか、なんでこんな人と一緒になっちゃったんだろう、こんなはずでは、とか、心中複雑な思いを抱えている人の方も多いですよね。
そもそも結婚制度の中身は、すでに崩壊しているんじゃないでしょうか。

真に純粋な思い「愛する人と共に在りたい」と言う願いは、永遠のものに
なり得るのか、という問いもまたもしかしたらそれは、何かの洗脳に近いものなんじゃないでしょうか。
世の中の常識に異を唱えるのはなかなかどうして気合が必要だけど、さすがに堀江さんあたりはすでに喝破してますね。

大筋では堀江さんの意見に賛成です。
子供については、堀江さんだってどこか空中からポロっと出てきて大人になったわけじゃないでしょうが、子供を腹から出すための器官をもたない男たちにはわからないことも多々あるでしょう。

一夫一婦制の結婚制度は、男性たちが財産を引き継ぐために考案された制度です。古代の女神が統治する時代、キリスト教の時代が始まる前の時代、男は家も財産も持っておらず、なんの権力も持っていませんでした。
中国で女系制を維持しているモソ族などを見ると、古い時代の男女の関係性がよくわかります。家や田畑、財産に相当するものや、その家に生まれた子供は皆、女系が管理していました。アジアの国々では、今でも女性は良く働くけど、男性はあんまり労働に乗り気じゃないという国がけっこうあります。女系の時代の香りだけがほのかに残っているけど、現実がチグハグになっているようですね。
結婚制度はそれじゃ、いつどんなふうに成立したんでしょうね?そもそも、英語の”Husband-夫” の意味を調べてみると、様々な古い事実が明らかになります。

 「家 hus につながれた者」の意で、財産権が母系にあった古代サクソン人の母権制社会において、女性の財産を管理するため選び出された家令、または執事。夫なるものは、母系親族の必須な一部とは考えられず、男性たちの神ゼウスが「よそ者たちの神」であった初期のギリシアに見られるように、家の中では終始「よそ者」の地位にとどまった。

 イスラム教以前のアラビアの夫たちは、子どもをもうけるまでは母系親族の中できちんとした名前がなく、子どもができて初めて「アブーabu・某」(「某の父」の意)を名乗ることができた。今日でも、アラブ人の名前では、この「アブー・某」の部分が最も重要と考えられている。

 インドの東南部では、夫は妻の家の長期滞在客のような存在とみなされ、客の守るべき規則に従って努めて神妙に振る舞うよう求められた。古代の日本では、夫は妻の家の住人になることはなく、訪問者にすぎなかった。「結婚」を表す古代日本語は、「夜、女の家に忍んで行くこと」という意味だった〔妻訪い婚〕。夫方居住の結婚様式は、日本においては西暦1400年まで知られていなかった。 (以上、出典:バーバラー・ウォーカー神話・伝承事典)

だから、モソ族は、古代の習慣である”女性の存在と権威”がそのまま残っているのだということが良くわかります。モソ族の地を訪れたことがある、という中国人の友人は、「モソ族はフリーセックスなんだと思われて好奇の目で見られているが、そうではない。彼女たちは、自分の子供の父親が誰だかちゃんと知っているし、たいていは一人の男性と長い間、事によっては一生同じ人をパートナーとする。」のだそうです。違うのは、男性と女性は一緒に住まないということと、他の人が好きになったらその人をパートナーにする、ということだそうです。

これは同じ「女性」として共感できます。そんなにしょっちゅう相手を変えるほどの体力はないし、人生は誰かとのパートナーシップのことだけにかまけるほど、ヒマじゃないってことです。子育て、仕事、学び、遊び、たくさんやりたいことがあるのですから。この人じゃなかったかも、とか、セックスレスとか、多少目をつぶっておけば、その他のことにエネルギーを注いで行くことができます。内側の不便を我慢すれば、外側の環境には不便はない、ということですね。

問題は、「もう性欲なんか忘れちゃった。ときめくこともないわ。」なんて時に、全ての女性ホルモンを刺激されるような出会いをしてしまたっときです。平凡だった日々と世界は大魔神のごとく姿を変えて、置き去りにしてきた問題に直面せざるを得なくなる時がきます。現代の常識に沿った暮らしから、感情の渦巻く内的世界が立ち現れるのです。幸か不幸か.わかりませんが。。


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