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セクシャルプラクティスの宇宙・般若心経

こんにちは!魔タリカ766歳、魂のR指定です!
先週末はサンクチュアリで長野県白馬だったため、メルマガもスキップ。
前は何がなんでも出そうと頑張ってたんだけど、最近は「まぁいいか」になってきましたwまぁいいよね!

今回は初の4泊5日で、じっくり深く潜っていきました。
時間もたくさんあったんだけど、やりたいこと全部は入れられず、でした。
「時間があるけどない。ないけどある」
グループの進行は、いつでも「私」というエゴを超えたところに設定されます。だから私がそれを設定しているようでいて、実のところ全く手放しで大きな流れに従ってついて行くより他ありません。

最近のグループに般若心経(ハートスートラ)をよく使っていたのは、
サンクチュアリに続く一連のタオ・ダンス&メディテーションの
名古屋オーガナイザーDivainから出されたお題、
「幻想の向こう岸にあるヴィジョン」に取り組んでいたからなんですが。(それもOSHO禅タロットからやって来たそうで、さすがです!)

振り返ってみると、どんなグループであれ、般若心経のスピリットが
流れているという(自分の中では)現在地を確認できたような気がしています。ワークの中に登場する観音菩薩ですら、私が意図したわけではなく、
気がついたらそれはそこに存在していたのでした。

無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん)
私たちは、真実に眼を向けずに、自分本位の誤った認識で生きることで「苦」という感情を抱く
あらゆるものは、有るようで無いのである
それは、ただ無いのとも違う。やっぱり、有るようで無いのだ。

禅の視点 - life -

「時間があるけどない。ないけどある」
時間というのは、チャクラでいうと第5チャクラです。
ハートチャクラの炎の浄化を超えて、第5チャクラの世界に参入すると、
そこでは私たちが地球にやってきた時の、魂と肉体のテンプレート、
その人の「本来あるべき姿」があると言います。
癒しの光」のバーバラ・ブレナンによれば、その世界は
ネガとポジのような関係で、あるものは無いように見え、無いものが
あるように見える世界です。(ネガとポジなんて、このデジタル時代では見たことない人もいるのかもですが)

昔のヒーリングスクールの師には、だいぶ第5チャクラ世界で鍛えられた
ものですが、なかなか深淵でわかりにくい概念かと思います。
でも、般若心経の中にはこのわかりにくい概念が、くっきりと姿を表しているように思えます。

続き….. 究極のセクシャルプラクティス


濃厚な時間はあっという間に過ぎるし、退屈な時間は1分が1時間にもなり、苦しみはそこにあるようでいて、ない。
自分自身の感じ方、主観次第ということですよね。

そして第5チャクラは、神の啓示を受け取る場所でもあります。
普段私たちは、自己成長のためにさまざまな取り組みをしていると(きっと皆さんも!)思いますが、それでも意識と無意識の間に成長を妨げるような壁を作ってしまうことがあります。
「神(存在、大いなるもの、など呼び方は何でも!)よ、お導きください。でも悪いこと(面倒なこと)は聞きたくありませんのでよろしく。」
顕在意識では変化を求めるけれど、無意識の感情レベルでは変化を恐れて、あらゆる段階で神の意志(啓示)の流入を妨害するというわけです。

そして自分は常にポーズ(一時停止)で、アイドリング状態でいます。
ポーズのままの安定状態で、前にも後ろにも進めないのは、なかなかに辛くもあります。願わくばその変化の渦に飛び込んで、安定の向こう側まで泳ぎ切って、そこでやっと得られる安心感の方が、自己成長としては価値があると言えないでしょうか。
それがきっと、「物事をあるがままに在らしめる」ことで、
テンプレートに沿っていることなんでしょう。

ということで、私たちはあらゆる執着から離れて、変わりゆくものに身を任せ、先に進んでいかなければなりません。

例えば愛する人が「先に進みたい」と言い、それが自分の道とは違ったとして、相手に執着せずに先に行かせることもまた、愛の形なんでしょう。
OSHOもどこかで話していました。
あなたの愛する人が他の人を好きになったとして、あなたがその人の全てを愛しているなら、新しい相手のことも愛しなさい。というようなことだったと思います。なんという修行でしょう!

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶 般若心経
ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか

行くものよ、行くものよ
彼岸に行くものよ
さとりよ 幸あれ
これで智慧の完成の言葉は終わりました。

生きて死ぬ智慧・柳澤桂子


タオは言います。
無為自然、何事もジャッジせず、何事も為さずして
あるがままに在らしめよ、と。
東洋の古代の教えのエッセンスの全ては、般若心経(ハートスートラ)のなかに凝縮されているのだと思います。

変わらないものなど、この宇宙には存在せず、
変化だけが、この宇宙の真実です。
人の心や身体も、愛の形もまた、例外ではないのです。
タオやタントラのプラクティスは、だから安全安定安心なポーズの人生を
志向する人には、ちょっと厳しいかな。
それにしても、お釈迦様は天才ですよね!

Love♡

Tarika

2023/ 11月29日発行メルマガ






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