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昇天のエクスタシー

Beloved♡さん

こんにちは!魔タリカ741歳魂のR指定です。

なんだかんだと忙しい中を縫って、とある瞑想リトリートに参加してきました。全く予想もしていなかったことに、癌と再発、余命宣告を受けた方がほとんどでした。講師の方は末期癌から生還された方だったので、よく考えれば、なるほど!なんです。
そして、お宿のオーナーの深く優しい配慮と、参加者の方たちの、生命の真実を求める在り方に、私自身が深く癒された、本当に素晴らしいリトリートでした。

私はといえば、去年は怪我で入院したけど、内科的な検査は何一つ受けてないし、それ以外長いこと病院にも行ってないし、もしかしたら何かしらの病を抱えているのかもしれませんが、単に未発見だという可能性だって大いにあります。それに、明日、命を失うような大事故に遭わない保証は何一つありません。

長生きしたとしても、病院や施設のベッドから動けない、他人の世話なしで生きられないのなら、長生きの意味は何でしょう。
生命の前では、長さよりも、質こそが真実なんだと改めて思いました。

初めての場所では「タリカさんて、何やってる人なんですか?」と聞かれます。私は「セックスのことを教えています」なんて言ってしまいますが、乱暴なお答えだと後で少し反省します。
だけど、言葉を尽くせば尽くすほど、なんだか滑稽な気がするので、もっと聞きたい!と突っ込んでくれる人とだけ、その先の長い話が成立するというわけです。

OSHOの講和にも、「セックスは、生と死の間にある」という表現がたくさん出てきます。ある調べ物をしていて、オーガズムの時の「イク」が、漢字で「逝く」と書かれていました。集合無意識の中ではセックスと死は分かち難く一つだったんだ、とショックを受けました。
当時の私にとっては全く寝耳に水の新しい話だったんですw

確かにね、エクスタシーは「昇天」とも言うじゃないですか?!

ヘミシンクのロバート・モンロー(体外離脱の研究家?)も、「体外離脱の時には必ず勃起するのは如何ともし難い」と書いていました。
体外離脱は生きた体を維持したまま、魂が抜けていくのだから、限りなく
死に近い状態です。
生と死は連続した一つの輪の中にあり、エクスタシーがその間を取り持っているのではないでしょうか。エクスタシー「歓び」は、セックスだけの専売特許ではありません。美しい花を見て香りをかぐとき、荘厳な朝焼けの中で、大自然の懐に包まれて一体となったとき、美味しいものを食べたその瞬間、素敵なプレゼントをもらった時だったり、五感がフルに湧き立った瞬間に「歓び」がやってきます。

だけど、第1チャクラで感じるセックスの歓びは、生命の土台で、基本です。それはもういらない、卒業した、というならば、その人はすべての歓びを諦めたことになるか、条件付き、制限付きの歓びだけを得ることになります。人生は灰色で、誰かとハートを開いて語り合う歓びからも、縁遠くなっているかもしれません。

死の瞬間では、誰しもが最高のエクスタシーを味わって「逝く」のかもしれません。肉体を持ったまま、それを味わうのがセックスなのだとしたら、人は深いエクスタシーを感じるたびに、生まれ変わる、転生するのだと思いませんか?

さ、肉体に命あるうちに、歓びの限定を解除しましょう!

Love♡

Tarika

2021 / 11 / 17 発行メルマガより

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