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ハグの哲学

こんにちは!魔タリカ766歳、魂のR指定です。
サマサティでのヴァパッサナ以来、忙しいんだけどあまり忙しくない、
なんというか、自分のスペースにゆとりが増えたような気がしています。

私のワークでは定期的にリトリートがあるので、その間はダイナミック瞑想を続けていることになりますが、ダイナミックではどーんと肉体が大地に
根を張って、直観が冴え渡って天との太い絆を育んで来れたように
思いますが、ヴィパッサナはもう少し繊細なところ、霊の軽さみたいな、
肉体に魂がフィットしたというか、そんな感じがします。
次のリトリートはサンクチュアリですが、ダイナミック瞑想の後には久々に少しヴィパッサナの時間を取れるなと思うと楽しみ倍増です。

最近は嬉しいことに、男性のメルマガ読者が本当に少しずつですが、
増えています。ワークショップも以前は女性が9.5割
(ほとんどが女性で、たまに男性が迷い込んでくる的な)でした。
コロナ期間の間、男性のためのスペースを作り続けてきたのが
やっと実りを結びつつあるのかと思うと、感無量です。
女性は新しい体験にいつもオープンだけど、男性で未知な領域を受け付ける人は少ないから。だけど、女性ばかりが新しい領域を学んでいても、ね!
微妙です。やっぱり、ともに進んでいくのが健康ってもんですよね。

私たちOshoのサニヤシンはハグする部族なので、仲間内の挨拶は常にハグで始まるのですが、あまりにもパブリックな場では、日本式ご挨拶を意識的に心がけます。ハグしないご挨拶は、なんだかわざとらしい気さえするんだけどね。

そのハグなんだけど、いろんなハグのお作法みたいなのがあるのですが、
詳細はワークショップでシェアするとして。
男性の場合は特に顕著ですが、普段機械や本など、四角くて硬いものばかりに触れている人の手や身体は、なんというか、硬い感じがします。
逆に、人の体に日常的に触れている手は、柔らかくて吸い付くようです。

例えば、握手した時にどのくらいの強さや熱量で手を握るのか、
というのは、その人と他者との距離感を表しているな、なんて感じたことないですか?
柔らか〜く、触れてるのか触れてないのかわからないような、
お上品な感じの握手とかね。
昔は「あれ〜、私、手は洗ってるし汚れてないよ?」とか、
「これが大人のマナーなのかしら?」なんて思ったものですw
今では、この人が築く人との関係性の表れなのだと思うようになりました。
多分その人は、相手と知り合うことより、社交的マナーとして、自分がどう見えるか、どう行動するべきか、というHow to の方に関心が高いかもしれないですよね。

ハグも同じです。

続き…….. 身体接触のセンス


男性方はきっと「相手に失礼のないように」などと一瞬のうちに思いを巡らせて、少し緊張するのかもしれません。
そりゃ〜いきなり下半身を押し付けられるようなハグは、痴漢級の反則なので、普通の人はしませんよね。だからと言って、腫れ物に触るようなハグだって、興醒めです。
日本はもともと身体接触文化じゃないので、この距離感の作り方には、経験的な学習が必要じゃないでしょうか。

ハグも握手も、言葉を介さない膨大な情報のやり取りが起きます。
声、匂い、感触、強さ、体温など、味覚以外の五感をフル稼働して、相手についての情報を得るためのアンテナ『第六感』、直感が起動します。
この最初の接触は、見た目を超えた相手の情報を検索しまくってる感じですよね。

文化人類学者の板垣明美さんという方のインタビュー記事を発見しました。
「ボディータッチを避ける日本社会 社交ダンスで知った「触れる」作法」

ダンスは次の動きを伝えないと調和できません。チャンピオンが私に一番言ったセリフは「繊細になれ」。私は日常の中で人に触れることに慣れていないから、緊張して一生懸命に踊るほど、相手の身体から発される情報を受け取れずに、動きが一方的になってしまっていたのです。

朝日新聞

板垣さんが社交ダンスの研究を通して、世界チャンピオンと踊る機会を得た時のエピソードです。私は男性のハグについてを書きましたが、女性の場合も全く同じです。

日本で日常の身体接触の文化が乏しいのは、長時間労働も関係するかもしれません。先ほど「短時間で打ち解ける」と言ったことと少し矛盾するようですが、あいさつの言葉をかけながら握手のタイミングをうかがうには鍛えられた即興的なセンスが、ひとりひとりと繊細に触れ合うには時間が必要です。生活に余裕がないと、コミュニケーションも時短型になるのでしょうか。ただし、日本では、飲み会には時間をかける側面があります。

朝日新聞

即興的なセンスと繊細に触れ合う時間….ハグはまるでダンスのようですね。
確かに日本では毎日が忙しすぎて、他人のことにかまっている時間なんか
もったいないし、できれば避けたい、面倒臭いものなのかもしれません。
飲み会もたまにはいいけど、日常的に抑圧された感情がこぼれてしまって、やらかしてしまうことの方がより面倒臭いですよねw

男性も女性も、自分のセクシャリティに緊張がある時、相手に自分を預けることが難しくなります。そんな時、信頼できないのは相手じゃなくて、自分自身です。相手はただ、自分自身を映す鏡なんですから。

セクシャリティをプラクティスするタオでは、人生を賭けて「徳を積む」ことを大事にします。徳とは、マナーや礼儀を尽くすことではなくて、それを超えて、自分自身との信頼関係を積むことです。
だってね、セックスの時にマナーや礼儀って、かなぐり捨てるってイメージじゃないですかw いや、ある一定のマナーや礼儀がセックスのお作法にも必要だとは思いますが、私たち人間が欲しているのは、それを超えた心の深いつながりや思いやりに満ちた身体的接触です。

ハグは、そんな接触の扉をノックする、大切なご挨拶なんですよね。
私たちのタオ・ダンス&メディテーションサンクチュアリでは、そんな非言語のコミュニケーションを肌で感じる、稀な機会を創造します。
来月お会いできるのを楽しみにしています!

Love♡

Tarika

2023年9月29日発行メルマガより


ハグの量子もつれ




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