被爆の証明



前回から間が開いてしまった。週2回のリハビリに暑さにいっぱいいっぱいだったのです。冷房の利く図書館に逃げたりもしたけど、8月中頃にはバテバテ。軽い熱中症になったのか、点滴も受けて、ようやっと8月も終わるので1本書きます。

前回は沖縄移住迄のあれこれで、身体の変化を主に飲酒の面から書いていた?のだが、では被爆を証明する何かをしていなかったのかについて。
結論からいうと、何もしていません💦まぁエアカウンターという線量を測るものは持っていて、断片的に測ってはいたけど、自分自身の計測、線量バッジ毎日つけるとか、尿検査するとか、一切していなかった。
むしろ、初めは避けていた刺身も段々たべるようになったのだから不注意だったといえよう。特に2012-14年頃は仕事でよく南房総に行っていたので、美味しい刺身や煮魚に舌鼓をうっていた。だって同僚に「美味しい刺身」といわれては、ご案内しないわけにはいかなかった。はい言い訳です_(._.)_
さすがに大好きだった秋刀魚の塩焼きの内臓は食べなかったけど、外食も多かったし。普段飲む水も水道水だったし、まぁ内部被ばくに留意したとは到底言えなかった。
外部被ばくにしたって、仕事で房総の山野にわけいっていたし。そうそうプライベートでは2012年初め頃からはマスクして放射能粒子に気を付けていたっけか?まぁそんなものでした。

ちなみに当時住んでいた東船橋界隈の線量は0.09-0.12くらいが多かったように覚えています。問題あるといえば、近くを走る船取線という道路。国道6号から湾岸方向に向かうもので、なにかに計測で比較的線量高かったように記憶しているし、車に付着した粉塵が影響していたとは思う。
ただ、計測し記録するという余裕はなかったし、脱原発のデモなどに関わってはいたけど、日々の生活に追われていたの間違いない。
なんだ口ほどにもないなと思われるだろうが、そういう人が多かったのでは?本来、放射能検査などは政府東電の側が積極的に担うべきだったが、実際は”大丈夫”とばかりに何もなかったしね。

思い出せば、あぁしておけば?こうしておけば⁈の思いが強いけど。
個人の責任で原発事故に対処って大変だなと改めて思う。

ってことで、今回はここまで。9月からはボチボチ参ります・

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