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【白昼夢の青写真 case1 二次創作 extra】

「case1」の二次創作を経験しての、所感、批評、反省文等です。大部で思いっきり自分語りします。すみません。

【前書き 軽トラをひっくり返せる自分】
そもそも私は、作家志望でもなんでもなく、仕事で書く報告書などを除けば、人に読んでもらうことを前提とした物語を描いたのは、今回が初めてです。仕事のことはともかく、渡辺と同じで、基本的には読書感想文すら全然書けないタイプです。

読む方に関していうと、文芸は、原作での有島と渡辺の在り方がそのまんまというか、読む人、読まない人の差が顕著な世界なので、自分の場合、世間的には読む側に入れられるけど、読んでる人からしたらお前、全然やんけ、というような、一番つまんない思いをする立ち位置にいます。

そういえば、緒乃さん…先生と書くのは好まれないそうですので、失礼ながら「さん」で表記いたしますが、緒乃さんが紹介していた「凛」の製造元の西平酒造の「ISLAND」を紹介したツイートが、思いのほか反響があって、あれ、自分の腕のこともあったみたいなんですけど、自分には元々、空手とかパワリフとか、激しく身体を使う趣味しかなかったんです。ちなみに軽トラを横転させられます。でも元に戻せなくて、持ち主に叱られました。

ただ、悲しいことに加齢による衰えも、そして怪我もあって、これからの人生、何か、身体を使わない、家でもできる、かつ能動的(ギターを弾く、ではなく、音楽を聴く、のように、自分でプレイしないものは、受動的という区分です。)な趣味が欲しいな、と考えていました。

そこで書いてみたのが、この白昼夢の青写真の2次創作です。なぜ白昼夢の青写真、しかもcase1なのかについては、自分自身が、後述する有島症候群を患っていることもあってか、心に刺さった創作物という観点では、この10年ほどでは一番だろうと思ったからです。

【嬉しかった、楽しかったこと】
やはり、原作者の緒乃さんにご覧いただいていたらしいこと。2次創作してて、その原作者にご覧いただけるって、こんな幸せなことってある?と思ってました。
そして、白昼夢の青写真という作品を愛してやまない同志たちから、Twitterでもnoteでも、いいねをいただけたこと。
すごく嬉しかったです。

我ながら、本当に下手くそ(4話くらいまでは特に。)だし、暗いし重いし、あんまり面白い話ではなかったと思うんです。あれだけ可愛い女の子が何人も出てくる作品なのですから、たぶん、もっとライトに、SSのようにほとんど会話だけを繋げる形にして、読んでて「あぁ^~」ってなるものの方が、望まれてるはずです。自分もそういうの、結構好きですし。
逆に、それでも自分の物語を追ってくれた人たちがいてくれたことは、とても励みになりました。

Twitterでも、文章を書くことの難しさに慄いていることをつぶやきましたし、後で、その点にも触れますが、とにかく、読んでいただいたことが嬉しくて、楽しい思いをたくさんさせてもらいました。

【2次創作とは?】
読者視点ですが、基本的には、原作に忠実にあるべきで、読んでいる人が「いやいや…」と感じる表現は、避けた方が良いのだろうと思っています。
とはいえ、それこそIfストーリーだとか、改変が行われたからといって、必ずしも「いやいや…」となるわけでもありません。海斗、世凪、出雲がウィルのお店に行って、ウィルのお父さんがソフトなセクハラしたりボケたりしてても、全然楽しいじゃないですか?

その意味で、原作をどこまで逸脱してよいのか、というのは、ずっと考えていました。とにかく作り込みも完成度も高い作品なので、後で原作を読み直してみると、自分の書いたものとのあいだに、大小問わず齟齬が本当にいくつもあったので、可能な限り直しました(未だ、気づけていないところもあるでしょう。)。
手直しのできなかった一番大きなやらかしは、後述する有島のお父さんのことですね〜。

作中で、祥子は「書きたいものを書いてそれが売れていたら、あなたは国語教師なんかしていない」と述べました。

私はクリエイターの世界に詳しいわけではないですけど、本にせよ音楽にせよ、表現者が作りたいものを好きに作って、それがそのまま世に出ることはそう多くないと聞いています。1枚でも1冊売れるよう、そういう立場の人が、時には表現者の意に反するような指示をしたり手を入れたりして、多くの人たちの思惑も含んで、商業作品は完成します。

もちろん、自分は商業作家ではないのですが、その点、自分の書きたいものを書く、という自己主張はなるべく控えるようにしました。凛の言葉を借りれば「父の匂いがしない」というやつでしょうか。読む人からしたら、こうした方が面白いかな?こう並べた方がわかりやすいかな?ということを考えてました。
そして、相反しますが、書きたいことを表現したいという気持ちにも忠実でありたいと思っていました。

それが2次創作的な姿勢なのかといわれれば、これもまた正解かどうか分かりません。

自由に楽しく書きたいことを書いて、いまいちだといわれれば「精進します。」と答える、本来筋の2次創作、これは同人精神というべきかもですが、それもまた、当然に正解だと思います。そんな書き方も、今回の経験があったからこそ、してみたくなりました。

【反省 必要なことは、全て原作に書いてある。】
一番困ったのは、当初考えていた終着点を、早々に見失ってしまったことです。

緒乃さんの裏社長室の配信を見て、自分も二次創作をしてみようと思い、1話をざくざくと書いてから、改めて、case1をプレイしました。最初は、ツイートのとおり、有島が諦念にいたるまでを書こうと思っていたんですが、改めて原作をプレイしてみると、有島が伸びきったゴムになるまでの過程は、既に克明に描かれていました。いきなり、書くことがなくなっちゃっいました。というか、後述することも、ちゃんと原作には描かれています。とにかく、必要なものは全部原作に在るのです。

その次に考えた終着点は、有島が、誰かを小説を書くことで救いたい、と思うに至る過程でした。原作では、上級のさらに上澄みみたいな存在である凛を救いたいとか言い出す身の程知らずなしょぼくれた中年オヤジ、いや有島の溢れる情熱が、命懸けの行動が、これでもかとばかりに、それこそ有島以上の熱量をもって緒乃さんの手により描かれています。

確かに、凛という女の子との出会いがあって、そうするのが必然というほどの背景もあって、目の前の問題をなあなあにして、日々惰性を繰り返しているだけの有島も、原作のとおり艱難辛苦を乗り越えて、最後には一人の女の子を救ったわけですが、ああまでして一人の人間を助けたい、と思うに至る根っこの部分を、書いてみたいと思いました。

人のために(心から)何かをしたい、という動機となるのは、自分がしてほしかったことだというのが大きいと、私は思っています。

私は、離婚を経験しています。正確にいえば、諸事情あって籍を入れていないので、法律上は離婚ではないのですが。離婚の原因について、恥を承知で書かせてもらうと、私は、ずっと助けて欲しかったのです。いろいろと苦しい時期でした。でも、助けを求められなかった。心のうちを明かさずに、夫婦関係は続かないものです。別れた妻は、愛情の深い人だったから、「助けてくれ」といえば、助けてくれたと思います。祥子はどうだかわかりませんが、そういう人にしておこうと、原作からキャラクターを、少し逸脱させました。

「心から助けてほしいと願った自分があったからこそ、同じ悩み(願い)を持つ若い誰かを助けることができた。」
悪くない筋じゃないか、と思いました。ところがこの落し所も、第2話で、しかも中途半端というか消化不良な形で披露してしまいました。

長くなりましたし、続きも長くなるので、今日はこのあたりで。また明日、もしよろしければ、お付き合いくださいませ。

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