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気遣いを断るべき時、好きでもやめるべき時もある


カフェイン過敏症かもしれない?

※タイトルの画像はセージのお茶です

数年前にここに書きましたが、私はある時期からめっきりカフェインがダメになりました。

緑茶・ウーロン茶はコーヒーや紅茶よりはカフェインの含有率は少ないらしいけど、飲めば軽い頭痛が起こるし、何より不眠になります。朝飲んでもだめ!

遠山に移住しましたが、ここは緑茶を栽培している人も多く、我が家もお茶の収穫を手伝ったお礼に大量の茶葉をいただいたり、よそのお宅にお邪魔したり地域の集まり等では必ず緑茶が出ます。

訪問先で緑茶を出して頂くと「せっかくだし…もったいないし…」と飲んでいるけど、相変わらずその夜は眠れなくなるし、収穫のお礼で頂いた茶葉も、「もったいない!」と時々飲むけど、体には悪影響。水出しでもダメな時もある。

カフェイン不耐性とかカフェイン過敏症とか何か名称があるようだけど、とにかく私には合わないようです。
それが分かっているのに、なぜ繰り返すのだ?私!

上の記事に書いたように、これまでは相手の気遣いを断るのは悪いかなと思って、人から振る舞われたり頂いたなら飲んでいましたが(ベジだし)、たまにとはいえ日常生活に支障が出るので、もうそれもやめようかなと思っています。
眠れない、眠りが浅いのは本当に辛いし。

記事は移住前に書いたけど、特に今住んでいるところは緑茶はこの土地の文化みたいなものだから、なんか断りにくかったんですよね。緑茶自体は好きな方だし。菜食に差し支えないしとか。

でも、肉や魚や卵が入っているものを相手に勧められたり、手土産で持ってきたときは断ることが出来ているのだから、別に難しいことではないでしょう。

記憶で好きなだけ

こうやって、体調が悪くなるけどものすごく悪いわけではないとか、一時的に眠れない程度だったから、辛かったり、体感として合っていないわ!と気づいているのに、それを受け入れず失敗を繰り返していた私。

緑茶は別に飲めなくても何とも思わないですが

もしこれが好きであればあるほど、自分には不必要でやめた方がいいのにやめられないという場合があります。
そして、「まぁ、今日はいいか」を繰り返す。誰かの「ちょっとならいいんじゃない?」が来たならラッキー、それを口実にする。「もったいない、悪いかな?」を口実にする。何かやらなくていい理由を探す。

でも、その「好き」というのは、初めてそれを飲んだり食べた時に、自分にとって楽しい・心地よい・美味しいとか、何か好ましい体験をして、それが記憶にあるからです。
その記憶を元に、その体験をまたしたいと思っているからです

私たちは記憶で飲食しているし、今、目の前のものを飲食しているけど「過去」の記憶で食べているだけ。
その記憶を元に食べたいとか飲みたいという衝動が出ても、それに耳を貸さない!
それもヨガの実践です。(アーサナ取るだけがヨガをすることではないという意味)

体調が悪くなったり、感情が不安定になったり、なんか感覚的におかしいな、瞑想しにくいな、落ち着きがないなとかだったら、おかしいと分かっているのにやめる選択をしないなんて愚か。
そう分かっているけど、やめられない時あるよね。
葛藤する時もあって、失敗と反省を何度も何度も繰り返してきましたが(今もしている)

これまで好きだけど不必要だとやめられたものに関しては、それを手放せた時の内的自由と解放感はなんともいえません。←それを快楽だとは思っていません。
なんか、「好き」からの解放というか。好きが強いほど、執着も強くなって、それって結局苦しいのはどこか気づいているからだと思います。

いい人になろうとしない

今回の緑茶の件って、完全に菜食になる前に私がハマった罠と同じだわ!と、書いていて思いました。
ベジになろうとしていた頃、家では肉や魚は食べなかったけど(卵は食べていた)、誰かと外食して食べるものがなくてかわいそうと勧められたり、ベジを始めたと知らない相手が振る舞ってきた時に

食べないのは相手の気持ちに申し訳ないと思って、口にしていました。肉は完全に受け付けなくなっても、魚は最後までそうでした。(魚も結局は匂いと食感が生理的に無理になりやめられたけど)

でも、よくよく自分を観察すると、相手に申し訳ないのではなく、相手にどう思われるかを気にしているだけだったんですよね。自分に嘘をついて、いい顔を演じていた。
あとは覚えていないけど、魚に関しては生理的に無理になる前は、記憶では美味しいというのがあるから、そういう相手の厚意を「食べてしまえ!食べていい」というのを正当化する口実にしていたこともあったかも。ずるい心です。

でも、そういうマイルールやずるい心を許していると、心はどんどん弱くなっていき、状況や環境に左右され、不都合なことがあれば誰かや何かのせいするし、
平気で自分や他者に嘘をついたり、自分の気分で自分や誰かに不誠実な行動をする癖は消えず、欲も消えず、執着も消えず、どんどん心も汚れていきます。
(ヨガでベジを勧める理由は、欲を自制しやすくすること、瞑想をしやすくすること、心を純粋かしやすくする手助けになるからです)

だから、相手の気持ちはありがたく受け取りつつも、断るべき時は断る。
付き合いだからとか、せっかくだしとか関係ない。それを断っても相手とうまく付き合うことは出来るし
食べ物だったら、相手に事前に事情を伝えておく、相手が事情を知らずに送ってきちゃったり、状況を話すタイミングを失いうっかり受け取ってしまった時は、他の人にあげるとかすればいい。

伝え方です。相手の気持ちはありがたく頂くけど、「こういう理由なので…」と正直に話します。濁したり中途半端な言い方だと変な感じになります。嘘やごまかしはよくない!

※今回は食べ物に関しての話でしたが、他の対象にも当てはまります。
そして、好きだけでなく嫌いも同じことです。「記憶」の観点から自分の好き嫌いとか、不必要なものを冷静に見極めてみてください。

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