24世紀ルネサンス

 都市同盟では23世紀の早い時期からウミムコーやルタオの書籍がニホン語に翻訳されていたが、それが本格的に始まったのは24世紀と遅い。
 2291年にオーイタを征服しその領主となったフクオカ人フカミ・ナオミチは、2297年に現地のルタオ人から別荘を買取り、書庫として改築した。この図書館はキューシューではもっとも大きな図書館となり、膨大な量の蔵書を誇った。ここでのニホン語への翻訳はルタオ人や時にウミムコー人をも加えた共同作業であり、キューシュー史上画期的な試みだった。

 物理や数学の発展もないわけではないが、特に哲学の分野で大きな貢献をなした。ある二人の学者の活躍が著しい。
 ハヤシ・ナラオ(2289-2341)は幼少期ウミムコーで過ごし、有名な哲学者キム・ドジュンに師事した。彼はルタオに長年留学していたフアレス・マサヒサ(2259-2330)と「万物には境界線があるか? あるとして分離可能か?」という問題で論争になり、あまりに白熱したために知人が割って入らねばならないほどだった。二人ともプラトンやアリストテレスの注釈を著している。

 ハヤシはフアレスの死を聞くと、もはや哲学の議論に幻滅を覚え、以後イスラームに改宗して神秘主義に入り浸ったとは有名な逸話である。

 シコク戦争(2345-2357)間は都市同盟とオーイタの関係が険悪になったため書籍の翻訳や議論も停滞したが、戦後はふたたび活発化した。その頃には数学が主に注目され、ヨーロッパの数学を学ぶことが上流市民の教養となった。当時の哲学者の記述に、

「人々はすっかり実学を重んじるようになり、抽象的な議論を重んじない」

 という嘆きがある。こうして発展した数学は建築学に応用されたらしい。だが、そう言った知の営みはほとんど後代に継承されなかった。
 キューシュー戦争(2398-2416)後、キューシュー全土が荒廃するとこの運動も衰退してしまった。