考えさせられている私

 よく人間は自分の頭でものを「考えてる」んだ、とよく言うけど、僕はむしろ、心の中にある様々な思いによって自分自身が「考えさせられてる」んじゃないかと思うようになって来た。
 だって、そうじゃないか。僕らってそんなに物を自由に考えてるわけじゃない。「ピンク色の携帯を想像するな!」と言われたら、そりゃピンク色の携帯を想像してしまうし。まして、怒りとか恨みとか言う感情は抑えようとして抑えられるわけじゃない。

 自由に考えるって、難しいんだよね。楽しいことを考え続けようとしても、嫌なことが左右から横槍を入れてくるし。
 理性は記憶や感情をはっきり取捨選択してくれるわけじゃない。無意識のうちに、えこひいきしているかもしれない。

 感情や記憶の勝手気ままな流れが、僕の心を色んな考え方に導くのだ。そのために僕は激しく苦しんでいる。

 難しい言葉を使えば、理性そのものが思惟しているわけではなく、精神の中にある観念が勝手に動いて、理性をあらぬ方向にひっかき回しているという方が正常なんじゃないかと。
 まず観念に対する感覚を鈍くしないことには、この雑念がおさまることはないだろう。そのためには、修行めいた行動が必要になるんじゃないかって……