感情論で語る「Gのレコンギスタ」

感情論で語ります。書いている本人はふわっとした感情で、劇場版を一周しただけで話します。なので、怒らないでください。すいません。先に謝っておきます。

「で、俺達は何を見せられたんだ?」

君たちはどう生きるかを見たことなので、僕は友人を誘って、「Gのレコンギスタ五部作一気見上映会」というのをやることにした。なぜなら、君たちはどう生きるかを見た直後に、寂しくて泣いて、そのついでにキレ散らかしたからだ。キレ散らかして納得していく様は下の記事でまとめて落ち着いたのだけれど、

とりあえず思ったのは「富野監督ってこの映画みたらキレそうだな」っていうことだった。初見の感情としてあったのは、あんなの生前葬だろうが!!という感覚だったので、こういう燃え尽きたものを富野監督がみたらこう、「あんたほどの男が!!なんて情けない」っていうんじゃないかなあと勝手に思いこんだわけだ。なので、決行した。友人を巻き込まないとかつ、一気に見ないと確実に途中で断念すると思ったので、道ずれを用意してことに挑んだのであった。休日、土曜日の昼下がりである。

気が付けば夜になっていた。それもそうだ。一時間半を五作もみればそらあもう夜も更ける。そして、しばらく茫然とした後、僕は友人たちに

「で、俺達は何を見せられたんだ」

といった。この部分で、見ていた友人たちとは一致した。本当に、視聴後の感想、第一声はそれだった。最も、終盤とんでもない笑いどころがあったため、情緒がとんでもないことになっており、まともな判断ができなくっていたともいえる(クリムってやっぱり天才だよ)。しかしまあ、一方で何かこう、すがすがしさがあった。とてもふわりとした、明確な終わりではないというのに、なんだか「これでいいんだなぁ」という感覚があった。はっきり言って、話の説明をしろといえば、「行って帰ってきて、なんかいきあたりばったりして、帰ってきた──。」としか説明できない。いや、説明じゃないだろこれ。何もわかってねぇじゃねぇか。というか、今でもほとんどそれしか説明できない。なーんもわからない。ふんわりとはわかるけど、キャラクターとかの深堀はぜーんぜんできないし、特にⅢに至っては状況がぜーんぜんよめなかった。そんな僕なのだけれど、わかったことはあった。

自由過ぎる。

こいつら行き当たりばったりすぎる。個人主義というか、自分の思ったことをガンガン行動するし、各々自由自在に動き回るからその結果交通事故が起こる。マッチポンプも起こる。目的が合えば協力するし、それが終わったら即座に敵対する。何といえばいいか、大義があんまりない。凄い大きな物事にみんなで向かっているわけではなく、各々が自分の考えで行動して、利害が一致すれば協力するみたいな、それが集合したみたいな。そういう感覚。

世界を見ている感覚という他人の評価は正しいと思う。SFってそうだよな的な。知らない言葉、知らない文化、しらない、人としての在り方。そういうものが詰まっていて、見てる側は読み取る気概が必要になってくる。それはしんどいものだし、めんどくさいものであるのは間違いない。しかし、冷静に考えてみれば、映像を見るときにストレスを感じないことを求めるというのはある意味で逃げているのではないかという論もある(もっとも、ただただ難しいだけで何もない作品もあるから難しい)

なので、とりあえず僕は軸を考えることにした。この物語の軸、言いたいことは何だろう。それをまず、初見の感想として思考することにした。

前提として、Gのレコンギスタは物語をやろうとしていない。主語が大きい気がして怖いが、浅学非才の無知蒙昧ながらそう感じたのは確かだ。ただ、ベースとして世界があり、人がいる。その暮らしと出来事に対して、人々が考えて動き、その結果が物語らしく見える。それはなんというか、それそのものが軸なのだと今考えてわかる。つまり、物語の軸があってそれを成功させるためにキャラクターがいるのではなく、舞台の中でそれぞれが自由に生きた結果、過程、その全てのありかたが軸、といったような。そういう感覚なのである。

そしてそこから導き出される、産出されるこう、見終わったあとのすがすがしさ、爽快感というのは、なんというか許しでもあると思う。こうでいいんだ、こういう人間らしさがあっていいんだという気づきが僕の中にあって、それが途方もなく優しいし、元気になれる。

それが多分、僕がGのレコンギスタで受け取ったものだ。間違っているかもしれないけれど、少なくとも、とても前向きな気持ちになれた事実はあって、この気持ちだけは真なのである

元気のG


居場所を無くしたと思った青年が、世界を知り、その中で帰りたい場所に変える。人と人が絡み合って物語ができて、その上で時代の波が産まれていく。そういうことを見終わって今も考えているのだけれど、そう思うと、Gのレコンギスタそのもののメッセージを感じ取ることができる。

前に出よう、冒険しよう。たくさんの事を知ろう。その中で辛いことも幸せなこともあるけれど、立ってみて歩いて思いを掲げて見せればきっとそれは人間らしさで、世界を進めるのは、そういう前を向いて歩いている、一人一人なんだよ──

そういう、とても前向きで背中を押してくれるメッセージ。作品の事は何もわかっていないのに、自分の中で感じるこのメッセージは、もっと生きてもいいなと思えるし、さらにいうなら、強くいきなきゃなとも思えてくる。

さらに、それらをまとめる言葉が元気のGであるということにも気づいた。元気のG、その意味合いと力強さは、なんといえばいいのだろうか。そう、気分すっきりなんだな。これが。

元気のGは、始まりのG。怖い現実に向って、前を向こう。前を向いて歩いたぶんだけ、きっとつかめる栄光があるから。

以上、「感情論で語る「Gのレコンギスタ」でした。



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