羊と多胡碑①
前回の投稿から4年が空いてしまいました。この4年間、中央アジアにも行き、ネタはたまっているので、少しずつ整理していこうと思っています。
上毛かるた「昔を語る 多胡の古碑」
先週、群馬県吉井町にある多胡碑を見に行きました。多胡碑は和銅4年(711)年の多胡群創設を記念して建てられた碑です。平安時代以前に建てられた碑は非常に珍しく、多胡碑の近くにある山上碑と金井沢碑とあわせて「上野三碑」と呼ばれ、ユネスコ「世界の記憶」に登録されています。
吉井駅から徒歩30分くらいのところですが、無料シャトルバスが出ています。朝早かったこともあり乗客は私1人…。ありがたく乗車させていただき多胡碑に到着すると、高崎市のボランティアガイドの方が石碑の前にいらっしゃいました。高崎市の力の入れ具合に驚きです。
多胡碑には、抜粋すると、
上野国の片岡群・緑野群・甘良群あわせて三群の内三百戸を羊に給いて多胡群と成す
という内容が漢文で刻まれています。
この「羊」が誰なのかという議論がされています。羊太夫伝説が有名ですが、現地にいらしたボランティアガイドの菊池さんによれば、今、人名ではなく動物という説が出ているそうです。というのは、この地域には古代、羊が多数生息していたそうです(真偽不明)。隣の下野(栃木)からは、大和朝廷にフェルトが献上されたことが古文書(文献名不明)に記されているとのこと。もしそれが本当ならば、多胡碑の「羊」があながち動物の羊と関係しているというのは、ありえない話ではないように思います。
「日本書紀」には、
推古7年(599年)に、百済からの朝貢物として駱駝、驢馬各1頭、白雉1羽、羊2頭が献上された
との記載があります。
599年以降、羊は日本で爆発的に増えたということなのでしょうか。
では、誰がこの羊を飼っていたのか。
そこで注目したいのは多胡碑の「胡」の文字です。
続く
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