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さよーなら、ハルニ。

 首を下に向けるときにだけ、LINEが届く間にだけ、うまく呼吸ができていた気がする。潜水時間は返事がくるまでの間中。朝に簡素な連絡がきて、昼間にも何通か届く。寝起きのおはようがくるタイミングはバラバラで、出勤前の「いってくるね」に置き換えられる場合もある。昼休憩の一時間はずっと連絡を取り合うこともあれば、そうではないこともあった。
「休憩だよ」からしばらく間を置いた「午後もがんばる」
 そうなるとやっぱり僕は息が苦しい。
「仕事終わり」からの「私なでなで待ち」
「今日はスンドゥブ食べます」
 はしゃぐ声とフライパンの中でグツグツと煮える豆腐の動画が添えられて「おやすみ」で終わる間際まで続く一文、また一文。
 音のないスマホの液晶を何度も眺める。テーブルの上には缶ビールの空き缶と山盛りの灰皿。将棋盤には何日も前に並べかけて諦めた竜王戦の感想譜。スマホが震えている気がする瞬間はいつだって落ち着かない。犬のように尻尾を振って、空振りに終わった瞬間は寂しくて、所在のなさに蝕まれて本も読めないし、テレビも、ましてや音楽すらも聞きたくはない。
 放り出された感触だけがねっとりと身体にまとまりついて離れずに、喉が乾いて仕方がなかった。だから、きっとこれはマラソンに近いものに違いないと、そう自分を誤魔化しながら日々を泳ぐことにする。苦しくて当たり前。優しさだけが人を繋ぎ止めている唯一の絆。好意こそが唯一の給水。
 ハルちゃんは乾いていた。排泄機能が壊れた体を持て余し、涙がうまく出てこないようだった。だから僕はずっと寂しかった。
 好かれている実感を持つことができる文面や写真や声が届くと、心臓が破れそうなほど痛くなった。肺をめいっぱい膨らませたランナーの心地で気分が酩酊する。生まれて初めて水面に顔を出した哺乳類にも是非感想を伺いたい。どんな気分? ねえ、予想通り? 予想以下? 
 陸に上がり、森を抜ける。砂漠でようやく見つけ出した遠くのオアシスの存在を頼りに、走る。そうするうちに粘膜のような空気感は重量を待ち、次第に永遠の湖に浸したような静寂に変わる。いつのまにか帰ってきてしまった水の中、鼓膜を揺らすのはいつかの声で、諦めが肝心よね、と。自分の呼吸を殊更に意識し直して、耳鳴りを聞いて。それを何度も再生しながら目を閉じていく。眠る前の数分間にはできるだけ身体を冷やしたい。何度も何度も反芻するうちに、想像の声が耳元で、瞼の裏で、とても現実的に響く瞬間が訪れる。
 助かった、とそう思う。正確には、もうすぐ助かるかも、まだ間に合うのかも。
 歩いたり走ったり泳いだり潜ったり。そんな苦しい毎日とおさらばできる。息が苦しい、喉の乾きなんてもう嫌だ。そう。二人が一緒になれば全てうまくいくのだと、ただそんなことを思っていた。

 結婚式を控えた一ヶ月前に、専務から役員室に呼び出された。入社してから初めて入室を許された部屋は僕が想像していたよりも遥かに殺風景でいて、机とリクライニングチェアだけが立派なだけの部屋でいる。
 壁際の棚や壁に飾り付けられている賞状やトロフィーはメーカーから送られた表彰の痕跡ではあるものの、年代ごとに貼り付けられた過去の遺物は確かに存在していたらしい時間の経過を黄ばみとともに反映させていて、紙の劣化加減や、複数枚の記念式典の写真にかつての栄華がどこどなく物悲しく映る。

「それでお前、入社してから何年目になる」とそう聞かれ、困惑したまま首を捻って考えてみる。目の前で指折り数えるのは違う気がする。
 まごまごしている僕に呆れた専務は左眉だけを器用に上げて「そんなことも答えられんのか」と鼻息を漏らした。

「さ、四年? たぶん、えーと、二? 違うか。三年目ですかね」と答えてみる。間違っていたって特に問題はないだろうとは思うけれど、興味の持てない事柄をまるで覚えられない悪癖が恥ずかしい。
「まあいい。で、どうだ。馴れ初めを聞かせてくれんか。家庭を持つってことはな、男の一大事だぞ」
「前の職場が一緒でした」
「それで?」
「それでって、あとは普通です。口説きたい女がいて、その女には特定の恋人がいて、あまりうまくいってないと聞かされました。だから、僕の方がいい男だよと食事に誘い、並行するように彼氏と直接会って諦めさせた。途端に情けなく暴力性をちらつかせて女に縋り付いた彼氏に冷めた彼女が僕を選んでくれて、同棲して、もうすぐ二年が経ちます。あの、これってもしかしてヒアリングですか?」
 専務は肩を上げてふふんと笑ってから、「そうだ。披露宴のスピーチを任されたのに何も知らんわけにはいかんだろ」とそう言って続けた。「今の話は使えんけどな」
 そのまま乾いた笑い方をする専務に、新婚旅行はどこに行くんだ。とそう問われ、ハワイです。と返した。
「ハワイか。ちゃんと戻って来るんだろうな」
「どういう意味でしょうか」
「お前、面接の時に海外希望だと言ってたろう」そう笑う専務に「もういいんです、それは」と僕も目を細めて微笑んでみる。「旅への憧れを持つ遺伝子は次世代に繋げることにします」とそう言って部屋を出た。

 ねえ、ねえ。そんな風に問いかける言葉の奥にはいつだって名前がある。
「ねえ」とそう問いかけると、歴代の彼女たちは各々に応えてくれていて、その返答はさまざまで、だから僕は嬉しくて、名前を呼び返されることが嬉しくて、君の名前は僕の口癖。
「ねえ、ハルちゃん」とそう声に出してみる。返事がないことをいいことに話しかけてみる。
「ずっと寝てたお米の味を楽しめるのが日本酒なんだよ。起き抜けに見た眩しい太陽の匂いがする。つまり僕が毎日晩酌するのはごはんを食べることとか、日の光を浴びることと同じなわけ。一汁一菜よりももっと効率がいいわけなのよ。主食が日本酒ってことは汁ものがいらないということで、あとはなんかうまい肴があれば、とりあえず今日という一日は約束されてる。最高ってことだよ」


 同棲している頃から予想はしていたことなのだけど、いざ結婚生活へと駒を進めたところで生活が劇的に変わることなんてなかった。むしろ、憧れや希望を胸に抱いていた分、よりタチの悪いものだと感じた。お互いの夢の形には目に見えない隔たりがある。隔たりは違和感へ、違和感は寂しさへ、寂しさは悲しみに形を変えて、次第に怒りへと変貌を遂げていく。
「散々話合ったのに、どうして休みの日に必ず実家に帰っちゃうの?」とそう問えば、「親に会えなくてさみしいから」と困った顔をする。
「ねえ、僕はいつまで一人でごはんを作ればいい? 手料理に憧れがある」とそう伝えると、「うまく作れないし、馬鹿にされるから嫌だ」と口を尖らせる。
「仕事が終わって家に帰っても誰もいないことがさみしい。飲み会も多すぎない? 今から作り上げていく家庭も大事にしてほしい」と訴えても「そうやって怒られるから、帰りたくなくなるんだ」と恐る恐るの表情で応えたあとに、決まって黙り込んでしまうのだった。

 ハルちゃんのような人間になりたかった。話し方も笑い方も何もかも。そんなことができるわけがないのに、憧れている僕がいた。美味しそうにご飯を食べたり、音楽を聞いて飛び跳ねてみたり。怒りを表に出さずに、悲しい顔を作れる人に。僕とは違う、真っ直ぐな感情を相手に浸透させることのできる人に。
 男尊女卑の価値観に染まりきった僕とは違う。自由主義の皮を被った差別主義者の僕とは違う。足を引っ張らないでほしいと常に他人に対して苛立っていて、救いようのない傲慢さを時折犬の喧嘩のように発散させたくなる。優しさという美意識を逆手に、能力のない人間を、意思疎通に難のある人を馬鹿にして笑ってしまう。特段、こちらが何かを指摘するわけでもないのに、仕方がないじゃないかと憤慨する子供のような人間が滑稽で、うすら笑いが止まらなかった。なんの疑いもなく、傲慢に生きることが許されている自分を受け入れて、他人とうまく付き合えない理由のすべては、僕以外に責任があると決めつけていた。

 
 仕事の帰りにスーパーに寄って、カゴに野菜を放り込んでいく。妻の苦手な食材を避けるうちに、肉や生魚を使わない献立のレパートリーも増えていった。そんな自分が心地よかった。喜んだ顔が見られるのならと率先して料理を作り続けてきたのだけど、初めは嬉しかったはずのビニール紐の重さも、肉に食い込む指の痛さも、割に合わないと感じてしまう要因の一つに成り下がる。

「今日はオムライス作るよ」と声をかける。「テーブルの上さ、片付けといてね」
 妻はその日も仕事に疲れているらしかった。職場の人間関係がうまくいかないらしい。これまでに何度となく話を聞いてみようとしたのだけど、名詞や動詞や主語があちらこちらに飛ぶ内容を理解することは難しかった。何言いたいのかわからん。なんでちゃんと喋れないの。とそんな言葉を繰り返すうちに、子供のように唇を噛んで悔しそうに黙り込んでしまう。
 とても勝手なことだとはわかっているのだけど、苛立ちだけが膨らんでいく。どうしてこの人は成長できないのだろうかと焦燥感ばかり募る。
 毎晩ベットのなかで愚痴を聞き、背中をぽんぽんと叩いて慰める。
「大丈夫ってして」
 涙声で懐に潜り込む妻に「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続ける。
 こんなことをいつまで続ければいいのだろう。本当にこの人は大丈夫なのだろうか。きちんと真っ当に、子供を、育てられるのだろうか。
 結婚を急かされた時もそうだ。僕は彼女に、まだ早いよとそう伝えていた。

「現代の結婚はさ、それぞれに独立した個人が、一人でも生きていける個人がさ。それでもこの人と共に生きていきたいと考えたときに初めて有利になる制度だと思う。生活レベルも下げたくないし、僕の稼ぎだけじゃ、例えば私大に進むための学費や上京のための仕送り資金を捻出させ続けることが難しいからね。でも、子供が産まれて育ったときに、お金を理由に選択肢の幅を狭めさせたくないから、だからきちんと就職してね。正社員の経験があるのとないのでは復職に影響するから」
 
 フライパンの中でみじん切りにした玉ねぎと人参を炒める。いつもはケチャップライスなのだけど、たまには味付けを変えてコンソメ顆粒と塩胡椒を振って、バターライスを作ってみる。卵に包んで、仕上げにデミグラスソースをかけると、小洒落た洋食屋さんのメニューに似たオムライスが出来上がった。
 サラダと一緒にテーブルに運ぶ。妻はスマホに夢中のようで、案の定、何も片付けられていない。なんで、と非難の声を浴びせると慌てて立ち上がって、テーブルの上の雑誌や飲み終わったままのマグカップに手を伸ばす。
「よくわからない」とこぼしてしまう。どうしていつも、毎日。こうもうまくいかない。ただ二人で笑っていたいだけなのに。たった十秒の会話で僕は苛立ちを隠せなくなっている。
 キッチンに戻り、今度は僕の分のオムライスとサラダを持ってまたリビングへと歩く。妻はすでに一人でスプーンを動かして、咀嚼したままつまらなそうに「いつものケチャップライスがよかったな」とそう呟いた。

「……どうして先に食べちゃうの?」
「……」
「まったく意味がわからない。二人で食べるために作ったんだよ。美味しいって言ってもらいたくて作ったんだよ俺は」
 苛立ちと困惑の表情を隠せないまま僕は続けた。
「ねえ、なんで何もしないの? 掃除も洗濯も、食事の用意だって俺は一人でなんでもできるよ? 俺だって働いてるんだよ。なのに、俺ばっかりに家事を押し付けて、悪びれもしないし、感謝の言葉だって……いつもいつも、どれだけやってもいつの間にか物が溢れて部屋は散らかし放題。寝室は脱ぎっぱなしの服で溢れてる。料理だってそうだよ、ネットにいくらでもレシピは転がってる。こんなの誰にでもできるんだって、できないって思い込んでるだけなんだって。やる気がないだけなんだって」
 妻は震える手のなかに包んだスプーンを静かに皿の上に置いた。カチャリ、という金属音だけが控えめに響く。それから両手で顔を覆い、泣きながら「馬鹿にしてる。怒られてばっかり。わたし、何もできないもん」と鼻声を漏らした。
 大粒の涙を垂らしてぐしゃぐしゃになった顔を隠さず俯いて、「離婚したい。もう家に帰りたい」とそう言った。

 
 ハルちゃんには何もないとよく聞かされた。夢も目標もなにもない、と。でも僕はそれを嘘だなと思っていた。とてもささやかな願望にいつだって胸を躍らせている。しっかりと背筋を伸ばし、前を向いて歩くことのできるハルちゃん。料理だって掃除だって、いつだって楽しげにやってのける。職場で上司に失礼なことを言われたら、きちんと態度に表すこともできているようだったし、聞かされる愚痴も、ハルちゃんの確かな生活の一部なのだと実感できることが嬉しかった。週末の予定を報告し合い、2ヶ月後の計画を話し合った。確かな幸せの記憶。ハルちゃんは僕に、「お別れがこないことを祈るよ」と笑ってくれていた。


 話し合いは難航したまま月日だけが重なっていく。義両親はすでに僕らの関係を諦めているらしく、というよりも最初から僕という個人をあまり気に入ってはいなかったらしく、娘の好きにさせてやりたい。お前が悪いと告げられてから音信が途絶えた。僕は僕で、離れたがる妻を必死で説得した。
「離婚ってそんなに簡単に決めていいものじゃないと思う。お互いの両親や親戚や友達、沢山の人に祝ってもらったじゃないか。僕らの家庭はまだ始まったばかりで、話し合いがうまくできないのなら、自分の気持ちをうまく伝えられないのなら、ゆっくりでもいいから、ちゃんと聞くから」
 職場に通うのに都合がいいという理由もあったのだろう。一応は家に戻ってきてくれた妻なのだけど、それでもやはり、休みの日には実家に帰り、夕食と風呂を済ませて帰ってくる。二十四時を超えるのが当たり前で、自宅には寝るためだけに帰ってきているようになった。職場での飲み会は頻度こそ落ちたものの変わらずにいる。こんなはずではなかったという、やるせなさだけが募っていく。 
 本当に浮気を疑っていたわけではない。
 ただふとした瞬間に疑念を抱き、カマをかけてみただけなのだ。
 今度は僕の希望通り実家に帰っていく妻を見送ったその日、僕は用意していたクリスマスプレゼントをゴミ箱に捨てて、続いて左手の薬指の指輪を外してみた。捨てよう、とそう思うのだけど、どうにもうまくいきそうにない。震えているわけでは決してないのだけれど、握りしめた手のひらが意識の外にあるようにいうことを聞かない。
 諦めなければならない。途中から諦めかけていたことを再度、確信を持って認めなければならない。温泉旅館で緊張しながら告げたプロポーズに嬉し泣きで応えてくれた姿も、二人の暮らしも、披露宴ではにかんでいた笑顔も、慣れない異国の土地で離ればなれにならないようにとずっと手を繋いでいた新婚旅行の思い出も。そのすべてに価値なんてなにもなかった。家も、子供も、その先の二人も。
 嬉しかった今までのすべてが悲しく辛い思い出に姿を変えたのだから、この先を未練がましく思うことほど悪趣味なことはないのだ。思えばそうだ。二人で暮らしているのに、誕生日を祝ってもらえなかった時に気がつくべきだった。
 情熱があれば、二人の生活に希望があれば大抵の問題は解決に向かう。それができない理由はただ一つじゃないか。僕に対する愛情は、気づかないうちに他の男に奪われていたのだということ。
 荷物を引き取りにやってきた妻はごめんなさいを繰り返し、「赤ちゃんが欲しかった」と子供みたいにくしゃくしゃの泣き顔を見せる。
「ねえ、あたしのこと本当に好きだった?」
 まったく意味がわからなかった。
「どうしてそんなこと聞くの」
 これはうまく言葉が出て来なかった。悔しかったのかもしれない。自分自身が情けなかったのかもしれない。だけど、不覚にも泣き出してしまった理由だけが、未だにわからないままだ。


「ねえ、ハルちゃん。そんなこと言わないの、って笑われたけど。でも本当の気持ちだったんだよ。最後の恋人だって思ったんだ。でも誰は意思が弱いから、喉元過ぎればまた誰かのことを、いいなと思ってしまう。この人と一緒になると、どうなるのかなって。でも、その人に好きだと告げられる度に、ああ、なんだこの女も裏切るのかと思ってしまうんだよ。恋人とか旦那がいても関係ないんだなって、向けられる好意に嫌悪感が増していく。自分で近づいておきながら唾を吐くことで、バランスを取ろうとしていたのかとしれないね」
 だから、どうか。僕が次に好きになる人に言われてみたい。「気持ちは嬉しいけど、あなたのことを好きになれない」

 
 能力のないものを生かすことはできても、受け入れることのできない性質が邪魔をして、というよりも、社会性よりも道徳性よりも倫理よりも、ただ僕の感情が許せずに、妻に慰謝料を請求できなかった。代わりに、間男からは月に十万円ずつが振り込まれている。その全てをその月にお酒を飲むことで溶かしていく。決して形に残るものを残してはいけない。
 誠実なんて言葉は普段どこかに出かけてる。自分が誘惑に負けそうなのときに嫌な上司みたいな顔で駆けつけてきて、僕らはきっと恩恵の上にあぐらをかきすぎて、いつだって自らが危険な立ち位置にいることに気がつかないし、でも本当はきっとその場所も、ぬるま湯の中だ。
 もしも望みが叶うのならば、裏切られたという記憶のみを消してみたい。怖くて眠れないときに相手を遠ざけずにすむかも。早く捨ててほしい、他の人のとこに戻れって願わずにすむかも。

 あなたの幸せが、僕の幸せだと伝えられなかった。そんな気持ちは最初から、毛頭なかった。僕は自分勝手で優しくなくて、主張ばかりで歩み寄れないまま、妻の人生を浪費した。
 思えばそうだ。憎まれることに慣れすぎて、たまに現れる僕の味方には必ず正義の使者な現れる。「洗脳されてる」「騙されていいように使われるのがオチだ」とかなんとか嗜められて、それって今思えば最高かも。僕に近付いて不幸に片足突っ込もうとしてる人を事前に助けてるってことだよ。最高、殺してやりたい。

 馬鹿みたい。
「イマジナリーフレンドとかさ、タルパとかあるじゃん。それ作ってみようよ。お互いの分身を隣に置いて、好きなこと言わせよう寂しいとき」
「いいね、それ。今度やってみるよ」
 ハルちゃんの提案に適当な相槌を打ってからしばらくして、とりあえず僕は姿の見えないタルパに言葉を発させる。
《本当にどうしようもなくなったらさ、私に相談してみてよ。大丈夫、誰にも言わない。大丈夫だよ、私があなたを殺してあげる》
 いい言葉だ。こわくて悲しくて優しくて最高。こんなこと絶対言ってくれないしね。
 だから僕は調子に乗って、いつかの言葉を、もう古くて忘れかけてた言葉をタルパにリピートさせてみる。

「好きな短歌があって、『間違って降りてしまった駅だから、改札で君が待ってる気がする』。いい歌でさ。かなしくて好きなんだ。僕はほら、間違えてばかりだから」
 ハルちゃんは困ったように笑いながら。
《間違ってないよ。降りた駅には私はいるよ》
 とそう言ってくれた。
 ハルちゃん。なんだよタルパってくだらない。僕は今日誕生日だったから、一年で一番悲しい日だったよ。さよなら。風邪に気をつけて。


お肉かお酒買いたいです