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ママになりたい

 仙台駅の西側二階、ステンドグラス前は綺麗に飾り付けられていた。北陸物産展と称したイベントが開催されており、のどぐろラーメン、ほたるイカのいしり干し等が作業台に陳列されていた。
 軽くお酒でも飲んで帰ろうかと考えていたが、並べられている物珍しい珍味を目で追っていると、わざわざ安くない金を払い、慣れ親しんだ海産物や、質の悪く汚れた油で揚げられた唐揚げなどで胃を痛めつける結末を迎えようとしていた自分が、途端に馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 今夜は久しぶりに真っ直ぐアパートに帰ろうと早々に決めて、酒の肴になりそうな二、三品の海産物や、なんとか賞を受賞したらしい銘菓を手に取ってみた。「かぶら寿し」が、やけにうまそうに見える。初めて目にする食べ物だが、形状と色合いで判断するに、クセの強い甘味物であることは、ほぼ間違いないだろう。
「嘘、ほんとに?」と甲高い声がして意識を奪われる。視線を向けると、制服を着た学生の女が二人、慌ただしく西側出口に駆けていく姿があった。
 リュックからカメラを手探りつつ後を追う。取り出しながら「充電が切れている」ことを思い出したが、スマートフォンで代替できるだろうと思い至る。名刺と、首から下げられたカメラの存在が重要なのであって、機器は補助に過ぎない。 
 外に出ると、つい二ヶ月ほど前までに夏の空気を圧縮させた気体が、季節という名の交換器に入り、循環されて放出されたかような秋の冷気が首筋を撫でつけてくる。大型商業ビルの目立った看板の下、北側に人だかりが見えて、事件か事故か、その可能性と、活字に起こした際の見出しをまず考えたのだが、緊張を呼吸で整えようとあえてゆっくりと歩を進めている内に、そのどちらの可能性でもないことがわかった。アコースティックギターの旋律と、男性の歌声が聞こえてきたからだ。
 歌声は甘く、サビのパートでは高音がよく伸びる。もしも、出だしで低音域の声を聞いていなければ女性の声と認識していたかもしれない。音楽の流行り廃りはわからないが、感情をしっかりと乗せる声量も相まって耳心地がよかった。しかし、人だかりを集められるほどの歌声ではないようにも思えた。
 辺りを見渡すと、三、四十人は集まっているのだが、若い女が大半であり、男は俺を含めても数人しか確認できない。覗き込んでみると、金髪の男があぐらをかいてギターを鳴らしていた。セオリー通りの情熱を表情に滲ませながら歌っている。弾き語りを繰り広げる金髪の男の隣にはスケッチブックが立てかけられており、カラフルな文字で「全国弾き語りツアー実施中! チャンネル登録よろしくお願いします」と書かれていた。
「あの、よくないですよそれ」肩を掴まれて振り返ると、背が高く、ひょろひょろと形容するに相応しい、痩せた男が険しい目で俺を睨んでいた。「よくないですよそれ」と、その言葉が蝸牛を振動させ情報を脳に伝えるまでに、体感で二秒はかかっただろう。
「それ、何を撮ろうとしてるんです?」
 丁度、歌声が途絶えた間奏のタイミングでいて、二度目の声はしっかりと俺の鼓膜を揺らした。
「なにも撮る気はないよ」と肩をずらして男に向き直ってみた。「首から下げているだけだよ」
「なにも撮る気がない人間は、街中で首からカメラを下げたりはしないんですよ。迷惑なんですよ。あなたみたいな人は。許可とってます? とってないですよね。承諾もなにもなく違法にアップロードされた動画が拡散されて、通りにいる観客だって映り込みますよね。迷惑だろうなとか、普通は考えますけどね。社会にとって害悪でしかないんですよ、あなたみたいな存在は」
 予想外の展開に気圧され、うまく言葉が出てこなかった。ずいぶんな言われようだと面を食らってしまう。酔っ払いか、もしくは同業者かと考えたが、「違法にアップロードされた動画」との口ぶりから察するに、動画配信者とでも疑われているのだろう。
 李下に冠を正さずとはよく言うが、強すぎる口調と、捲し立てられた言動に辟易してしまい、「あんたのおかげでいい世の中になった」とカメラをリュックにしまって、ゆっくりとした動作でその場を後にした。
 一度だけ振り返ると、男は先程まで俺がいた位置に留まったまま、つい数秒前とは打って変わって、いかにも親しげに若い女に話しかけているようだった。なるほど、知人が無許可でカメラに映り込む可能性に憤りを覚えたのだろうと想像してみた。良いところを見せたくて、当て馬にされただけなのだろうと。
 今度は振り返ることなく国分町に向かい歩き出した。夕食も兼ねて大衆居酒屋でも行こうかと、頭の中で酒のつまみを浮かべてみる。だし巻き卵に、価格高騰の煽りを受けた秋刀魚の塩焼きも追加で注文し、生姜のすり下ろしがたっぷりと添えられた焼きナスもいい。ホタルイカの沖漬けがあれば、北陸の珍味を買わなかった今日という一日を供養できるだろうと想像しながらも、いまさら駅の構内に戻る選択肢などは、もはやなかった。

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