見出し画像

笠くん、お疲れ様でした。

2022年12月14日。

ちょうど1年前の今日、笠浩二さんがお亡くなりになりました。
60歳でした。

やっぱり”笠さん”よりも、”笠くん”の方がしっくりきます。
以降、笠くんで書き進めていきます🙏


笠くんはほかのメンバーよりも、
「あの人は今」的番組に出ることが多かったので、
解散後もちょこちょこと拝見しておりました。

年齢を重ねても、相変わらずチャーミングな人だなぁー
と思って、いつもテレビを見ていました。

でも、最後になったテレビ出演を偶然見てて、
「笠くん、大丈夫かい?」と、
テレビに向かって言ってしまいました。

だから、亡くなったと知った時、
「その日が来てしまったのだな」と思いました。

英樹さんのように突然では無かったけど、
でもやっぱり悲しかった。

子供の頃、大好きだった人がいなくなってしまったのだなぁ。
という現実を受け止めるのが難しかった。

そして、なにげなくYoutubeから流れてきたC-C-Bの曲。
反射的に涙がぽろぽろ流れました。

「私が大好きだったこの声。この曲。もっと聴きたい」

ここからC-C-Bをむさぼる様に聴き始め、今に至ります。


よくよく考えると、C-C-Bのブレイク後の活動はほんの5年弱。

60年の人生の中、たった5年くらいの活動が
笠くんの人生を決定付けました。

それくらい、「C-C-B」というバンドのインパクトは大きかった。

解散後、この大きな看板が名刺がわりになった事もあっただろうけど、
反対に重荷だった事もあったはず。

そのすべてを受け入れて、C-C-Bの看板を守った笠くん。

関口さんが追悼コメントで、
「C-C-Bを背負わせてごめん」と述べていたり、

英樹さんも、
「解散コンサートで最後にステージを去ったのは笠。
彼がC-C-Bの象徴だった。」
と後にコメントしています。

モノマネでC-C-Bといえば、
ピンクの髪とメガネをかけて、ドラムを叩きながら歌う
笠くんを真似るでしょう。

自分のコンディションが良く無くても、
米川さんと2人でC-C-B名義でメディアに出たり、ライブをやったり。
いろんな思いがあっただろうけど、
C-C-Bを大切にされてきました。


そして、笠くんといえば熊本。

C-C-B的修学旅行、第2弾ができるなら熊本に行ってみたい!
(なかなか難しそうですが‥)

笠くんの心身を癒してくれた大地。

熊本での活動も、SNS等で読むことができました。
地域に根ざして活動している事がよくわかりました。

今ならリモートワークは普通だけれど、
東京でのお仕事のやり取りも、当初は大変な事もあったでしょうに。

デジタル脳の笠くんは難なくやりこなしていたのですね。


これから先、
このハイトーンボイスとチャーミングな笑顔を持つ
名ドラマーが出てくることはないでしょう。

それくらい、「笠浩二」と言う人は唯一無二の存在でした。

笠くんがいなくなって、
本当にC-C-Bが終わってしまったのだなぁと思います。

でも、笠くんからもらった幸せを忘れないように、
私たちが次の世代へ
「C-C-Bと言う素敵なバンドがあったのですよ」
と、思い出を引き継いでいければと思います。

笠くん、私たちをたくさん楽しませてくれてありがとう。

お疲れ様でした、ゆっくり休んでくださいね。

ロマンティックドラマーは世界中探しても、笠くんだけ!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?