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【日常の謎・日常ミステリ】100年近く前の写真に写った男のミステリー。解決は無理だから妄想してみた!

米澤穂信の古典部シリーズのような登場人物がひどい目に遭わない(少し暗い話もあるけど)ミステリーが好きで、現実にもそんなミステリーがないか探している。

2014年4月、アメリカやイギリスなどの英語圏、中国などで少し話題になったニュースがあった。

アメリカで1930年代から1960年代にかけて撮られたと見られる、中年~老人の男性の写真が、アンティークフェアで大量に見つかったという。

見つかった写真は445枚もあり、ほぼすべて男が一人で写っているバストショットの写真(息子?と一緒に写っているものもある)で、30年間構図は全く変わっていないらしい。下の画像は男の写真の一部。

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最初にこのニュースを見つけたのはGIZMODEの日本版の記事で、さらに調べるとCNNyahoo!でも同様の記事を見つけた。

記事の内容は、全部大体いっしょで、「Striking Resemblance: The Changing Art of Portraiture」展という肖像画の歴史や自撮りなどをテーマにした美術展を紹介する記事だった。男の写真はその美術展で見れたらしい。

どの記事も、男の謎について深掘りする内容ではなかったが、それも当然といえば当然で、古い写真が大量にある、というだけでわかることはほとんどないと思う。
せいぜい、当時のファッションや男が歳をとっていく様がわかるぐらいがではないだろうか。

僕はこのニュースを知ったときに、謎の男のことを「スモーク」という映画にでてくるオーギーという人物を連想した。

1990年ブルックリン―。
 14年間毎日同じ時間に同じ場所で写真を撮り続けるタバコ屋の店主、オーギー(ハーヴェイ・カイテル)。
 最愛の妻を事故で亡くして以来書けなくなった作家、ポール(ウィリアム・ハート)。 
18年前にオーギーを裏切り昔の男と結婚した恋人、ルビー(ストッカード・チャニング)。
 強盗が落とした大金を拾ったために命を狙われる黒人少年、ラシード(ハロルド・ペリノー)。
それぞれの人生が織りなす糸のように絡み合い、そして感動のクライマックスへと向かっていく……。

amazonの商品ページより引用

タバコ屋の店主オーギーが、14年間同じ時間同じ場所で撮った写真を、作家のポールに見せるシーンがある。

以下、スモークの脚本より引用。

オーギー:全部同じだけど、一枚一枚みんな違ってもいるんだよ。明るい朝もあれば暗い朝もある。夏の光もあれば秋の光もある。平日もあれば週末もある。コートを着て長靴をはいた人間もいれば、短パンにTシャツの人間もいる。それが同じ人間のこともあるし、別な人間のこともある。別な人間が同じになることもあるし、同じ人間が消えてしまうこともある。地球は太陽のまわりを回り、太陽からの光は毎日違う角度で地球を照らすんだ。
ポール:(アルバムから顔を上げオーギーを見て)ゆっくり見る、かい?
オーギー:イエス、そうお勧めするね。わかるだろう。明日、そして明日、そして明日、時はのろのろとした足どりで過ぎていく。

謎の男はオーギーのように、30年間アートを作っていたのだろうか。

まずは写真を観察する

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男の表情や格好などは無視して、写真自体を見てみる。(残念ながら、すべての写真を見ることはできない。似たようなことしか書いてないが、複数にサイトでこの写真のことを取り上げている。そのサイトにある一部の写真を参考にしている。)
大きさはわからないが、すべての写真が金属っぽいのフレームに収まっている。
このフレームはなんなんだろう?

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画像はebayのスクショ。古い他人(多分)の写真を結構なお値段で売っている。
画像以外にも同じような古い写真は売られていた。
どうやら、こういった金属のフレーム付き写真は、当時は一般的なものだったらしい。

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写真の背面に、”Photomatic”の文字が見える。

Photmaticを検索すると、韓国のプリクラのことが出てくるが、下記のようなものあった。

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なんとなくバスっぽいが、フォトブースというものらしい。

フォトブースは、(写真の右側の)カーテンをめくって、個室の中に入り、お金を入れると、自動で写真を撮ることができる。

つまり、フォトブースとは、現代の日本でもわりとどこにでもある証明写真の機械のことで、男は証明写真の機械で写真を撮っていたらしい。

フォトブースの歴史

Photo boothのwikipediaによると、フォトブースは、ロシアから米国に来たユダヤ移民のアナトール・ジョセフォが発明、1925年に商品化したようだ。
商品化した当時から、カーテンのある個室に入って写真を撮る、という使い方は変わっていないらしい。(アナトール・ジョセフォのフォトブースは、1枚のシートに8枚の写真が撮れた。男の写真のように金属製のフレームがついている写真は撮れない)

最初のフォトブースは、NYのブロードウェイに置かれ、わずか6か月の間に28万人が写真を撮った。
当時、個人のカメラは一般的ではなかったから、自動で写真を撮ること自体に目新しさがあった。
フォトブースで撮った写真は、お土産にしたり、誕生日や挨拶のカードに使ったり、恋人同士が交換するなどとても喜ばれた。

アメリカの青年が第2次世界大戦に出征するときに、家族や恋人が自分の写真を青年にもたせるためすごく流行ったらしい。

1927年にアナトール・ジョセフォは、会社の権利をヘンリー・モーゲンソー・シニアに売却。そして、ヘンリーは、アナトール・ジョセフォの会社をウィリアム・ラビキンに売却した。

ラビキンの会社はInternational Mutoscope Reel Companyという名前で、wikipediaにも項目があった。
以下、wikipediaからgoogleの直訳

同社はまた、「Photomatic」という名前でアーケードフォトブースを制作しました。これらは、「フォトマティックによって撮影された」というクレジットが裏面に付いた、お土産の2-5 / 8 "(6.67cm)x 3-1 / 16"(7.78cm)の金属フレームの写真を作成しました。

金属製のフレーム付いた写真が撮れる「Photomatic」というフォトブースで、男は写真を撮ったのだろう。

なぜ、男は写真を撮り続けたのか?

大量に写真を残した謎の男、彼はなぜこんな不思議な行動をしたのか。

記事では、

①今、生きていたらSNSに生活のすべてをあげるようなナルシストだった?

or

②男はフォトブースの技術者で、点検のために自分の写真を撮っていただけでは?(なぜ写真を残していたのか疑問は残る)

といった予想が書かれていた。

さらに、②だったとしたら、映画の「アメリ」のようだとも書かれていた。

「アメリ」は約20年前の2002年に公開されたフランス映画。

『デリカテッセン』『ロスト・チルドレン』で知られるジャン=ピエール・ジュネ監督が、モンマルトルの街で夢見がちに生きる若い女性の軽やかな日常を描いた、ポップなヒロイン・ムービー。
22歳のアメリ(オドレイ・トトゥ)は、ある日“他人を幸福にする喜び”に目覚めて密かな悪戯にひたっていくが、やがてひとりの青年に恋したことで、メルヘンの世界から現実へ踏み出す必要へと迫られていく…。
どこかお人好しでお節介、そのくせ自分からはなかなか翔び立てない小悪魔アメリのキュートな可愛らしさは、特に若い女性客に好感と共感を持って受け入れられた。遊び心たっぷりの映像と音の演出も小粋で楽しい。フランス本国、そして日本でも驚異的大ヒットを記録し、「観た人を幸せにする映画」という監督自身の弁を見事に裏付けることにもなった快作である。(的田也寸志)
amazonの商品ページから引用

この映画の中で、フォトブースと写真が印象的に使われている。

アメリが恋する青年は、駅にあるフォトブースの周りやゴミ箱などに捨てられた撮影に失敗した写真を収集するという変わった趣味を持っている。

アメリが青年に一目惚れするシーンの中で、青年は写真のアルバムを落としてしまう。

それを拾ったアメリは、アルバムを見て(青年のプライバシーを守るよりも好奇心の方が勝ったようだ)拾った写真の中に奇妙な男を発見する。

奇妙な男の写真は何枚もあり、いろいろな駅で写真を撮っては、せっかく撮った写真を捨てるということを繰り返している。

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なぜ、男はこんな不思議なことをしているのか?
アメリは男の行動について予想する。
以下、映画より。()内は僕の補足

全部で12枚、数えたの。
定期的にあちこちで写真を撮ってすぐに捨てるなんてなにかの儀式?

(男が恐れているのは)死だわ。
死んで忘れられること。
自分の顔をこの世に送ったのよ。
あの世からのFAXなのよ。

あっさり男の正体が判明

2014年6月、男の正体があっさりわかる。4月の記事を見た謎の男の甥から、新聞社に連絡があったらしく、男の人となりが紹介される記事があった

男はフランクリン・スワンクという方で、フォトブースの代理店のオーナーで技術者だった。1980年代に亡くなっている。

スワンクさんは、フォトブースの代理店以外にも、飛行機の共同オーナーだったり、漁師もしていたらしい。

また、スワンクさんは壊れたフォトブースを甥といっしょに分解したことがあって、甥にコインケースの中にお金が入ってたらもらっていいよ、と言ったり、カジノにいったときに、スロットマシンのコインケース(管理にしていたフォトブースと似ていた?)を冗談で開けようするなど、陽気でユーモアのある人物だったと紹介されていた。

写真についても追加の情報があり、変顔をした写真や、鼻眼鏡をした写真、中折ハットをかぶりパイプをくゆらしていたものもあったようだ。

写真の保存状態は良く、丁寧に箱に入れられ、綺麗な状態で保存されていたらしい。

スワンクさんが残した写真は、4月の記事にあった推測通り、フォトブースのメンテナンスのために撮ったもののようだ。

なぜ、スワンクさんはもう不必要になった写真を捨てずにとっていたのだろう。

記事では、スワンクさんは人生の記録をしていたのではないか。ユニークな作品を残した無名の芸術家だったのではないか。(かなり超訳)といったことが書かれていた。

記事の通り、スワンクさんは無名の芸術家だったのだろうか。

再度、スワンクさんの写真を見ると、そういった写真ではないのではと思った。なんか笑顔が優しい☺

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金属のフレーム付きの写真はいつまであった?

フォトブースの写真は1940年代に入ると、現在と同じ1枚のシートに4枚の写真が撮れる仕様が一般的なものになって、金属のフレーム付きの写真が撮れるフォトブース:Photomaticは、1945年を最後に発売されなくなってしまう。(Photomaticを作っていたInternational Mutoscope ReelCompany社は1949年に倒産)

では、Photomaticはいつまで稼働していたのだろう。
また、写真の素材になる空の金属製のフレームはいつまであったのだろう。

紙の写真が主流になった1950、60年代では、古臭いPhotomaticは設置していても売れなかったと思う。

でも、スワンクさんの写真は1960年代まで撮り続けられた。

まだ稼働はできるが、設置しても無駄。なので、スワンクさんは会社や自宅に引き上げさせていたのではないだろうか。

だから、点検も頻繁には必要ない。

空の金属製のフレームも製造されなくなり、手元にある在庫がすべてになったのではないだろうか。

写真を残した理由を妄想してみる

スワンクさんがフォトブースを購入した1930年年代は、アメリカでは大恐慌が起こっていた。

そんなときに、いくら安価(値段はよくわからないが、ジョセフォの機械は現在だと3.5ドルぐらいで写真が撮れたらしいので、Photomaticも同じくらいではないだろうか)とはいえ、自分のプロジェクト用の写真を撮ったとは考えにくい。

スワンクさんはメンテナンス用に撮った写真を捨てずに、お子さんにお土産として渡していたのではないだろうかと妄想する。
画像はお子さんと見られる人物との写真。

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その写真をお子さんが集めてコレクションしていた。(6月の記事にあった変な格好の写真や素敵な笑顔も納得できる。)

そのうち、お子さんが大きくなると、当たり前のように父親の写真なんかに興味はなくなる。が、優しい父親と子供の常として、父親はいつまでも写真を渡し続け(子供はもういらないのに)、子供もいらないとは言えず、とりあえず受け取るという、コミュニケーションがしばらく続けられたのではないだろうか。

子供は次第に受け取った写真を母親にこっそり渡すようになり、奥さんが子供のコレクションを引き継ぎ、金属フレームの写真は、親子から夫婦のコミュニケーションに変化していったのではないかと考える。

Photomaticは家の車庫などにあって、子供や孫が遊びに来るたびに、スワンクさんはメンテナンスをして写真を撮る。その写真を奥さんに渡していたのではないだろうか。

箱に入れてきれいに保存していたのも奥さんだったのだろう。

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ちょっと表情が怖いのもあるが、自分の妄想通りなら、なかなか素敵な写真なのではないかと思う。(フレームが違うけど、写真自体は銀塩写真という方式ですべて同じものらしい。石っぽい素材のフレームは奥さんがつけたのではと妄想する。)

長々とした文章を読んでいただきありがとうございました。

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