冷淡なぽっちゃりモデル―仕事スタンスについて
時折、お仕事をいただき、アパレルや広告業界でモデルの仕事をしている。
身長157cm、体重75kg。標準よりふくよかな体型だ。
「プラスサイズモデル」のカテゴリでお仕事をいただいている。
今回は、仕事のスタンスの話をしようと思う。
自ら望んでいただいている仕事だが、この話には大層な夢や壮大なストーリーはない。
私は意識的に、淡々と仕事をしている。
ただただ、サイズを参考にしたいと思う女性に見てもらえるよう。
ただただ、私のルックスを必要としている層に届くよう。
願いは同じ
特にふくよかなモデルだと、差別と戦いたいと強いメッセージを打ち出して、エモーショナルにアグレッシブに活動する同業者さんも多い。
ルッキズム(見た目至上主義)により苦しむ人を少なくしたい。私のスタンスは冷淡に見えるかもしれないが、アグレッシブな方々と願いの方向性は一緒だ。
まず、いまこの仕事ができているのはフロンティアが大きいサイズのモデルのニーズを開拓してくれたからこそである。以前に比べればプラスサイズモデルに一定のビジネス需要がある今は、その土壌を固めていく段階にいるような感覚がある。
そのフェーズで淡々と、それぞれが着実に仕事をしていくこと、活躍の場を守っていくことこそが、ルッキズムと戦うこと、差別を撲滅ー多分このやり方だと黙殺という形になるがーすることにも繋がるのではないかと思うのだ。
ルッキズムと実存主義
よくボディポジティブ(自分のありのままの体を愛そうというムーブメント)の文脈で、みんなちがってみんないいという金子みすゞ氏の言葉が使われることが多いが、私が言わんとしていることには不似合いだ。
美醜の話をしているわけではない。体型も、顔の造形も、それぞれ違う特徴を持つ人が78億人存在している。言えるのは、語って良いのは、その事実だけだと私は思う。
20世紀を代表する哲学者の言葉だ。ハサミは物を切るためのもの。コップは液体を注ぐためのもの。だけど、人間は道具のように目的を持って生まれるものではない。世界への実存が先にあり、本質をあとからつくっていくものなのだ。
ルッキズムについて考えるとき、私はこの言葉をしばしば思い出す。ボディニュートラルのほうが考え方としてはしっくりきているなと感じる。
ボディニュートラル参考:
でもこれだけは気を付けて。ぽっちゃり当事者としての唯一のアグレッシブなメッセージ
とにかくこれは強く伝えたい。見た目の美醜をとやかく言ってくるような人からは離れよう。これは悲しい客観的事実だが、わざわざ攻撃してくるような暇人が一定数いる。全員無視して良い。言い返す必要もない。
「見た目で差別してはならない」―現代においてそれは、スズメが空を飛ぶ。マグロが泳ぐ。そのくらい当然のことだ。そのレベルのモラルが備わっていない人を危険人物として警戒するのもまた、当然のことだろう。
私たちはとにかく、本質を追うのに忙しい。危ない場所、無意味な空間にわざわざ近づいて、傷つき、反論に時間を割いている暇はない。
距離を取り、どんどん好きなことをしていったほうが良い。私も淡々と仕事に集中していこうと思う。
終わり
久々に会う友人にモデルやってると話したところ、珍しい!どんな感じ?と言われて確かにあんまいないかもな、と気づき、スタンスについて文に起こしてみました。
モデルを始めたきっかけはまた次の記事で書くことにします。もっとライトでポップでお茶目な感じになると思います。
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