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大道芸人宣言 一九九三~二〇〇三 ①/五分割

大道芸人・雪竹(ゆきたけ)太郎(たろう)

雪竹太郎(大道芸人)

[この作品は、《大道芸人雪竹太郎文庫》作品番号1「大道芸人宣言オリジナル1993年夏」を、2003年秋(〜冬)、五分の四見当に短縮、加筆し、前説(まえせつ)を付加のうえ、『現代風俗興行イッツ・ショウタイム!(現代風俗研究会年報第26号2005年2月20日初版発行)』に発表したもの。]

*発表したものは縦書き。

*括弧〔 〕は直前の語句の振り仮名。

*【「 」に傍点】は、直前の「 」で引いた部分に傍点を振るべきことを示す。

*括弧《 》は、その括弧内の文字が、上記の発表では太字であったことを示す。

*(1)〜(4)はそれぞれ、段落直後の括弧[ ]中に【注】あり。

*上記『現代風俗』に発表のものとは段落分けに異同あり。また、段落の分け目に数箇所、発表のものには無かったアステリスク(*)を挟み、論の展開、転換を強調した。


改めまして、大道芸人•雪竹太郎です。

一九八三年の秋に、東京の街頭で大道芸活動を始めました。大道芸を生業とするもの、天職と覚悟をするものです。

東京都のヘブンアーティスト制度(大道芸の許可制度)が、二〇〇二年の秋に発足しました(1)。

[【注】(1)『東京都・ヘブンアーティスト制度についての私の見解(雪竹太郎)』は「現代思想(青土社)」二〇〇三年一〇月号に所収。]

私たちは、二〇〇二年秋まで、制度がなくとも長い間なんとかやってきた。たしかに、とくに最後の数年は、都内各所の再開発・美化・「浄化」に伴うようにして街頭管理の強化がなされ、偏執化が起きる(例えば、新宿駅西口近辺)など、私たちの大道芸活動もまた或る窮境にあったことを認めなくてはなりません。

このような時にあたり、東京に大道芸の「許可制度」が敷かれました。否応なくその管理下(保護下)に入っていく、私たちに選択の余地はないように見えます。ヘブンアーティスト制度は、従来、従前の私たちの活動場所のいくつかを改めてその管理下に置く、さらに管理下に収めつつ拡大していく、というものでもあります。

しかし、残念ですが、この制度は私たちが望んだものではない!

行政の一方的な措置によって発足したこの制度はまた、大道芸活動の実際に適〔かな〕うものとも言い難い。

官製の大道芸文化とは、世界に類がありません(2)。

[【注】(2)オランダ・アムステルダム市、ベルギー・ブリュッセル市には大道芸の許可制度がある。ただし、オーディション等審査はない。活動に前もって日時、場所を通知、予約する必要もない。一方、フランス・リール市、パリ市、アヴィニョン市、スペイン・バルセロナ市、マドリッド市、ドイツ・ケルン市、他、多くの諸都市で、大道芸の「許可制度」というのはむしろ常識に反する。

二〇〇二年九月のヘブンアーティスト制度発足時、一三施設・二〇ケ所とされた活動場所は、その後、数次にわたり追加を重ね、二〇〇三年一一月現在で四二施設・五四ケ所と、「公共空間」、そして東京都・ヘブンアーティスト制度は短期間にも飛躍的、かつ着実な拡大の様相を見せる。四二施設の中には、都の施設のみならず、民間施設、その他も含まれる。

そもそも、「ヘブンアーティスト」との命名は、ゆくゆくは東京都内の歩行者天国での大道芸活動と大道芸人たちをも制度の管理下に置く構想に因んでのもの、と説明される。「公共空間」のこのような拡大、制度の今後のさらなる展開が、ひいては東京の大道芸文化 ―― 私たちの大道芸活動全般に対する制限、制約の拡大を意味、結果するものでないことを望む。

むしろ、「公共空間」の拡大と併せて空間、時間制限の見直しにより、ヘブンアーティスト定員枠の拡大、さらにはオーディション等審査の廃止が実現され、…ゆくゆくは制度そのものが発展的解消を遂げるに至る、このように私は展望したい。]

《大道芸文化は、本来、制度(ルール)に依るべきものでなく、モラルに依るべきものである》と私は考えています。

都市を行き交い、そでを触れ合わせるものたち同士が、互いに Excuse me. Pardon me. と言葉をかわし、心をくばり、時にはぶつかり合い、譲り合い、また助け合い、さらには高め合う、私たちの高度な社会性、良識をこそ頼むべきものである ―― このような社会にこそ、大道芸の場は成り立ち、観客と芸人との共同作業で大道芸作品が作り上げられていくのです。

《今、東京の大道芸文化はモラルの上にでなく、ルール(制度)の上に据え直され、育て直され(矯め直され)ようとしています。》

 *

《ヘブンアーティスト制度は、大道芸「不許可制度」と表裏一体のものである(不許可制度としての性格、機能を持っている)。》

一般に、許可制度は、資格(ライセンス)を持たない大道芸人たちにとっては、「不許可制度」にほかなりません(3)。

[【注】(3)発足に先立って実施された第一回のヘブンアーティスト公開審査(オーディション)の結果は、応募総数六四七組、不合格者数五〇七組。また審査日程、他の都合で審査を受けることのなかった相当数の大道芸人たちが、二〇〇二年九月九日の制度発足と同時に、制度の管理するところとなった「公共空間」から自動的、公的に排除されることとなった(私自身、制度発足時にライセンスを有しておらず、ライセンスカード取得までの数週間、東京での活動に苦慮、配慮をした経験をもつ)。オーディションの実施、そしてヘブンアーティスト制度の発足が、先ず、行政による一方的な措置であった(ヘブンアーティストの募集と審査は、その後、二〇〇三年九月までにさらに二回、実施されている)。]

そして、ヘブンアーティスト制度は、このライセンス ―― 制度の下で大道芸活動を行うことができる「資格」を行政が審査し、決定するというもの(4)。

[【注】(4)大道芸とは発表 ―― 審査をするものではない。オーディションという手続は意味をなさない。

大道芸は様々な状況・観客・そして芸人、三者が共同作業で紡ぎ上げ、織り上げていくもの。現場で生まれ出でるもの。発表に先立って稽古、演出、構成などしたことは時にほとんど意味を失うのが大道芸の現場である。従って、一人の大道芸人 ―― 大道芸作品をオーディションで「不合格」とすることは、同時に、その状況(審査会場を含む)と観客(審査員を含む)とを「不合格」とすることでもある。

オーディション等審査を廃止し、誰にでも「資格」を認める(ライセンスを付与する)ことで、例えば「ヘブンアーティスト」の数が「公共空間」とつり合わない(活動場所が足りない)という現象が起きることを心配する向きもあろう。ここでは次のようにだけお答えしておこう。そのような現象が起きても過渡的なものであろう。大道芸という生業 ―― 所業は、それに手を染めるだけの決意と覚悟(大道芸人としての理論武装)がなければやれない、やれても続けられるものではない、と。]

さらに、ヘブンアーティスト制度の下での大道芸活動は、指定された「公共空間」、区域や地点に制限され、そこでの活動時間も制限されている(指定された「空間」、時間が、必ずしも大道芸に適しているとは言い難い)。

ヘブンアーティスト制度の下での大道芸活動には、「禁止事項」「遵守事項」他、諸々の実際上の制約が伴います。

 *

官、また民(芸能産業)による大道芸と大道芸人の選別(差別、排除)や等級〔ランク〕付け等の試みが、実は、一九九二年の第一回「大道芸ワールド・カップ in 静岡」以来、様々なところ、様々なかたちで押し進められてきました。これらは、大道芸文化に或る「規格」、そして「権威」を課そうとするものであり、 ―― 大道芸という道端の無頼の芸能のかたち【「かたち」に傍点】に関わり、いのち【「いのち」に傍点】に関わりかねない干渉です。

そして、二〇〇二年秋、東京都・ヘブンアーティスト制度の発足は、これら広範な試みを初めて組織化し、より本格的な段階に押し進めたように見えます。巨大大手の芸能産業、マスコミ、そして他県の施設や自治体も、これと連携、連鎖する新たな動きを始めたようです。

「東京型/日本型の大道芸文化」とでも言うべきでしょうか。私の目には、過去一〇年〜二〇年、さらにはそれ以前にも遡る、少なからず困難であった私たちの歴史、二〇世紀東京の、日本の大道芸文化の歴史の上に咲いた徒花、切り花のように映ります。

 *

ここに、一九九三年の夏、私が考えていたことを友人たちにあてて書きつづった手紙があります。旅先から日本にあてて送った長い手紙です。これからその手紙を皆さんに読んでいただきたいと思います。

《一九九三年夏、旅先からの手紙》

私、雪竹太郎は、一九九三年五月二六日東京を発ち、ニューヨーク、パリ、バルセロナを経て、今、南フランスの街アヴィニヨンに滞在しています。

これは毎年夏恒例の大道芸の旅です。

各都市に最低一週間は滞在し、毎日の食費、宿泊費などのほかに、次の街までの移動費を現地で稼ぎきる、というのが私の基本方針です。もちろん、雨などのせいでうまくいかないこともあります。今年もニューヨークは赤字でした。

また逆に、芸がうまくいっても、稼いだ大量の小銭を紙幣に変える作業がうまくできないと、次の街への移動にたいへんな支障をきたすことがあります。どこの国の銀行でも気持ちよく両替してくれるわけではないのです。この場合、その街のどういう商店が、どういう額の小銭類を必要としているかを学習しておかなければなりません。

また、どういう食事の仕方が安くて体に合うか、どういうタバコを吸い、酒を飲むか、コインランドリーはどこにあるか、バスの乗り方、電話のかけ方、公衆トイレの使い方、チップの払い方、数の数え方等々も、行った街行った街で皆、違ってきます。初めての街では、これらを一から学習し直さなくてはなりません。

私がこのような旅を始めてから、今年で六年目になります。

このお便りには、私が、特に昨秋の「大道芸ワールド・カップ in 静岡」以来、大道芸について新たに思い悩んできた全てを書きつくすつもりです。長い文章になります。皆さんもどうか覚悟を決めて、最後までお付き合い下さい。

まずは、今年の旅の中間報告を兼ね、海外の大道芸事情を紹介してまいりましょう。

《大道芸人宣言 一九九三~二〇〇三 ②/五分割》に続く。

《大道人宣言 オリジナル 1993年夏①/十一分割》に移る。
https://note.com/tarafu/n/n71af3cb4b38f

《大道芸人雪竹太郎文庫》目次、に戻る。
https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c

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大道芸人・雪竹(ゆきたけ)太郎(たろう)
1959年1月、福岡生。83年秋より、東京及び近郊の路上で大道芸活動を開始。88年夏以降、先ずアメリカ、次いでヨーロッパ、さらにその他、海外の諸都市の路上でも活動。90年7月、フランス、シャーロン・スュル・ソーヌの大道芸人祭にて、最優秀外国作品賞(賞金なし)を受賞。他受賞歴若干。