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大道芸人宣言 一九九三~二〇〇三 ②/五分割

大道芸人・雪竹(ゆきたけ)太郎(たろう)

1 世界の大道芸事情

(1)ニューヨーク

今年最初の滞在地ニューヨークは、休日が二日雨で潰れて赤字だったわけですが、そうでなくとも、ここで私のような日本人が大道芸人としてやっていくのはなかなかたいへんです。

特に、私が大切にしているワシントンスクエアでは、大道芸人は、まず能弁でなければなりません。観客のどんなヤジにも当意即妙に応答できなくてはなりません。まずは語学力の問題です。

次にここでは、大道芸人は、どんなに身なりが貧しくとも大統領のように毅然として、自信に満ちていなくてはなりません。日本人的な腰の低さは邪魔になります。

さらに、ここでの大道芸は、最高に元気の出る、明るいものでなくてはなりません。日本的な「間」やわび、さびといったようなようものがほとんど通用しません。

加えて、ニューヨークの大道芸観客はあまりお金を持っていません。

ニューヨークは、私がかつて訪れた諸都市の中では、貧困や病や死といったものを一番身近に感じる街です。こういうところで大道芸人としてやっていくとき問われるのは、芸のテクニックや語学力以前の、いわば人間としての「立ち方」そのもののような気がします。人間が生き、働き、そして共に楽しむということは、いったいどういうことなのでしょうか。

一年目、二年目はまったく歯が立ちませんでした。六年目の今年、ある観客に言われました。

「お前は昔は悲しい(sad)芸人だった。今はスターじゃないか!」

これは明らかにホメ過ぎですが、今では自分は、ニューヨーカー達を相手にまがりなりにも「ショー」をやれる、たぶん唯一の日本人大道芸人だろうと思います。

ニューヨークは今ではたいへん懐かしい街です。鋪道の割レ目、割レ目に生える草までが、「自分」につながる、「自分」の一部のように感じます。深夜に空港からタクシーでマンハッタンに乗り込むときには、この長い八ヶ月を日本でなんとか切り抜けて、やっと帰ってきたという感慨があります。自分が生きていく、そして老いて死んでいく場所のひとつのように感じています。

(2)パリ

パリでは、ポンピドーセンター前広場の大道芸が年々廃れていきます。

この広場は、近年ヨーロッパの諸都市でもだんだんと難しくなってきている大道芸を保護するために、わざわざ設けられたと聞いています。それにも関わらずです。何より、大道芸人たちがこの広場を敬遠し始めています。

ひとつには、パリの地元の人たちに愛され、育まれる文化としてよりも、もっぱら観光資源として機能してしまった観があります。観光客たちは、じっくり芸に参加するより、遠まきにちょっと立ち止まって、珍しい写真を一、二枚撮れれば満足といった風で、こういった観客たちを相手に芸を成立させ、お金にするには、芸人の方もかなり強引な、くどい手を使わざるを得ません。芸が荒れると、観客の方からも増々嫌がられることになります。

もともと「大道芸文化」というのは、観客、芸人、街のたたずまいといった様々な要素が織りなす「自然の生態系」のようなもので、これを壊すのは簡単ですが、新たにつくり出そうとするとたいへん難しいし、根気のいる仕事になるのだろうと私は考えます。

それでも、ここには鈴木愛さんという日本人の舞踏家が頑張っていて、この人は、ポンピドー広場のどん底から出発しなおすのだと言っています。この人の芸は広場のゴミ拾いから始まります。

(3)バルセロナ

バルセロナでは、大道芸という私たちの仕事が、ヨーロッパ中世以来の乞食の業〔なりわい〕と深い関係にあることを意識させられます。

バルセロナの人たちは地味で堅実です。レストランのウェイター達は、むっつりしているのに親切です。フラメンコや闘牛という言葉で思い浮べるようなスペイン人とはかなり印象が違います。若者の街というより、晩年に差しかかった老夫婦が仲良く手をつないで散歩していたり、バル(bar)のカウンターでおじさんたちがサッカーのテレビ中継に興じていたり、そういうことがとても印象に残る街です。晩年が幸福そうに見える街を、私は他にあまり知りません。

ですから、バルセロナでは力んだ芸をする必要はありません。ニューヨーカーたちを相手にするときのような高飛車な態度はかえって邪魔になります。

そこで、私の「人間美術館」は、ここでは「バルセロナ方式」をとります。「考える人」に始まって「ゲルニカ」に終わる、というような起承転結のドラマを大切にした方式ではなく、むしろ私の象〔かたど〕る彫刻の一体一体が街の中にたたずんでいる、そのたたずまいを自分でもゆっくりと味わいながら、気が変わったならゆっくりと次の彫刻に移っていく、そういう方式です。通りかかった観客の方も、のんびりと彫刻の二、三体も眺め、気に入ったなら私の箱にお金を置いていく、そういうやり方です。私の立つランブラス通りは広場ではなく散歩道ですから、起承転結のある「ショー」には向かないという事情もあって、この「バルセロナ方式」が生まれました。

この方式のいいところは、半ば人間味、温かみを帯びた不思議な彫刻と、通りすがりの人間たちとの間に、静かでデリケートな終わりのないドラマが生まれてくることです。「そこにものがある」、たとえば彫刻が立っているという極めて単純で静かな事実が様々なドラマの可能性をはらんでいることを、東京で感じることはありません。それに、東京で「バルセロナ方式」をとると、いつ警官がやってくるかわかりません。バルセロナでは、休憩をはさみながら、三〜五時間こうして立っています。

時には、人垣ができて一〇分間ぐらいくずれないこともあります。こういう時には、彫刻が初めて口を開きます。日本からやってきたTAROという人間彫刻だ、と自己紹介をし、観客の中から五人の有志をつのり、私と合わせて六人で「ゲルニカ」のタブローを作ります。私はこれを「カタルニア語」でやります。そして最後に、どうかみなさん「世界の芸術」を、そして私の生活を支えて下さい、と口上を述べてひとくぎりつけます。この時がランブラスで私の芸が一番盛り上がる時です。

また逆に、だれも足を止めようとせず、長時間ひとりでポツンと立っていなければならないこともあります。すると、こういうことが起こります。通りかかった地元の年配の、たいていはおばあさんが、ろくに芸を見もしないでお金を置いていくのです。

あるいは、人垣ができていても「ゲルニカ」にもっていけるほどには空気がなごまず、お金にもならないことがあります。そういう時にも、こういうおばあさんの投げ銭が引き金になって、今まで遠まきに見ていた観光客たちが財布の口を開き始めます。観光客の夫婦が幼い子供にお金を持たせてよこすこともよくあります。この場合は、芸人にお金を差し出す習慣というものを子供に教育しているのです。

ヨーロッパでは、一般に、芸術家を社会が支えていこうという意識が強くいき渡っているように思います。しかし、バルセロナのおばあさんたちの投げ銭行為には、またひと味違うものを感じます。

よく気をつけて見ていると、バルセロナの街のあちこちには、乞食がポツンと静かに座っています。金をくれとも言わず、確か右手の掌を上に向けて、じっとしています。サグラダファミリアの出入口のところにも四、五人並んでいます。おばあさん達の投げ銭行為は、たぶん、こういう乞食に恵む行為の延長なのです。

こういうところで大道芸人として生きていこうとする時、自分は乞食じゃない、芸術家だという考えにしがみつくのは滑稽ですし、無駄な抵抗です。現実に、乞食に恵む習慣に支えられて、私たち大道芸人も潤っているところがあるのです。

ヨーロッパの中世では、乞食は、神と人とをとり結ぶ神聖味を帯びた存在だったと聞きます。乞食に恵むことで、逆に乞食から祝福を受け、天国に行けると信じられていた。一人一人の乞食が皆小さな教会だったのです。乞食たちは、人々の同情を引く技術を真剣に、生涯かけて磨いたのです。バルセロナにはそういう伝統が、今も比較的強く生き残っているのだろうと考えられます。

ランブラス通りには、人間彫刻が他にも何人かいますが、私のように演出や技術を凝らしたものではありません。全身白づくめで尼さんの石膏像になりすまし、顔をうつむきかげんにして、ただただじっとしている女性がいます。またオズの魔法使いかなにかの登場人物の一人になりすましてはいるのですが、金にならないと芸を放棄して地べたに泣き伏し、通行人の同情を引こうとする芸人もいます。死んでやる、と言って車道に寝転がったりもします。こうなるともう、日本語で「乞食芸」というような言葉がぴったりきてしまいます。バカにしてはいられません。

私だって、いつも芸がうまくいってお金になっているとは限りません。東京でも、冬の最中〔さなか〕に半裸で人間彫刻をやっていると、お客さんが同情や激励の意味もこめてお金を置いていってくれることがあるはずです。

バルセロナで大道芸をやっていると、「乞食」も「大道芸人」も「芸術家」も「聖職者」も、実は皆同じ釜の飯を食っているのではないか、という気がしてくるのです。

なぜ、こんなことを書くかというと、わが国では今、第三者による大道芸人の選別・差別、そしてランク付けが始まろうとしているからです。それは現代日本の社会と文化のあり方、特にテレビを中心とした芸能産業のあり方によるもので、どうにも仕様のないことなのかも知れませんが、私は、第三者による大道芸人の選別・差別、そしてランク付けに、積極的に手を貸すことだけはすまい、したくないと考えています。

私が今滞在しているアヴィニヨンの大道芸人仲間の中にも、時に他の芸人を評して、あいつは芸術家じゃない、あいつのはジプシー芸だ、と見下した言い方をする者がいます。フランス人です。フランス人の口のきき方、人との接し方にはさすがに洗練されたところがあって、それが時に嫌味だったりもするのです。めったに口にはしないけれども、ジプシー等に対する差別感情を、腹の中にもっているのです。

これはいわば近親憎悪です。フランス社会の底流には、ジプシーや乞食の伝統も、どこかで脈々と生き続けているのです。それが、フランス社会と文化のあり方を陰影の深いものにしているようにも見えます。

今、新しく生まれ変わろうとしている日本の大道芸文化が本物になるためには、大道芸という職業を、乞食や賎民等との関係も切り捨ててしまわずに、思い切り優しい視線で見つめておく必要があると、私は思うのです。これは、日本で大道芸にかかわっている、あるいはこれからかかわっていこうとなさる皆さん、そして特に、大道芸をやっていく私たち大道芸人自身への、私からの提言です。これをしておかないと、日本の新しい大道芸文化は温室育ちの、マスコミ受けするものにはなっても、世界に通用するものにはならないと思います。

世界に通用する必要はない、日本の中でだけやっていくのだと言ってみても、現実に今、日本には、ほとんど一方的に海外から大道芸人たちが流れ込んできています。従来の日本文化、あるいはテレビ主導型の「現代日本文化」の枠組みの中でだけ大道芸を考えていたのでは、これら外国人大道芸人たちがなぜあのように柔軟で、したたかで、屈強なのか理解できません。私たちはそれと対等に渡り合っていくことができません。

いま私が滞在しているアヴィニヨンでは、実際に、私たち「芸術家」がジプシー音楽家たちなどと同じ土俵でやりあっていかなければならないことがあるのです。

(4)アヴィニヨン

さて、ここアヴィニヨンに、私は二つの課題を持ってやってきました。

近年、東京ではすっかりやりづらくなってしまった「人間美術館」以外の多少大がかりな芸を、ここで思う存分やること、そして、日本で払った四〇万円強の飛行機代の元をとることです。川向こうのキャンプ場に一カ月間テントを張り、宿泊費を安くおさえます。

アヴィニヨンの街がにぎわう、というか喧騒を極めるのは、七月九日から八月二日まで二五日間の演劇フェスティバル期間中です。この間、街のにぎわいをあてこんて、色んな大道芸人が入れ替わり、立ち替わりやってきます。当然、同じ時間、同じ場所に複数の大道芸人がかち合うことがあるわけで、必要な場合には、順番や場所の切り取り方などについて交渉が行われます。話し合いがつかない時には、同時に隣合わせや向かい合わせで芸をして、芸を競いあい、客を奪いあわなければならないことも起こります。

アヴィニヨンの大道芸人たちの間には、いわば「相互尊重」と「弱肉強食」の二つの相反するルール〔モラル〕があり、その微妙なバランスの上に様々な大道芸人模様が繰り広げられるのです。

ところで、一般にフランスの大道芸観客は、ニューヨークの大道芸観客と違って、静かにものを見つめることが上手です。私が喧騒の中で沈黙に徹した芸をする時など、どんなに騒がしい派手な芸よりも、もっと強烈な人だかりを作ることがあります。

午後七時になると、私のつくる人だかりの中に教会の鐘の音がとびこんてきます。彫刻は動きを止め、お客さん達と一緒に静かにその数を数えます。風の音に聞き入ることもあります。風がもっと強くなると、彫刻は動きを激しくし、その風に挑むかのようにダビデ像が立ち現れます。機が熟すると、彫刻は皆を置いてきぼりにして、ゆっくりと宮殿への坂道をよじ登り始めます。法皇宮前広場の正面にバルザック像がそびえ立ちます。

こういう時間の使い方、空間の捉え方、外気の取り入れ方は、ヨーロッパの芸人にはなかなかできません。ここでは私はかなり「強い芸人」なのです。アヴィニヨンで大道芸人としてやっていく時、第一に必要なのは交渉力ですが、強い芸を持っていると、交渉の場でも強い態度に出ることができます。なにしろヨーロッパの芸人たちは、交渉の場で、ずいぶんと自分勝手な要求を平気で出してくることがあるのです。

アヴィニヨンの大道芸人模様をさらに複雑にしているのが、ジプシーや路上商たちなどとの関係ですが、ことに重要なのは、私たち大道芸人と「演劇フェスティバル」との関係です。

アヴィニヨンのフェスティバルはもともと大道芸のフェスティバルではありません。私たちは、形式上は、演劇フェスティバルのにぎわいをあてこんでたかり【「たかり」に傍点】に来ているだけの部外者なのです。ですから、私たちはこのフェスティバルでは、INの劇団ともOFFの劇団とも区別されて、OUTに分類されます。

フェスティバルの、形式上は無用の存在である私たちが、然しこのフェスティバルには欠かせません。アヴィニヨンに来る演劇ファンの多くは私たちOUTの大道芸も楽しみにしていますし、フェスティバルの新聞にOUTの劇評が載ることもあります。また、アヴィニヨンの地元の人たちの中には長年OUTの大道芸を愛し、見つめてきた人たちがたくさんいますし、毎年OUTの大道芸を見ながら育っていく子供たちもいます。仮にアヴィニヨンのフェスティバルからOUTの大道芸が消えてしまえば、路上のカフェテラスのにぎわいなども半減し、市の経済にかなりの影響が出るはずです。

ですから、フェスティバル当局の私たちに対する態度には優柔不断なところがあります。時には自分勝手にもなります。都合が悪くなると、広場の照明を消す、市警察を動員するなど、強硬手段に出ることもあります。この手の妨害に対し大道芸人たちが団結し、当局に対しデモをなし、シュプレヒコールをあげるなど、大道芸人同士の相互尊重が共闘の様相を呈することもあります。

逆に、フェスティバルのあり方が私たちOUTの大道芸人たちを相反させ、弱肉強食のルールがむき出しになることもあります。

先程述べたINの劇団には十分な予算が下りますが、OFFの劇団は、フェスティバルのプログラムに正式に登録され上演権が保障されていても、自費参加です。なんとかチケット収入をあげなくてはなりません。そこで、観客を劇場に動員するための宣伝隊を街に繰り出します。しかし残念なことに、彼らの多くが、私たちOUTの活動を尊重してはくれないのです。どうやら私たちのことを、自分たちと同じ「芸術家」だと考えてはくれないようです。

センスのある宣伝隊の場合には、OUTの人垣のそばに来ると鳴りをひそめて静かに通り過ぎる、といった配慮をしてくれることもありますが、でなければ、私たちがせっかくつくった人垣の中に乱入して来て宣伝しようとすることもあります。そうでなくとも、ここではある程度「強い芸」を持っていないと、宣伝隊が側〔そば〕を通り過ぎただけで観客を取られてしまい、芸が途中で御破産になってしまうことがあるのです。

私たちOUTの大道芸人の多くが活動し始めるのは夕方六時頃、日が傾いて木陰が伸び、ようやく人々が広場に繰り出す頃なのですが、この時間帯になると、やはり宣伝隊も街に繰り出します。「弱い」芸人は、自分の順番がきても客集めさえできず、なかなか芸を始められません。あとにひかえる芸人たちがなかなか芸を始めようとしない芸人に対しぶつぶつ文句を言い始めますが、こちらも強情です。小一時間、膠着状態が続くことにもなりかねません。

すると、こういうことが起こります。宣伝隊の喧騒に負けない自信のある「強い」芸人が、一切の順番を無視して、その脇で勝手に始めてしまうのです。「おきて破り」です。相互尊重のルールはいったん崩れ、皆がてんでばらばらにやり始めます。一番弱い芸人の都合にばかり合わせていると、皆の上演回数が減り、当然収入も減り、皆が皆、共倒れになってしまうのです。

こういうことがあっても、次の夕方には広場で出会った芸人同士きちんと挨拶をし、握手を交わし、順番を確認することから始まります。相互尊重のルールがなくなってしまったわけではないのです。どんなに「強い」芸人でも余り自分勝手がすぎると、それに反感を持つ別の「強い」芸人に、すぐ脇で「妨害芸」をやられたりすることがあるのです。「妨害芸」は捨身です、金目当てではないのですから。これに対して文句は言えません、自分が先におきてをやぶったのです。

こういうわけで、次の夕方には、一見事態は旧に復したかのように見えますが、前の日に順番をとばされてしまった芸人の姿は、もうアヴィニヨンからは消えています。自分はアヴィニヨンではやっていけない、と判断したのです。自分の芸で食っていける、自分の芸にふさわしい街を探しに旅立ったのです。

あるいはどうしてもアヴィニヨンがあきらめきれず、あるいは行くあてがないのか、捨て台詞を吐いて私たちの群れを離れ、それでも群れ近くをうろうろして、なんとかすき間をぬってやっていこうとする場合もあります。かえって痛ましいことになります。必死でアヴィニヨンにしがみついているのです。日に日に元気がなくなっていきます。芸にも覇気が薄れていきます。金にならないと、思わず客に毒づいたりもします。

私たちはこれに手を差し伸べることはしません。心の中でエールを送るのみです。本当は、「弱い」芸に価値がないとは限らないのです。「強い」芸がいつも素晴らしいとは限らないのです。それは皆んなわかっているのです。

また芸は「弱い」のに、口八丁の強引な交渉力だけで私たちの群れにとどまる場合もあります。これには辟易します。口八丁に加えて、芸も「強い」場合もあります。これには本当に手を焼きます。

 *

日本では今、大道芸文化が新しく生まれ変わろうとしています。しかし、その新しい大道芸文化は、何だか「大道芸の根本」を踏みはずしたものになってしまうのではないかという不安を、私は持っているのです。大道芸を良く御存知ない方々、大道芸を本当に愛してはいらっしゃらない方々が「日本の大道芸」の将来を左右しようとしているように見えて、心配なのです。

「では、大道芸の根本とはなにか?」

と問われても、今の私には一言では答えられません。何かが違う! と深く感じているだけなのです。せめて、世界には様々な大道芸と大道芸人の姿があり、芸人も観客も皆それぞれ一生懸命に生き、働き、楽しんでいる、そこに甲乙はないのだということを、皆さんに少しでも分かっていただきたいのです。

《大道芸人宣言 一九九三~二〇〇三 ③/五分割》に続く。

《大道人宣言 オリジナル 1993年夏④/十一分割》に繋げる。https://note.com/tarafu/n/n813df62a2251

《大道芸人雪竹太郎文庫》目次、に戻る。
https://note.com/tarafu/n/n6db2a3425e5c

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大道芸人・雪竹(ゆきたけ)太郎(たろう)
1959年1月、福岡生。83年秋より、東京及び近郊の路上で大道芸活動を開始。88年夏以降、先ずアメリカ、次いでヨーロッパ、さらにその他、海外の諸都市の路上でも活動。90年7月、フランス、シャーロン・スュル・ソーヌの大道芸人祭にて、最優秀外国作品賞(賞金なし)を受賞。他受賞歴若干。