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物語に生きる。無条件、無目的に生きる。



自分が綴られている物語が、信用できない時代らしい。

サピエンス全史のユヴァル・ノア・ハラリさんが語る。

(ユバル)基本的に 何が起きたかというと 模範となるストーリーを 失ったということです 人は 物語形式でものごとを考え そのストーリーを伝えることで 世界を理解しようとします 

過去数十年の間 世界で起きていたことは 単純でしかも魅力的な ストーリーでした
その内容はこうです
「今 世界では 経済がグローバル化し 政治の自由主義化が進んでいる これらが融合すれば 地上の楽園が生まれる それには とにかく 経済のグローバル化と 政治システムの自由主義化を 進めるべし それで全て上手くいく」 というものでした

2016年の 今この時 西側社会においてさえも 非常に多くの人々が このストーリーを信じなくなり いかなる理由であれ— 人々はこのストーリーを 信用しなくなりました ストーリーがなければ 何が起きているか理解できません


あるいは、

哲学者のジョナサンサックスさんの TEDでも、物語の話が。

ユダヤ人たちは2千年もの間追放され 方々に散らばって生きてきましたが アイデンティティーを決して失いませんでした なぜでしょう?
少なくとも1年に1度は 過ぎ越しの祭りに 物語を子供たちに教え 奴隷の苦渋を味わう無発酵の苦難のパンと 苦いハーブを食べます
こうして私たちは アイデンティティーを保ってきました 私たちは皆 立ち戻って 物語を語るべきだと思います

私たちが何者でどこから来たのか どのような理想のもとに 生きているのかを語るんです


土地を奪われても、物語が消えないユダヤ人に比べて、、、。

問題は今 同時に起こるべきではない2つのことが 起こってしまったということです
まず西洋では私たちが何者であり それは何故かという話を語ることを 止めてしまいました
 アメリカでさえもそうです
同時に 今まで以上に移民は増える一方です 物語りを語るとき あなたのアイデンティティは確立されていて 見知らぬ人も歓迎できます しかし物語を語ることを止めてしまったら あなたのアイデンティティは脆くなり 見知らぬ人に脅威を感じるようになります それは良くありません

西洋もアメリカも、物語が止まってしまったらしい。

人間は、物語が大事みたいだ。物語の中でしか、生きられないとしても、無条件、無目的で生きることへの憧れもある。岡本太郎の本を読んだ。


【成功は、絶望に等しい】
ほんとうに生きるということは、
環境に迎合したり、安易に受け入れられ、すかれたりすることではない。
僕は、いわゆる成功はむしろ絶望に等しいと思っている。いつでも計算を超えた無目的な闘い、あらゆる対象への無条件の挑みをつづけることが人間的であり、生きがいであると信じている。

あるいは

人間のいのちは、毎日新しく生まれかわって、生きがいを爆発させる。
瞬間瞬間に自分の運命を無条件に世界にぶっつけて生きていくべきだ。

無条件の挑みは、物語から外れることだと考える。風向きがかわろうとも、そこにまっすぐ、ひとりでも立っている。そういうこと。

例えば、自分自身に起きる出来事。鮨職人なのに魚たべられなくなっちゃって他の仕事を探すことも、コロナウイルスのことも、生まれた時代、出会う人との思い出、すべてが物語だ。

災害や戦争、疫病、宇宙旅行、時代の中で共有できる大きな出来事の中で、小さな出来事があり、いろんな「私」の物語が、できあっていく。

その物語の中で僕は、無条件で無目的な時間、ありのままの自分、をどう確保するのか。あるいは、確保して、何をするのか。

自分の中では、今、ヨガがその時間。芸術でも爆発でもないけれど、大切な無条件で無目的な時間だ。

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あらゆる評価から外れる。できても、できなくてもよい。そもそも、何が「できる」で何が「できない」も決まっていない。ただ、息を吸って吐いて。それを観察するだけ。何もしないを、する。

そこから、

人間のいのちは、毎日新しく生まれかわって、生きがいを爆発させる。

毎日だぞ?毎日、生きがいを爆発させるんだぞ?できるか??
定期的に、岡本太郎に憧れてしまう。

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記念館に行ってきた。

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とっても、よかった。本も一冊買った。

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Feel, Aware, Embrace.That's my new life.
今井竜介。TARA.

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