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"The LEPLI" ARCHIVES-66/ 「なぜ、今頃喋り出したのか?川久保玲- 最近の騒ぎについての私感。」-2。

初稿/平成二十四年弐月:
文責/平川武治:

 このアーカイブは、2012年1月19日付けで、朝日新聞で
ロングインタビュー「ファッションで前に進む」が掲載されたことに対しての一論である。
http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201201180360.html 

 先ず、結論/
 此れも、この会社が可能なる手際の良いプロモーションである。
今春、銀座小松にオープンされる新たなビジネスへのプロモーション。
 川久保玲のリアリティが感じられない。
”3.11”に対しても彼女だけではないのが残念であるが、ファッションで
儲けてしまった人種たちが日本人としての"こゝろの有り様"の変化に対してどの様な具体的なリアクションが個人で為されたのか?

 *エピソード-1/朝日新聞の記事に関して;
 1月の半ば過ぎ、ある画廊にて友人で、英国にも住んでいらした事のある
ギャラリィーオーナーのご婦人とお話を交わす。
『昨日、ギャルソンの店で興味あるスカートを見つけた。裾が、バルーンになっているもの。着たいと思ったけれど着難そう。素材もレーヨン。そう、朝日の記事を読んだけど、私は此の歳で、ギャルソンフリークスでもないし、ファッション人間でもないから本心、解んない。彼女の作る世界を見るともう、"完結"してしまっている。でも、"所帯"を切り盛りするのに一生懸命、無理をしているのは確かね。』
 
 僕がファッションの世界にいる事を知っていらっしゃってお話為さって下さった彼女のこの言葉は僕を驚かす。
何故ならば、また、今話題を振りまき始めたCdGに対して的確な眼差しによる洞察力と理解力だからである。

 *エピソード-2/プレスの応対から;
 CdGのプレス担当者のここ数年来の決まり文句な返事がある。
『うちの川久保は今では社員が600名程になりますので、彼らたちの為に変わらず、モノ造りの事しか考えず、必死でがんばっていますし、ここまで来ました。お解りでしょ?だからビジネスは勿論大切です。大所帯になった社員の為に脇目も振らずいつもがんばっているのですよ。よそ様とはここが違いますね。』
 
 確かに、現在のCdGはここが根幹であろう。従って、この企業の代表者としての彼女は彼女が持ち得た"人間としてのがんばり"があり、社長目線がある。此れが他のブランドデザイナーとの差異を確実に一つの魅力として構築してしまっている。川久保玲の人間としてのがんばりが存在し続ける分だけ、僕が信じられる根拠である。

 なぜ今喋り出したか?/ビジネスからクリエーションに至るまで/
1)先ず、なぜ今喋り出したか?については、
 この2つのエピソードで答えが解る。此れはその後の月刊『PEN』誌上のこれ見よがしの特集も同じである。(この『PEN』誌との関係性は'90年代後半に、既に廃刊になった雑誌『マリークレールJAPON』誌にて構築した編集者との関係性の延長にあり、再びこの機に於いて利用したのであろう。)

 「"所帯"を切り盛りするのに一生懸命であり、600人程になった社員の為に脇目も振らず」の為である。この向こうに見える目標は今春、銀座小松にオープンする"DOVER STREET"銀座店が見え隠れする。
 それ以外に、この時期に"喋るのがへた、苦手"で通し続けた川久保玲が
ここに来てメディア化へ走る根拠は無いのである。
 ファッション界を代表しての年頭祝辞でもあるまい。即ち、此れも、
この企業の出来得る、”上から目線”で可能なメディアを使った営業戦略で
あり、メディア攻勢の一つでしかない。

 それだけ、彼女自身、自分を支えてくれている600人程の社員の生活を気にした、差し迫った状況における彼女自身が危惧する根拠としての
こゝろの有り様であろう。
 時代性の変化、社会の進展と21世紀と言う世界の変化を理解し始め、
その中でのファッションビジネスの在り方も'93年以降のパートナーとの
共存により理解出来る様になった結果のやはり、ビジネスが先手必勝である事の証しであり、確り儲けて上手なお金の使い方を学んだ結果の行為である。

2)ファッションビジネスとして/W-スタンダードを学習する事。
 少し、世界レベルのマーケットの現実を話せば、日本人デザイナーは
先ず、日本マーケットからの売り上げを確保しなければ、海外マーケットでの勝負は出来ない現実がある。昔から変わらぬ論法、「国内で儲けて、海外で使って国内マーケットに対してイメージを高め、直営FCを増やし,
ブランドの位置付けを獲る。」の世界は不変である。
この企業も海外売り上げは、現在、優秀なユダヤ人パートナーとの共存で
がんばっているが、全体の20%程度であろう。この比率は他の日本人デザイナーの海外ビジネスでは別格であろう。(IやY、T等は10%前後である)従って、国内販売をこの企業はデパートや地方の丸井等を含め直営店とFCに依って、粗利の取れるビジネス構造を持ち得てしまった世界戦略である。
 この構造が彼らたち'70年代後半からの早い時代のブランド組には有利にその後の世界進出に可能性を生んだのである。(最近のSACAI/KOLOR等がこの時期に来てパリコレで、わざわざショーをやる事の根源の一つは国内でのこの構造を構築する為の実戦略でもある)
 この業界は"在庫"さえ残さなければ、粗利率の高い所謂、儲かるビジネスである。従って、専門店に売るより、直営、準直営そして、FCの割合を増やす事が在庫を残さず尚、粗利が取れるビジネス構造となる。この構造は世界で見ると日本のデザイナーブランドが優位に立っている。
 世界規模ではユダヤ人たちのシンジケート/コミューン的なる専門店が
いい専門店であり、彼らたちのビジネススタンダードは支払い面でも日本人のそれとは違う。この企業、CdGも世界への本格的ビジネスを意識し始め、川久保玲がユダヤ人と入籍した事によって始めて学習し学び得たWスタンダードであり強さである。
 普通に海外戦略をする場合は,海外にプレスエージェントとセールスエージェントを付け,ショー経費等とサンプル委託料や営業歩合が取られる。(サンプル委託料は4000~5000ユーロ/月、勿論ショー経費は別途である。営業歩合は9~18%が相場であろう。)企業CdGは此れを全て"内付け"方式で彼女が責任を取り指揮をしている。
 従って、日本マーケットのビジネススタンダードと、世界マーケットでのビジネススタンダードのこの『W-スタンダード』を身につける企業構造は自ずと"2枚舌"戦法になる。日本国内でのビジネスは直営とFCを中心としたビジネスであり、残りの30~40%で専門店売りで消化する方法。
 外国でのビジネスはその大半が先のユダヤ人系列の専門店中心であるというバイヤー構造と支払い方法など、ビジネススタンダードの違いがある。
ここには自ずから粗利と在庫の消化率が違って来るという視点が大切だ。
 この企業で現在売り上げを取っている主力ブランドは現在でも、TRICOTであり、最近はPLAYも強くなりはじめている。この2ブランド+ジュンヤMAN,JUNYAやCdG Shirtsで企業総売上の半分以上を稼いでいるはずである。(総ブランド数は、メンズ+レディースで13~14ブランドと香水/年間総売上は150億円前後であろう。)従って、今回の朝日新聞への発言者である川久保玲がデザインする所の2つのブランド(CdGとCdG-H.P.)はその殆どがこの企業の虚像を構築する所謂、メディア受け、広告塔的役割を担い果たしている。最近では彼女のブランドのこの役割比率が高くなって来ている。売り上げを全体で獲るための”シャワー効果”もその全体規模が大きくなって来ているからである。ここで、『社員が600人説』が必然性を帯びるのだ。従って、1/3弱規模の売り上げのブランドで在るという事実を熟知した上での彼女の発言を理解しなければならない。(実際、この企業のブランドテリトリーは"ビック3+1"と言われる立場の人たちで担当分担された構造であり、給与配分も相当な格差がある。) 

3)クリエーションの変化/"特異性"から"特殊性"への変化を読み取れ。
 もう一つ、この企業オーナーが結婚後、世界戦略へ向かい始めて気が付いた事は、それ迄は彼女自身が一番嫌いであったはずの"トレンド"もそれなりに関心を持たなくてはいけないことだった。そうしないと、世界ビジネスでは全く見込みが薄い事も学習し、熟知した。何故ならば、前述した如く、
直営FC等の構造が殆ど少ない世界のファッションビジネスではやはり、
彼らたちユダヤ人が考えた"トレンド構造"というものを利用しない限り
ビジネスの波に乗り難く、廻ってゆかないというルールとスタンダードを
学習させられたのである。ユダヤ人パートナーと組み始めて、今世紀になってからは川久保玲がデザインする基幹ブランド(CdGブランドとCdG-H.P.)も彼女自身が嫌な"トレンド"をビジネス的に意識した所でのクリエーションへ変化し始める。
 それは、"特異性"から"特殊性"への変化である。彼女の年齢も関係するであろうが即ち、デザイナーのこゝろの有り様が行為化が優先されるのではなく各シーズンに発信される"トレンド"がクリエーションフレームの基盤となる先ず、各シーズンの"トレンド"をクリエーションフレームとして与えられ
その中で、どの様に対峙するイメージを川久保玲らしさで創造するれば?
こなせばこのブランドらしさが、”川久保玲の凄さ”で表現で来、このブランドが既に持ち、与えられ得た、"パリコレ"での立ち居場所が確保し続けられるか?が此のデザイナーの立場上、為すべき役割となり始める。
 その結果が自ずと"特異性"から"特殊性"への変化ヘと移行した。
僕が見る限りでは当然であるが、彼女のパートナーが世界マーケットへ
ビジネス規模を拡げ始めた以後、多くのシーズンではこのブランドの
立ち居場所の維持と確保のためのコレクション作りになり始めたと読む。 
 メディア受けを狙った様な、世間一般が目指す所の"トレンド"とは意識的に対峙する様な発想でのデザインが増えた。
 CdGだから許されるこの作業内容は展示会へ出向きコレクションの全体をよく見ると理解出来る。ショーでは見えないが確りと"トレンド"のフレーム内での素材やアイテムが盛り込まれていて外国人バイヤーたちが買いたくなるCdGらしさにまとめられた"CdG版トレンド"が構成されている。
 これらは唯、ランウエーでのショーだけでは見分けられない巧さで構成されている。当然、ビジネスが主体であるから既に、強かに身につけた見事な作業であるが、以前のこのデザイナーが持っていた凄み在る"特異性"は欠如しはじめその代わり"特殊性"が受けているレベルになった。

 *エピソード-3/ある販売員との会話から;
 メンズを売り続けて来たある直営店の人との会話でこゝろに残った彼の言葉が在った。
『最近のH.Pには、え!凄いというびっくりする様なものが無くなり、
シーズン全体がこじんまりまとまってしまったものが多く、お客さんに此れ凄いでしょ!!と自慢して売れるものが少なくなりましたね。』
 
 この理由は、CdG-H.P.はその殆どのシーズンが外国人チームによってまとめられた"トレンド-コンセプト"を軸としたクリエーションフレームが与えられてそれを基盤としてコレクションが作られているのだろうと僕は読んでいる。ここにも"W-スタンダード"のマジックが働き、海外でのメンズの売り上げを多くの同性愛者からも確保するためである。
 最近では、CdG-H.P.版"スカート"がよく売れたシーズンであった事でも
理解出来る。

4)ファッションゲットーで認知された"立ち居場所"/"向こう側"のブランドとして認められる−1。
 
ここには想像を絶するこのデザイナーとこの企業と社員たちが払った
リスクとコストと努力とがんばりがある。
 2000年になる頃までに存在し、彼女の作品の全てに共通した凄みとは
"人と違った事がしたい"人間がファッションの世界で自分がやりたい事を
主軸に表現し行為してゆく自由さと勇気とエネルギィーとパッションが生み出したものであった。最近では、ここで生まれるこの様な"特異性"が少しづつ薄れ弱まり始めるが、当初からの傍観者たちはこの彼女の"特異性"を前衛やパンク精神と刷り込まれ賛美し、日本のファッションビクティムたちが
一挙一動化した。
 川久保玲の創造の世界とは深き自由な個人性に由来した生命力であり、
彼女の創造性の根幹そのものである"特異性"でもあり、此れが彼女の
ブランドの"らしさ"になる。
 そして、もう一つの"らしさ"とは巴里進出以来、多くのデザインスタッフと従業員たちの血と汗とそして、"月謝"を払って持ち得た"パリコレクションに於けるCdGの立ち居場所"であった。
 そのニュアンスは違うが、根幹は同じであろう高田賢三氏以降、今までの日本人デザイナーからは生まれなかったこの凄さである2つの、"ブランドらしさ"の認識と継続の結果がファッションゲットーの人たちに認められたのである。これは、これ以後、"向こう側のブランド"即ち、"私たちのブランド"というニュアンスに変わるまでの価値を与えられたブランドとなり、デザイナーとして認知される。
 従って、'90年代終わりまでの川久保玲とこのブランドの社員たち、
引いては国内の生地屋さんや工場さんたちがが必死で"特異性"を創造して
来た姿勢と努力と忍耐とお金によって、もう一つの"らしさ"を認知されるまでのこの2つの"らしさ"が川久保玲の作品力を長寿化している強い要因である。
 これらの川久保玲の自我の確かさと強かさによって、このファッション
企業は世界に類を見ないそして,名を残せる日本発の"世界ブランド"と
なった事は確かであろう。
(ここでは、夫、エイドリアンの努力が報われたとも読める。)

5)"立ち居場所"確保のその後/"特異性"から"特殊性"へ-2
 これによって、ビジネス的に利用出来る"らしさ"はパリコレクションに
於ける"CdGの立ち居場所"の確保と言う価値を世界ビジネスを発展させて
行く時、この彼女が創造した世界観から生まれた"価値"即ち、"パリコレデザイナー"と言う立居場所は強力な武器である。
 以後、"W-スタンダード"を学び、国内ビジネスと国外ビジネスの違いを
理解し、"トレンド"効果を感知し始めた川久保玲は"特殊性"を生むクリエーションに変化し始める。
 この"特異性"から"特殊性"ヘの違いはビジネスを優先的に考え、
自分の年齢の今後を加味した結果であり、この企業の継続化をも考慮した
所に生まれた必然であろう。
 この現実は他の日本人デザイナーがここに至ることは不可能に近い、大変に立派な姿勢であり自立であり、”凄さ”だろう。
 巴里のファッションゲットーの当事者やメディアは永年のこの異端児と
しての"特異性"を持って、時代に生きる女性の代表として川久保玲を自分たちのモードの世界の一つの象徴としてウエルカムし、創造者である彼女を認めた。以後、この"特異性"を創造し続けて来た彼女が"自分たち側"のデザイナーになった事への賞賛と喜びを幾つかのメディアがコレクション毎に発信している事を読めば理解出来るであろう。
 しかし、その結果、彼女がそれまで一人で培い、紡ぎ出し必死で死守して来た巴里モード界に於ける"立ち居場所"をみんなで肯定する事で在るとの
判断とまた、守る役割を認め行為する事への状況変化でもあった。
 この時点で、川久保玲は自分が此れ迄に築いて来た巴里への"挑戦"と言うこゝろの有り様としての創造性は変化し、この挑戦に対する"リアリズム"が乏しくなる。
 そして、幾つかの最近のインタビューで彼女の論説が”特異性”ではなく
"特殊性"でよくなった、”緩やかさ”をも学び、知り始めたようだ。
(3へ続く。)

初稿/2012年03月09日。
文責/平川武治。

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