見出し画像

"The LEPLI" ARCHIVES-59/ ひらかわ式パリコレクションを論じる。 S&S2012/アラカルト編−2:

文責/平川武治:
初稿/2011年10月 4日:
 
『作品から商品への充分なる気使いと完璧性』
再び、CdG-川久保玲このブランドの展示会へ出掛ける。
ファッションの世界はショーを見るだけで論じられる世界ではない。
実業であるが故、実際の”商品”としての服が
どのような顔つきとクオリティで制作されているかを
知ることもファッションを論じる側の”義務と責任”になる。
そこで、初めてそのブランドを知り、論じるレベルに至る。
 そこで、ブランド-コムデギャルソンのパリ展示会を訪れる。
どれ位の商品に対する完璧性があるか?
即ち、着れる服なのか?を見るために訪れた。
ここからはデザイナーの領域というよりは、
企業ブランドのチームクオリティとなる。

 「総てが、着れる服である。」
ここにもこの企業の責任者であるデザイナーの決して変わらぬ
服への想いが、こゝろの在り様が
30年来不変で存在し続けている見事である。
決して、このブランドの服は誰でもが着れる服ではない。
誰でもが着れる服の素晴らしさも、
この世界のもう一方の入り口にはある。
 しかし、このデザイナーが、この巴里へ進出して来て以来、
最初は暗中模索で自分のやりたいこと、
訴えたい世界を持って、自分の立ち居場所を
この巴里と言う舞台で捜し始める。
結果、捜すのではなく、自分自身で立つことであり、
示すことであると言う本質が解った時点から、
もう既に、このデザイナーの立ち居場所が
廻りの異邦人たちによって認識された。
誰もが着れる服ではない、着辛いものもあるけれど、着難いものは少ない。
着るには勇気が、こゝろ構えが必要な服もあるが
多分、一度着ると反対に寧ろ、
より、着たくなるまでの強さと同じ位に
こゝろに染込むまでの何かが、このデザイナーの服にはある。

 現在の所謂、“ブランド好き”人間たちは若い人たちも含めて、
”有名ブランド”と称されるこれ見よがしの
ラグジュアリィ-ブランドものを着たくなる人種たちとは
反対側に位置しているのが
このブランドの立ち居場所であろう。
この様なファッション大好き、ブランドもの大好き人種たちは
その“ブランド名”が好きであり、
そのブランド名が付いていれば安心して
自分もおしゃれだと自己満足,自己肯定するために
ブランドものを着たくなる表層人種であり、
彼らたちは決して、
“服”そのものを自分の生き様にかさねて、
選び、着るタイプの人種ではない。

 総てが着れる服には、
“温もり”がある、“想い”がある、
“潔癖な”までのバランスある美しさがある商品だ。
以前と違う点は“温もり”感であろうか?
あれ程までに激しいまでのこゝろの有り様は
”服”と言う形に成った時、
初めて、温もりあるモノに変わった。
それは色と分量としてのボリューム感と
使われた素材にも言えるだろう。
シルクもある。ニットは手編み風のこなしであり、
ゴムパンツのブルーマータイプに使われたレースには恥じらいが。
クラッシックコスチュームを解体しての幾つかのコードも流石、
誰も付けたりはしないであろうこなし方によって旨くこゝろを訴えている。
 3人の作家によるへヤーピース作品と
一人の若い学生によるグラフィティは
それぞれが見事に存在を見つけ、
『結婚とはそんなに簡単な逃げ場なのか?』と
言わんばかりに機能し役割を果たしている。

 その昔、アントワープの学生、
最後の才能ある生徒のANGELO FIGUSの
3年生のコレクションを思い出し、
YSLのロシアシリーズを浮かべ、
エレファントマンやKKK団を感じてしまうが
造形的な美しさはここにもあり、
今シーズンのメインアイテムとなった、
コートは肩の付け方を変えることで全体のシルエットが優しくなり、
美しい姿を与え、その美しさを袖の長さで
誇張したフォルムは堂々とした豪華さを生んだ。
この辺りまで来るとトレンドを見事に
自分世界で塗り込んでしまうまでの
このデザイナーの巧さの独り舞台である。


 『小さなバジェット、大きな夢へ、頭のいい服創り』
JULIAN DAVID、もう数年を日本をベースにデザイン活動をしている
好青年、フランス-ユダヤ人デザイナー。
彼の様な“夢”と”行動”をバランス良く、
自分の夢の成就のために自分は何をしなければならないか、
そのためにどのような関係性を築き上げれば良いかを
知り、総て、自分一人で行動を起こし、ここまで来た青年。
才気ある行動力と時代を見る目は確りしている。
 N.Y.をスタートに幾人かのファッションデザイナーの元で働き、
アジアを旅し、日本へ。
そこで始めたのがスカーフデザイン。
ロングサイズとその図案が新しかった。
日本で絹素材の産地を廻り、染色工場を捜し、
彼独自のグラフィックの世界をPCで組み立てデザインし、
丁寧なパッケージでラッピングし、
世界のそれぞれの一流店と呼ばれるバイヤーたちとビジネスを始める。
ここには当然、ユダヤ人世界の関係性が機能しているものの、
彼自身の目標へのアプローチと努力という
行動力がとても爽やかに伴っているところがいい。
 彼のグラフィックは“STREET MIND"から,ストリートでの出来事を
彼の目線で捉えた新鮮なデザインが良かった。
それがスケートボードのエッジであったりと
なかなか、センスがいい。
デザイン、染色素材は総てMADE IN JAPAN。
これを日本で数年を続けて次なる目標へ挑戦したのが
所謂、“パリコレ-デヴュー”3シーズンになる。
 コレクションは新鮮だった。
SOMETHING NEWを感じさせる迄のまとめ方が巧い。
余分なアイテムには眼も向けず、
必要なものだけを出来るだけシンプルにコーディネートして見せた。
今シーズンのトレンドのこなしとしての
ゴムパンツもブルーマータイプもちゃんと入れている。
東京の路上に点在する或る種の奇妙さを
彼の東京感による小さなディテールのこなし方で
”美しさと育ちの良さ”に変換し、
そして、それらが総て、ウエアラブルな服で世界観を構築したもの。
ベーシック+ONEが特徴であろう。
要らぬ、気取りのあるパターンは無く
ちょっとしたデザインこゝろがいい。
寧ろ、着る女性たちの新鮮さに同調させたシンプルマインドなもの。
当然だが、プリントの使い方も巧い。
素材はオリジナルを始めて生産は総て、日本製。
デニムのジャガードなどと言う素材は手間掛かるもの、高価。
しかし、旨く使って“MADE IN JAPAN"。
 日本のファッション産業のインフラを旨く使いこなし、
自分の経験をブリ-コラージュし、世界観を出している。
パターンメイキングがもっと、旨くなれば、
もっと、彼の夢は広がるであろう。
今シーズンの特徴は
彼の様な、”小さなバジェット、大きな夢”のコレクション。
そのためにはどれだけ”頭”を使ったコレクションが
組み立てられ、出来るか?
頭の良さが必要になって来る。
そこに、どれだけのセンスの良さがバランス感として
現われているかに尽きる。
 展示会も自分たちだけでやる。
シンプル,質素倹約だが何か、新しい空気感を生む環境を作っている。
ここに、ユダヤ民族の人たちの凄さと能力と努力の違いを感じてしまう。

 なぜ、このJulianのようなタイプの若い日本人デザイナーが居ないのか?
それは彼は外国人。
いらぬ、馬鹿げた日本のファッションコンプレックスなる人脈世界ヘ
入らないからである。
 センスなく、頭を使わないで、
金ばかり使おうとするデザイナー気取り、
海外で学んだと言って海外では働けず、仕方なしに
帰国する連中からは何も生まれない、出て来ないのが
今の日本の問題点である。
自信、勇気がない、金が無いものは
”学校”と称した安直,自己満で便利な
”他人の褌”を共有しようと
ずる賢い弱者集団を構造を作り、それに誤魔化され
便利に使われる未熟な、世間知らずな連中と”ファッションごっこ”。
これを凄いと持ち上げる日本のファッションコンプレックスに
まみれてしまった”ファッション婦人会”。
その廻りに纏い付いている”下こゝろ”だけの輩たち。
君たちは、責任を感じないでいいのか?
 どうするんだ!これからの日本のファッションは?

 ”根幹なき理屈のプロパガンダ”だけでは
JULIAN DAVIDの様な行動力とその夢する世界は決して、出来ない。

文責/平川武治:
平成二十三年十月六日、サン-クルー市にて:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?