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"TheLEPLI"ARCHIVES-40 / COMME des GARCONSとD. ARBUSそして、L. MODELの’40年代, +クレア・マカーデル-その3/ 2011春夏パリコレクションから。

初稿/2010年10月16日記:

 憶い出すと、’90年代の初めに
’30年代のM.ヴィオネ、’40年代のクレア・マカーデル
そして、’80年代の川久保玲、彼女たちの3人展がN.Y.でありましたね。
彼女たちのジェンダーレスとしての生き方と仕事への情熱が根幹でしょうか?与えられた生への自心の激しさと強さその為の自我の質の高さを見せる展覧会でした。

 M.ヴィオネとC.シャネルとの違いもこの自我の質の高さの違いでしょう。
現在では、この違いは川久保玲とJ.サンダーにも言えますね。

 C.シャネルにしても、J.サンダーにしても”育ちのボキャブリィー”に
或る種の卑しさを感じます。
 一方で、ヴィオネにも、マッカ-デルにも、それぞれ彼女たちが生み出したオリジナルな祖型の痕跡がー布地を服の祖型とした時のバイヤスの発見が
読み取ることが出来ますが、川久保玲にはそれが見当たり難いです。
 その分、自由奔放と言えるのでしょう、”表層のボキャブラリィー”になった時に訴える”異端さと異形さ”は2人以上の強さと激しさがあります。

 でも、女性が着れる服としての”モノ”を創り出す基盤、その祖型そのものが見つけ難い。とても、或る意味で日本的な発想による創造のプロセスだと感じてしまいます。

 現代に於ける”ケイタイ”を例にとって考えると、日本のケイタイの機能は沢山あり便宜性で長けて、使い易くも複雑である。でも、肝心の、ケイタイの心臓部の発明特許は今ではサムソン社が殆ど押さえているというケースに似ていると想う。

 川久保玲の凄さとは”表層のボキャブラリィー”において自心のエネルギィーとその純粋さと創造性の上質さ。そして、それらを継続出来るビジネス
構造と勿論、本人の”自分へのがんばり”と社員還元には何をすれば良いかを熟知した努力がこのデザイナーを支えて居るのでしょう。

 川久保玲が生み出す世界は結果、それそのものがこの巴里のクチュールをモードのスタンダードとしたステージ上では変わらぬ”異端と異系”である。この価値とその存在が認められた、残念であるが今後、独りも出て来ない
日本人デザイナーであろう。

 この様な時代と状況になると、川久保玲は巴里へ進出し、結果、名声と
地位と財産を作り上げたが、その巴里から彼女は何を学んだのだろうか?
を質問してみたい。

彼女の回答が、
それが唯一、今後のモードを学ぶ若い人たちへの核心性と必要性であろう。文責/平川武治:Ile de Farnceにて。
初稿/2010年10月16日記:

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