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書き下ろし/『3年半ぶりの僕のパリ。』 その弍-新しいパラダイムとその風景。

文責/平川武治:
初稿/2023年07月20日:
写真/展覧会”1997”より。パリガリエラモード美術館:

◯3年半前と変わった”ファッションパラダイム”いろいろ。/
 1)コレクション会場の人混みが、”有色人種”が主流になってしまった。/
 
ショー後のバックステージへ駆けつける連中も、”有色人種”が主流。
この”有色人種”とは、イミグレーターの黒人たちとマグレブ。
そして、黄色人種である、中国人と韓国人とそれに日本人たち。

 この状況現実はそのまま、「顧客実情」でしかない。
実ビジネスで儲けを稼ぐのは、”黄色人種”から。
その彼らたちへのイメージングは、”黒人”ファッション ディレクターたち。

 このわかりやすい構造がやはり、モードそのものを
本来あるべきはずだった、”驚きと輝きそして、喜び”を消滅し、
”ベタ”にしてしまった。
この張本人が、"L.V."とこれに煽られ、引き摺り込まれてしまった、
”ファッションDJ”ブランド。
ここでも、「お金しか、お金を産まない。」と言う世界。

 言っておくが、彼らたちは”ファッションを学んだ輩”ではない。
彼らたちの実ビジネスの”黄色人種”では、韓国が今1番の上得意。
次が中国そして、日本。
彼らたちを繋ぐのは”K POP"そして、”サブカル ジャポネズム”。
彼らたちをラップで煽るのが”黒人ファッションDJ"。と言うパラダイム。

 渦中のブランド”L.V.”も、
もう白人たちはほとんど買わなくなってしまったブランドに。
だから、”K ~POP"と”草間彌生”、分かり易いね❗️

 1903年のユダヤ民族の「プロトコール シオンの議定書」然り、
「贅沢のすすめ、考えさせず、金を使わせる強い欲望を増大させよ。」
 と言う項目がある。
 参考/「シオン賢者の議定」:
https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/protocols-of-the-elders-of-zion
 120年前に書かれたこの「シオンの議定書」がシナリオとなって
構築され事実、標的になっている”黄色人種”+”黒人”+”マグレブ”。
現代日本社会では既に、アクチュアリティそのもの。
彼らが言うところの”ゴイム”とは、”黄色人種”。

 「ラグジュアリー知らずの、ラグジュアリーかぶれ。」
が彼らたちのターゲットであり、ミッションと言う世界に
このモードの世界もなってしまったようだ。

2)パリのファッション有名校であった、”スチュディオ ベルソー”が
ついに廃校。/
 
有名ディレクターだった、マリー ルッキが引退して、
その娘のアン ルッキが後を継いで頑張っていたのだが、
ついに、力尽きてしまった。

 ’70年にこの街に新しいファッションパラダイムとして、
「プレタポルテ」の世界が誕生し、
このパラダイムの世界での新たなデザイナーが登場し始めてから
この学校もその存在が必需となり
’80年代からの30年間ほどはパリ発の多くの素晴らしいデザイナーたちを
輩出してきた私学校である。
 僕が、K.ラガーフェールドに初めてあったのもこの学校の卒展であった。
懐かしい思い出の一つだ。

 今回のパリで入手した情報の面白いものの一つに、
山本耀司の末っ子が今年からこのベルソーへ入学させられた事を
知ったのだが、残念でしたね。
 お父さんは彼のお母さんが長年のパターンナーだった故、
最後の願いとして、この子に後を継がそうと考えているのだろうか?

3)アントワープ王立芸術大学の最初の日本人留学生/
 
50年以上もこの街に住んでいらっしゃるよしだけいこさんに会う。
彼女は24歳の時に大阪からこの地のアカデミーの彫刻科へ留学。
現在、82歳でまだまだ、お元気。
素晴らしい手をなさっていらしたのが印象にのこる、
大きく指先まで伸びる手。

 ご自宅へご招待くださって、いろいろお話をお伺いした。
未だ、独身でアントワープで作品を作っていらしゃる
気骨と気概が感じる日本人だ。
来年には、この地のロータリークラブが展覧会をしてくれると
嬉しそうに、恥じらいと共にお話しなさってくださるお姿が印象深く。
 僕はただ、お話を伺っているだけの存在でしかなかったが、
お会いでき、畏敬の念とともに心がなごやんだひととき。

4)この街、アントワープのファッション人間たちはいまも、/
 
”ジャパン コミニティ”との関係性でビジネスを継続している連中が健在。 例えば、”Jan Jan+Pietro”が継続している”Atelier Solarshop"などもそうだ

 日本へ年に幾度か来て、”ジャパン コミニティ”たちと生地産地をめぐり、安い原反在庫から使える素材を選んでそれを使って、
アントワープで小ロット、リミテッドバージョンでデザイン& 制作して
自分たちのショップと”ジャパン コミニティ”たちの
ショップとバイヤーたちへ売る。
彼らたちのショップにはこのデザイナーのオリジンである
アフリカ系のオブジェや素材で作った小物も揃えて、
店のコンセプト&雰囲気とバリエーションを出している。
なかなか、うまい。
自分たちの世界でのファッションバラダイムを構築して
しっかり、ビジネスを継続している。
 彼らたちは、中国へも、韓国へも手を出さずに、
日本を軸にして”根”を張っているところが継続の根幹であろう。

 このパラダイムはもう一方では、
L.V.系の黒人ファッションDJたちが、彼らたちのコレクション後、
東京へ現れて、彼らなりの”ジャパン コミニティ”たちを訪れて、
”お勉強&ネタ探し”を行なって帰り、自分たちのアトリエ機能を使って、
自分たちなりの雰囲気と匂いつけをzappingし、勿論”マーク”を付けて
あとはイメージングのために”包装紙”を頑張ってSNSを使って、
ばら撒くと言う彼ら流の”パクリ”のパラダイムを
”ジャパン コミニティ”たちと構築しているのも、もう一つの現在である。

 ここでは、”ウラ原系”+古着屋+CdG+ ネメス+プレスオフィスが
この”ジャパン コミニティ”の主メンバーだろう。 
 この”ジャパン コミニティ”の根幹パラダイムを
自分たち社内で構築、内付けしたのが、今の”KENZO"でしかない。

 ”KIKO KOSTADINOV”も
この”ジャパン コミニティ”とのパラダイムを利用して
”売り”に走ってしまった”遅れてきたファッションDJ"に
成り下がってしまったようだ。

5)「なぜ、マルタン マルジェラがすごいのか?」/
 
ここに来て、僕のこの回答は
「彼は、その時代に新たな”ファッションパラダイム”を創造したこと、
そのものが凄い”のである。」が結論である。

 この根幹は、今巴里のガリエラ モード美術館で行われている展覧会、
「1997」展にある。 
彼があの14年間でクリエーションしたこととは、
今までのファッションクリエーションに無かった
あるいは、”学生のアイディア”止まりを
自信を持って自分たちの”創造のパラダイム”に変換したことでしかない。

 その結果が、現在の”イタリアン マルジェラ”になっても
その”凄さ”がビジネスに生かされているのがこの何よりもの証明である。

 ある時期から、”川久保玲”が今までの彼女が構築してきた、
「それなりの自己を持った女性が着たくなる服」をオリジナル素材を使って彼女の「創造のためのパラダイム」を創造した時期があった。
 その後、彼女は自分たちの企業の売れ線ブランドで
そのパラダイムを使いまわしているだけが現在であり、
「原反在庫過多」の恐怖を味わったことから、
「ユダヤの森へ彷徨い」始めたことによって、
彼女も”新たなパラダイム”を創造しようと、
新たなペイジを開き始めたが、
そのペイジの根幹は彼女が理解している以上に”新しくは無かった”ために、幾通りかの”プロット&エレメント”を発表したのちは
そのバリエーションが
”素材と色とプリントとジャガード”によって変化をつけている不連続が
残念であるが、そのコレクションになってしまっている。

「新しいパラダイムとその風景-1」終。

文責/平川武治。
初稿/2023年07月20日。







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