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"The LEPLI" ARCHIVE 100-4/ 『「倫理」のことをとやかく言うのは時代遅れだろうか? ”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を。-4”』

文責/平川武治:
初稿/2013年7月15日:
イラスト/村上豊「はだかの王さま」より。

『今道友信著『エコエティカ―生圏倫理学入門』を読んで、』/
 『自然が環境であった人間に於ける環境と、
技術が環境となった場合の人間の環境とは相違しているのではないか?
なぜかと言うと、環境は関係を変容するからです。』

 『これは結局、従来の倫理学は
対面倫理学―顔と顔とを面し合っている倫理学―であったが
その対面倫理の限界が明らかになって、
倫理は遠隔操作の及ぶ非知覚的距離に於ける行為と関わりを持つように
なって来たと言う事です。
 技術、生産はそれを媒介として不特定と多数の人々との見えざる関係を
結ばしめる。』
 参考/『エコエティカ―生圏倫学入門』:今道友信著/
講談社学術文庫刊より;
http://www.shiozaki-bldg.co.jp/scrolling.html
 
 「巴里で思った事を少々。」/
 今の巴里は既に、バカンスシーズン。
それは、この街の住民たちが入れ替わるシーズン。
近郊のEU諸国の家族連れがパリを訪れ、
パリの人たちは地中海周辺や北アフリカへと。
それに、未だに増える中国人が目立つ巴里。 

◉「ジプシーの子供たち、から学ぶ、」/
 この街を訪れる外国人観光客が増えるシーズンになると
働きがいが出て来る商売にメトロのスリが居る。
メトロでのジプシーの子供たちによるかっぱらいやスリ行為である。
彼らたちは4〜6人ほどが集団になってメトロの車両から車両へ、
或いは、改札出口付近で仕事を行っている。
必ず、子供たちであるという条件がある。
これは捕まっても少年法ですぐに釈放。
それに、彼らたちは巴里市郊外に集団で居住しているイミグレーであり、
パスポートがない集団である。

 巴里で仕事を行って、郊外の所轄署でお叱りをうけるという
ほとんど、ルーティーン構造が出来上がっていている。
だから当事者たちも然程、犯罪意識が無い。
ジプシーの子供たちの通過儀礼的行為である。
 結局、観光客が狙われて、観光客がとら取られ損という繰り返しである。最近では形式上、日本語のアナウンスもメトロの各駅に入るようになった。
 
 今回発見した面白さは、
そんな彼らたちジプシーの若者たちのいでたちである。
もう、そんな彼らたちでさえ”ファッション”しているのである。
嘗ての彼らたちは未だ、彼らたちの”フォークロアファッション”であった。
従って、見ると、彼らたちはジプシーだ!という事が雰囲気も含めて
すぐ解った集団であった。

 ところが、今回は彼らたちに会うと、
もうすでに”ファッションカジュアル”を着ているのだ。
だから、彼らたちはどこから見ても周りから浮いて見える事が無くなった。
 彼らたちも“集団の夢”のフレームの中で
それらしい生活が出来る迄の時代性になったのだ。
このリアリティは僕なんかは
もう、金鍍金なキャットウオークを見るよりも痛快。

◉「ファストファッションという名の衣料品の豊かさ?」/
 そのファッションの現実の面白さとして、
改めて、ファッションの機能と役割を愉しく、面白く、
この街の新たな”リアリティ”として現実に見せてもらった。

 これは”豊さ”が日常生活への新たな可能性を生むという現実?
そして、”ファストファッション”の発展化?の現実だろう。
きっと、彼らたちはファッションの凄さを、面白さを、愉しさを
彼らなりに、このレベルで実感している事であろう。
 そして、こんな格好をすればより、仕事が巧くゆく
という事が解ったのだろう。

 これに似た事がこの街のリアリティにもう一つある。
ベルビル界隈やサンドニ界隈に“中国人売春婦”が
目立つほどに仕事に勤しむ姿を多く見かける様になったのも最近である。

 彼女たちも、その着ているファッションが変化し始めている。
歳に関係なく、いわゆる、“ファッションセンス”がいい娼婦たちは
忙しそうに働いている。
ここにも、”ファッションの本質と王道”が、
現在のパリの”路上”においても進化、継続されている。

◉「ある、テンプレート、」/
 モードのキャピタル巴里も20世紀末期までは日本人が賑わった。
だが、今ではすっかり、本土から進出して来る中国人たちと
入れ替わってしまったようだ。

 ’85年来からこの街でのモードコレクションを見る為に訪れ、
棲み始めた僕にはその後、この街のモードの人々の多くが
ユダヤ民族の人たちであり、
彼らがどのように自分たちのビジネスチャンスを
世界レベルへ拡大発展させてゆくかの、
その時間と行為の繰り返しに
ある種の”テンプレート”が幾つか読める様になった。

 その一つを紹介しよう。
この80年代半ばという時期はパリのモードの世界が
”新境地”をディスカバーリングし、大いなる富を求め始めた時代だった。
クリエーションとビジネスがバランスよく社会に
ある種の”豊かさ”を寄与していた時代でもあった。
 結果、余計に現実としてその事実の中で
僕もこのパリのファッションの世界でいろいろな体験と
彼らユダヤ民族の人たちと良き関係性を築くことが出来た時代であった。

 自分たちのビジネス発展への更なる可能性を貪欲に、
多くの商才と才気豊かなユダヤ民族のファッションピープルたちが
日本の消費社会を目的地とし、”日本上陸”を求め、目指した時代で在った。
 
 そんな彼らたちの直接の、“OPEN DOOR"の把手となったのが
パリに憧れ、倹約生活を強いられた在住の留学生や日本人女性たちの
多くは、格好のターゲットだった。

 折からの時代の風は、”キャリアを積み、自立出来る女”の登場であった。
多くの日本人女性は、自国のバブル経済の波に乗り、
そして、持ち得てしまった多くは、異性問題や仕事関係のノイズから
自分を守る為或いは、”キャリア”を作り持つために
所謂、新たな人生へのチャレンジを、
その為には不要な過去を消去し、”リセット”する為に
この街に憧れてやって来て、語学学校で3ヶ月から1年ほどの語学を学び
少し、日常会話が出来ると次は、異性友達が出来る。
 当然だが、彼女たちはこの街のファッションに憧れ、
学んだ中途半端なフランス語を携えてショー会場の周辺をうろうろした。
それが彼女たちには最高に、カッコ良いと思えた時代性でもあった。

 この様な巴里の日本人女性たちは
ファッションユダヤ人たちの格好のターゲットとなり
’90年代以降の多くの新人デザイナーたちのブランドビジネスの発展に、
大いなる日本人の“パワー”?を発揮し、振りかざし貢献した。

 ”モードのキャピタル、パリ”で現存し、継続している
90%以上のデザイナーブランドのビジネスは、
いかに早い時期に、”日本上陸”を果たすかが課題であり、
この現実によって、その後の”ブランド発展と継続”が成就し、
その全てが現在までに至っている。
 現存しているデザイナーブランドのその大半が、
「まずは、ジャパンマネー!」をターゲットにしてきた。

 そして、このような時代から20年近くを経た現在、
例えば、この様な日本女性たちと現地人の離婚が増加している。
滞在許可の問題、子供の成長そして何よりも、経験等によって
異国でも生きてゆく為の可能性と強かさを備えたからだろう。

 一方、“リセット”を終え帰国した日本人女性たちも
当時のバブル経済の流れと共に、巴里留学と云う”来歴”を携えて
”外資系”企業へ再就職を果たし
新たな”キャリアある自立”した生活を強かに生きている。

◉「変貌してしまった、テンプレート、」/ 
 しかし、この数年の巴里では、
もうすっかりこの様なテンプレートは日本人に変わって、
中国人がその勢いを定位置にして主人公になってしまった。
 ファッションユダヤ人たちは
’90年代迄で構造化された日本とのビジネス構造とスキルを
まったくの手本として、
もう彼らたちの本心は“中国”に有り始めた。

 嘗ての、彼らたちの手法を中国人留学生を相手に先ずは試みる。
そして、2〜3年後には、
日本人と中国人の国民的性格とキャパシティの違いや
『倫理観』の違いとスタンダードの複雑さで戸惑い始めた
ファッション ユダヤ人たちも既に、現在では現れ始め、
21世紀型の「工場主導型」のファッションビジネスへと、
これからが新たな修整時期へと入ってくる。

 デザイナーの立場もそうである。
ここ数年来迄、日本人デザイナーたちへの好奇心ある眼差しは
嘗て、あれ程に騒いだはずだったのに、今では皆無である。
 例えば、昨秋から
若手プレタポルテデザイナーたちを十人ほど集めて
サンディカがその大半の費用と広報をし、
始めたサロン展示会「APARTMENT」にも
日本人デザイナーは参加させてもらえなかった。

 勿論、該当する日本人デザイナーがこの巴里には少ない事は事実である。
従って、このサンディカ企画の「パリ新人デザイナー共同展示会」は
概ね、ユダヤ人と中国人で構成されていた。
 また、今年のあの”パリ・コレ新人登竜門”である
”イエールコンテスト”でも中国人新人デザイナーの大歓迎会であった。
 
 ファッションユダヤ人たちの根幹は、
”中国”とは、「表玄関からブランドビジネスを行い、
その裏では、”素材と工場”のためそして、”低賃金”の労働者確保のため、
この中国を自分たちの手中に収める。」
という彼らたち得意な”手法”のためである。

 もう一つ、彼らたちの思いは、
「中国デザイン、中国生産そして、ワールドワイドな
ビジネスが可能なデザイナー若しくは、資金力とブランド力ある
クオリティ高き企業を捜せ!!」が現実なのだ。

 これが現在のファッションユダヤ人たちと中国人たちの
ファッションビジネスを通じての経済的絡み合いの
一つの解り易い現実である。

 この“テンプレート”のキーワードは
対象国が変わっても、
“フランス語という外国語によるコミュニケーションツール”と
”外国人コンプレックス”という古いものでしかなかった。
  
 そして、“中国”の次に待ち受けている
或いは、仕掛けるファッションビジネスにおける
次なる大きいターゲットは
もう一つの”カラード”である
“AFRICAN BLACKの社会”である。

 この現実は既に、ファッションの巴里でも
僕たちの國日本は、“2等国”に成り下がってしまった
風景の一つなのだ。

「”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を。-4”」完。

文責/平川武治:
初稿/2013年7月15日:


 
 


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