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"The LEPLI" ARCHIVE 121/「カルーセルに乗ってしまった以上語らなければいけないのだろうか? ひらかわ版『川久保玲-コムデギャルソン論ーその壱。』

文責/平川武治:
初稿/2014年9月10日記:
写真/Hirakawa Miquele By Hanayo.
 
「“ 語らなければいけないのだろうか?
最近のコムデギャルソン、川久保玲のコレクションを??−1。」
――もうすぐ、次のパリコレが来るという前に、やはり語っておかなければならない事。”
僕は1985年にパリでメンズのコレクションが現在のようなスタイルで始まった時から、
このブランドのコレクションを見始める機会を持った。
この時から僕もパリの”モードのカルーセルに乗ってしまった”一人となった。
 これは誰もが書けない『川久保玲-コムデギャルソン論』であろう。

プロローグ/
 嘗て、ロランバルトは言った。
『神話はかたりの形式であり、内容の物語ではない。
神話の形式には限界があるが、内容には限界がない。
どんな内容であっても、神話的な語り口を持ってすれば、全て、神話になるのであると。
思えば、神話的な語り口というのは貧慾なのもである。』

新ブランド『ブランド-レイ-カワクボ』とは?/ 
 このような昨今の、“ファッショングローバリズム”が生み出したファッションビジネスの
レアリズムを享受した結果、此処からどれだけ”距離”を持ち、新たなブランド戦略としての
“継続可能なる”立ち居場所を築き始めようとしているのが、敢えて言ってしまうが、
『ブランド-レイ-カワクボ』である。
 ここ数年間、多分過去4シーズンにあろうかブランド、コムデギャルソンのデザイナーで
あった川久保玲はまた新たな野心と大いなる業によって自分の立ち居場所を先シーズンの
コレクションから露にし始めた。
 その彼女が行ない始めたのは、前述の”モード-コレクション”の諸根幹を悉く無視した所での
”アート”と呼ばれたいコレクションを巴里モードのランウエーで行ない始めたのだ。

 感心するばかりである。彼女のたいした精神力と度胸である。
70歳を既に、超えた彼女に何がそうさせるのであろうか?
ここ迄来るともう、『女の凄さと恐ろしさ』を感じてしまう。
多分、その根幹の一つは、『生涯現役』という創始者が持ってしまう迄のがんばりであろう。
中途半端な事はしたくないという美学であろうか?
僕が彼女の全盛時代に感じていた彼女の素晴らしさの一つ、美意識としての『潔さ」は
ここには見当たらない。
 想い、感じてしまうこのコレクションからのイメージは
やはり彼女「川久保玲が歩んでいた”時間”とはこんなに重かったのだろうか?」であり、
「彼女は”美”に対して何を想い、感じ、何を求めていたのだろうか?
或いは、”服”をデザインする事を放棄したのか?」でしかない。

 最近の川久保玲が作っている世界とは、”季節感や機能性など無視。着れなくてよい。”
しかも、”売れなくて良い。”ただ、川久保玲が作り続け、残し続けられれば良い世界。
だから、コレクションピースはショーピースしか作らない。
受注を受ければそのショーピースを売ればいい。即ち”作品”を売る事である。
 今的な言い方をすれば、『私はもう、アートスベニィールは作らない』と言う
新たな勇気ある”立ち居場所”をお披露目したのだ。
 
 ショー会場でお披露目をして、今ではお友達ユダヤ人”ジャーナリストたちを
ファースト ローに座らせて『凄い!!』に、極めの解説を付けてもらえば良い。
まるで、あの『裸の王様』の世界がここでも現実化し始めたとも感じた。
 受注会ではその『凄い!』が陳列されてブランド企業のアイデンティティが
錆び無ければ良い世界。
「作られた”作品”と呼ばされている服らしきものは在庫にならずして、
シーズン中に売らなくてもいい、着てもらわなくていいものを
作り続けるエネルギィイとは?何のためののだろう?
何に固執しているのだろうか?
”ヤヨイ・クサマ”になりたいのだろうか?」

メゾンドゥ マルタン・マルジェラと比較すると面白い。/
 彼らたちはわずか、14年間ほどでもうかれこれ10年前に『もう、壱抜けた!』と
あれほど迄の創造性とイメージングで当時のCdGをも窮地へ追い込み震激させ
巴里の最先端を賑わせていたメゾンドゥ.マルタン・マルジェラと比較すると面白い。
今では本人は僅か、14年間にして全く新しい「ファッション・クリエイト・パラダイム」を
構築し結果、生涯生活出来るだけの富を手中に収め
時折、巴里のフリーマーケットで古着を売って愉しんでいる。
一方でこんなに潔く、痛快なカッコいい”ファッションヒッピー”と言う輩がいるというのに、
川久保玲は今もがんばっている。
或いは、頑張らなくてはいけない?
否、僕には、失礼だが苦しんでいるとしか言えないモノ作りを行ない始めた。

日本式「社長兼デザイナー」と言う構造でしか出来ない手法として、/ 
 当然ですが、この『レイ-カワクボ』コレクションは
それなりに”資金”が有って出来るコレクションでしかない。
 所謂、「勝ち組」でしか出来ない手法と言うことである。
企業、CdG株式会社の売り上げが使える。
それに彼女には”社員”と言う名の優秀な“手”が有る。
そして、CdGという”金看板”を利用すればこの世界では、メディアも使える。
それらを全て、使っての結果としての晩年のコレクションシーン。
これらを自分の意のままに使ってのコレクションは「凄い!」
だけど、「重い」「暗い」「辛い」そして、作品のトーンが「ネガティフ」である。
これらの言葉がショーが終わって巴里の友人たちそれぞれに感想を聞くと出て来る
共通するショーの感想コメント群である。
当然である、外国人ジャーナリストたちは彼女のビジネス婚の夫の通訳が防波堤となり、
このブランドの育ちと生い立ちとその頑張りに付いての情報には無知、無理解だからだ。
 
 人生も最終コース。彼女自身のこれ迄の生き方が、あんなに好きだった”オシャレ”が
ある男との出会いと、共有出来た”夢”とその為の”共同二人三脚作戦”その結果、
巴里の「ファッションデザイナー」という”森への旅”に出たが故に、
こんなところに迄辿り着いてしまったのだろうか?

 川久保玲がここまで来た道程には確実に、彼女自身が持っていた”差異”としての
「潔さ」や「がんばり」や「躾け」「エスプリ」そして、「軽やかさ」や「コケティッシュ」が煌めいていた時代が有ったはずだし、それを着たくなる女性たちもいたはずだったからだ。
 が、ある時期からは「人と同じ事は否」と言う迄の「特異性」に固執したようなモノ作りへ変貌し始めた。巴里での自分の立ち居場所を実感し、その世界に固執し始めてからで有ろう。
 若しくは、次なる男が違った”血の掟”を言葉にし、彼女に吹き込み、その言葉に酔い深けてしまったのだろうか?

”展示受注会”という実ビジネスの現場でわかる仕掛けとしてのビジネス手法。
 巴里での展示受注会へ伺うとその中身の思惑が読めるので面白い。
この基幹ブランド「コム・デ・ギャルソン」を「売るため」の”展示会”であることが
熟知できる極めて変わらぬ展示会である。
 しかし、このブランド“CdG”が「レイ-カワクボ」ブランドとのWブランドの
一端になってからの”CdG”はより、このブランドらしさをたっぷり沁み込ませた、
”トレンド”をフレームとした「粗利が取れるデザイン」によって、
コムデギャルソンブランドになっている。
展示会では、バイヤーが売りたくなるものをデザインしてこの会場だけでビジネスを
取り仕切っている、ショーには殆ど出ない「売り物」を売るための尋常な展示会であり、
バイヤーたちをビジネス的に喜ばせるものでしかない。
 会場中央に、ショーサンプルをこれ見よがしに並べて、ジャーナリストたちに
このショーサンプルがどれだけ、"すごい!"事なのかを語るのがプレスのお仕事。
 「アートを散らつかせ、トレンドを売る。」
実は、ビジネスとしては”オールドスクール”手法なのだが。

 ショーを見るだけでお仕事をする有名ジャーナリストと言われている輩たちは、
実際、ブランド“CdG”はどのようなものをデザインして、いくらで売っているのか知らない、
そして、自分ではほとんど買わない人たちはショーピースとしての、
誌面ウケする「レイ-カワクボ」ブランドのショーだけの事を書く。
多くの彼らたち日本のファッションジャーナリストたちは
このメゾンのプレス担当にショーのことを説明されて、
幾つかの、いつもこのプレスで語られる言葉で煙に巻かれて、次のショーへ駆け込む。
 ここにも『表と裏』の世界が構築されている。

実は、もう一人の”ボス”の存在があっての故の実構造。/
 このような実際のビジネスの為の“CdG”が素晴らしいブランドとして存続出来るのは
この企業の生産面の充実した経験からで有り、このブランドをここまで支えてきた、
このブランドの生産企画と工場さんの長年の関係性の積み重ねた
もう一人の”ボス”の存在である。
その人はこのメゾンのもう一人のトップ、生産企画の長、”田中蕾”さんの
キャリアと実力と存在でしかない。
 この業界では「工場さんとの付き合い」から生まれる実際の業務が
実ビジネスでは一番、重要であり実売を左右する。
例えば、このブランドが不名誉としている、”納期遅れ”をさせない事を自分の果たすべき
一つの役割として、”生産企画”をこのブランドの成長と発展ための生産ディレクターという
役割を担っている揺るぎないのが彼女、田中の存在と実力である。

 彼女は事実、川久保玲と二人三脚で当時の「S.リキエル」の”コピーブランド”から出発したブランド創業後、間もなく参加した”もう一人のボス”である。
この”コムデギャルソン株式会社”の「発展と成長」においては、川久保玲の「陽」と
田中蕾の「陰」のバランスは絶妙なコンビネーションを見せて現在がある。
 特に、”オリジナル素材”中心にした、「売れる、着れるコムデ」時代の彼女の役割は
大いに特筆すべき仕事と役割である。
 メディアの部分では常に、”影”を自認されて決して、「陽」の領域を侵さない
責任意識高くプライドを持って現在まで、仕事をなさってこられたのが
このブランドにおける「もう一人のボス」構造である。

 それに、このブランドの生産背景はその90%以上が“made in Japan”という強みが
ここに来てより、この企業の“モノ作り”の根幹をしっかりと築き継続している凄さである。

オリジナル素材の“原反在庫過多”に陥った結果、/
 ある時期から、”オリジナル素材”を使わなくなった。
この企業も“原反在庫過多”と言う非常事態に陥った時期が有った。
ここで登場したのが今のビジネスカップルの相手である、次なる男の登場であった。
以後、彼のアイディアによって原反在庫と商品在庫を減らすべき手法として、
“ゲリラショップ”が登場し、”CdG.HP”も作風が変った。
 以後、原反在庫量が落ち着き始めるとそれ以後、ブランドCdGは
「粗利の稼げるデザイン」の為、合繊化繊素材を中心にしたデザインへと変貌し、
その多くが”プラスティック系”の生分解されない合繊繊維が使われる。
 ここ迄来るともう、この企業『コムデギャルソン』は真の世界レベルのラグジュアリー
ブランドメーカーとなった。

 結果、昨年、11月のファッションサイト”BOF”でエイドリアン氏が語った
“CdG International"の総年商は220億円と発表される迄に至った。
http://www.businessoffashion.com/2013/09/adrian-joffe-rei-kawakubo-tending-the-garden-of-comme-des-garcons.html

文責/平川武治。
初稿/2014年9月10日記。

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