C-KDI-9/桑沢合同講義デジュメ715年版-4; 「巴里モードを25年見続けて来て! 新たなファッション-パラダイムを探そう。」
文責/平川武治;
初稿/2015年5月記;
写真/展覧会「1997年 Big Bang展:M.M.M.エスキースデッサン/巴里ガリエラ」 By Taque.
*ファッションとは消費産業であり実業である。;
結論的視点は、「今後」も「これからも」モードのキャピタルとしての
この街、”巴里”は彼らたちが築き上げて来たスタンダードとそのためのボキャブラリィーがあり、“ルール”があり、それらを継続される為には余計なモノはいらないのである。その背景には、この巴里のモードの世界とはユダヤ人たちによって構造化された「利権」ビジネスであり、完全に利権者が儲かるように構築されている世界でしかないからだ。
ここでの“根幹視点“は、「ファッションデザインは芸術ではない。ファッションとは消費産業であり実業である。」
従って、そのすべての行為が、“ブランドビジネス戦略”の一端であり、“イメージ”の創造が必需であり、その為のコレクションであり、ファッションショーであり、メディア戦略でしかない。すべて、“ビジネスを第1義“として構造化されたユダヤ民族の人達が仕切って来た“イメージビジネスのい世界“でしかない。
*死守したい世界統一性;
当然だが、『モードのキャピトル、巴里』はいつも新しいものが好きである。
この気質と気骨がこの街を世界の”文化のキャピタル”に築き上げて来た最たる由縁の一つであろう。そして、この背景には”精神の自由”が存在しているからである。この自由さは異質な
文化に物怖じせづ、自分たちが持ち得た教養と好奇心と喰ってしまえる勇気さえ在れば
いつでもその時代時代に現われた”異質と異端”を喰って自分自らの滋養と肥やしにもして来た強かさが此の国の文化の豊かさを醸造し、「文化は武器」を熟知して来たのだろう。
*「文化は武器」;
ここには’30年代迄、世界のリーダーであった、ヨオロッパ諸国が持っている
『文化は武器』であるという常識がビジネスコンテンツとしても歴然と存続している。
(余談であるが、アメリカはこれに嫉妬をして、『文化を買い集めて来た』。
そして、僕たちの國は『文化を持て遊んで来た』のがこの戦後の半世紀であった。)
彼らたちの精神の自由さが常に革新性を愛し『異端と異系』を理解する心の広さと深さである。この彼らたちの優越感から”東洋のCdG”が前世紀には認められた。しかし、その裏側には彼らたちが歴史を通じて持ち得た文化価値/美意識を武器にする経済構造の大いなる,
時には傲慢な迄の”自信”が存在する。
この彼らたちの自信とは、この街の歴史と美しさであり、真の贅沢でありそこに集まる
階級ある裕福な男たちと美女であり、彼女や彼らたちが身につけて競い合うオージーな世界、宝石であり、モードであり、シャンパンやワインであり、教養という文化である。
そして、それらを“武器”とする”奢侈価値”という名のスタンダードである。
この根幹は、彼らたちの全盛期が王室貴族たちの”貴族階級社会”であったことである。
*美的生活に於ける美意識の自由さ;
そこでは『創造性、品質、文化性、革新性、伝統』が先の”コルベールシンジケート”の
本質である事。又、これらを自分たちの語りうるべき共通のボキャブラリィーとしておけば、現在のような低価格という異端が登場して来ても最終的には問題にならないと言う迄の
”自信”である。
従って、巴里のモードのスタンダードの根源は『創造性、品質、文化性、革新性、伝統』である。これらのスタンダードを独自のリズムによって継続させてゆく事が又、自分たちの
レベルと質でモードにおけるビジネスのプライオリティが取れる事も既に、彼らたちのこの
奢侈産業のビジネスディレクションには必需である事を熟知している。
この世界が現在にまで引き継がれているのが「ラグジュアリーファッション」の世界である。
*1本のゆったりとした大樹観;
ここには自分たちのブランドという一本の”樹”大木になり老い枯れずに、生い茂ること。
その為の肥やしと情熱とケアーと資金そして、時代の技術が大切である事も知っている。
或る意味で、彼らたちのブランド-マーク産業は、”ジャルダンデモード/モードの園”に於ける「庭師」が大切な仕事なのである。豊かな敷地を持ち、ビジネスマインドを持った資本家の
元で働く、今ではこの「庭師」の役割が ”ファッションディレクター”という名で表玄関まで
出て来てしまった時代性でもあろう。
しかし、所詮、地主に雇われた「庭師」である事には代わりが無い。
*時代性の歪み観;
ここで2つ程の事柄が既に、今世紀には時代錯誤を生んでいる。
一つは「文化は武器」という”文化”そのものがブレ始め、時代に追いつけなくなり始めていること。即ち、ヨオロッパに於ける文化とは旧世紀までのものであり、澱み始めている事。
新たな21世紀の”文化”とはより、リアリティある路上からの流れとハイパー文化と称される新たな文化の領域であるがもう、既にこれらには立ち後れている事実と現状がある巴里。
例えば、21世紀になってのリアル文化とは、’90年代後半に於ける日本発のケイタイ、MANGA、T.V-GAME、デジ-カメ、iPHONをはじめとするハイテク機器による路上から誕生したハイパー文化。それに、東京という”コンシューミングデカダンス”な都市に於ける高度な
消費文化が静かにヨオロッパの日常性に広がりつつある現実である。
/参照:「日本によるひそかな「植民地化」-日常の中の東洋的記号」(Marc Bosche著/ ル-モンド ディプロ ジャポン)
<http://www.diplo.jp/articles96/japon00.html>
*新たな価値観とスタンダードを;
その現実の一つに、パリの美術館の一つ、”Pales de TOKIO”は変わらづ,日本のストリートカルチュアーを紹介し続けている最も新しい芸術の前衛を担っている美術館であり、
当然であるが巴里の若者たちには人気あるリアルな美術館になっている。
HIP-HOPとGRAFFITI,SKATERSたちが毎日のようにここに集まって、それぞれが思い思いのプレーを愉しみに来る世界。これはこの街の次世代たちのリアルで、新たな情報発信地で
あり、もう一方では次なるアーティストたちを誕生させる金鉱でもある。
そして、セーヌを挟んで対岸には数年前に新設した「ケラ ブランディ美術館」がある。
この最新美術館は嘗ての植民地であった西アフリカ諸国からの強奪品を中心に、時代を経て
美術品化されたものを収集、展示している所謂、”植民地美術館”である。かなり意識的なで、面白いポリティカルな対比がこの界隈には構造化されている。
そう、ここは昔もそうであったように、110年前には流れるセーヌのその向こうには
エッフェルタワーがそびえた万国博のシンボルン地域であり、革新的な界隈であったはずだ
現在、彼らたちはここに新たな文化価値を孵化しようと試みているのが、この巴里の
「文化の新陳代謝」である。
*時のNEW TECHNOLOGYとは;
もう一つは、モードに於ける「庭師」も時の技術が必要である。
これが無いと新たなモードのイノベーションのための手入れが出来難い。
この”時の技術”とはその時代時代に於ける”ヒューマンテクノロジー”と”サイエンス
テクノロジー”のバランス化を計る事でしかない。
しかし、この“時の技術”であるテクノロジーのバランス化を素材にのみ委ねている現状は
今後のモードの世界に新たな革新的な自由さは求め難い。
この”2つの歪み”が現在のモードのキャピタル、巴里に大きく閉塞感を作っている原因で
ある。
*もう一つ、時代が変わっても、;
いくら、時代が進化発展すれど、変わらぬものは”人間の身体構造”である。
“身体つき”や”体型”は無数に変化をするが私たちの身体構造としての”身体ディテール”は
不変である。これに人間の手作業による美と、文化を主価値として着せること。
ここにモード産業の出発と基軸があった。
’70年代に入って彼らたちが生んだ”プレタポルテ”以降では、
「着る”人間”がいる。そして、変わらぬ”身体”。そこに変わる”流行”価値としてのトレンド。」
この”三位一体”が、モードにおけるビジネスコンテンツであった。
*時代の進化とは退化?;
ファッションに関する世界での、時代が進化するという事は、
「着る人間の生きる事の価値から”生活価値の変化と多様化”。
体型は変化するが、変わらぬ身体構造。基本的な社会構造の普遍化と生活の豊かさによる
”時間のスロー化”。」という時代の豊かさによって新たに迎えた環境-社会変化に依って、
以前よりも革新的なる創造性豊かな商品としての服が生まれ難くなる。
その為に、モードが儲かる仕組みとしての”流行-トレンド”と言うビジネスコンテンツの
価値が低下し始め順調に,以前よりもスピードある回転がたいへん、難しくなり始めたのが
この20世紀のエピローグであっただろう。
*巴里のモードの閉塞感;
”死守したい世界統一性”を継続して行かなければならない「モードのキャピタル、巴里」のジレンマ。これが今の巴里の”モードの閉塞感”の大いなる要因である。
現実には、自分たちの築いた階級社会の伝統と文化を武器にして古い顧客から新たな顧客,
イミグレーターたちへ、異国人たちへ一巡する為に構想した「グローバリズム」とは
実は「ネオ-グローバリズム/新-植民地主義」でしかない。
このグローバリズムの下にモードの世界もグローバル化した。
「“Made in Paris" や"Made in France"でもなくていい、より安くて、”ブランドマーク”と
”巴里の香り”がちょっと香っているようであればいい、”スローになったトレンド”でいい。」
この現実から生まれた「ファッション・クローン」の世界に負けられない。
このジレンマから生まれたのが、「プレタポルテのセコンドライン」ビジネスである。
「モードの館が3階建てに新築された。」ークチュールとプレタポルテとそのセコンドライン。
*今後の「モードの顧客」は?;
これ迄の「モードのキャピタル-巴里」の顧客は今何処に居るのだろうか?
これからの顧客とは誰なのだろうか?何処の國の人たちであるのか?
もう、今迄のように総ての顧客に対応出来るだけの魅力と個性あるキャパシティと経済的なエネルギィーが無くなり始めた巴里。
そして、何よりも彼らたち当事者が迷い始めた自分たちの顧客が誰なのか?
「オートクチュールとプレタポルテそして、プレタポルテのセカンドレーベル。」の顧客は
それぞれ彼らたちのメゾン/館が”1階建てから2階建てそして、3階建て”に見栄えよく改築出来るか?その為の資金と革新的な技術は何処にあるのか?自分たちが持っているのか?
もし、改築出来ても,浮気っぽい顧客が上手く得意客になってくれるか?
そのための「イメージング戦略」とは?それを誰にディレクションを委ねるのか?
*今こそ攻めるチャンス到来;
この様な状況が現実の「モードのキャピタル、巴里」を新たな文化価値と、美意識を持って攻め込むには今が一つのチャンス。
この機を逃すとユダヤ民族の人たちが考え生み出したファッション・パラダイムと彼らたちのビジネス-ボキャブラリィーによってこの世界がかわらず、継続されてゆくしか無い。
そのための彼らの戦略の一つは、「新たな文化価値の構築と文化価値の多様化の確認。」
その対象は「イミグレーターたちと中国を始めとする”イエローな新-消費者層の誕生”」を
新たなターゲットとし始める。戦後,初めての”豊かさのゆらぎ”が「地球を大切にしなければと考え始め、もう一つの”社会環境”が望まれ求め始める。」そして、嘗ての20世紀のスタンダードが共有出来ない、「ハイパー文化のバーチャルな現実化。」
これら4項目が今、彼らたちのパラダイムを攻め込める視点であり、
そして、攻め込むなら今だと言う最大の理由である。
まとめ、;「趣旨とコンセプト&コンテンツなどを考える。」;
*提案事項/新たなテクノロジーを考えたこれからの”ファッションの世界”を創作する。
1) 新たなテクノロジーとは、「今という時代に於けるヒューマンテクノロジーと
サイエンステクノロジーの新たなバランス化をいう。」
2) 素材の新しいテクノロジーのみに頼らず縫製加工工程に於いても、新たな時代の"テクノロジーバランス"を用いて現代を表現する地球環境も考慮した新時代のファッションを考える。
3) 今後の生活者たちの”被服ギア”と考えたファッション性の高いパーツ-ウエアーを
工業デザイン化する。そのコンセプトは「The fashion Parts for a Beautiful & healthy Body」
4) 着る人たちの身体とこゝろを「CARE&CURE」する機能性迄をも考えたコンセプトで
新時代の”ユニフォーム”としての日常着をデザインする。
5) 新たな時代のファッション-コンテンツは、”見られる事と着る”安心”と”安全”そして、
着る事で、日常生活において”便利性”と”清潔感”が感じられる”心地よい””服”の提案。
6) 工業生産の可能性を感じさす新たな価値によるテクノロジーを使ったコスチューム
/ユニフォームを創造する。
7) ファッションI.D.製品として、”コピーライト”が登録出来る価値を"異素材とそれに見合った新-技術"を使ってデザインする。
8) 従来の「モードのキャピタル、巴里」と対峙する全く新しい発想とコンセプトによる、
”新たなファッション-スタンダード”を形態言語とした、”次世代型ファッション・パラダイムシフト”の作成。
9) この場合の”ソース オブ イメージ”のコンテンツは、「オペラからハリウッドとTVから
ゲーム、アキバ-ワールドへ、」と「クラッシック音楽からJAZZ,ROCKそして、HIP-HOP,RAPと環境音楽へ、」音の嗜好性による”ファッションの世界”の展開。
10) 文化価値と美意識の”多様化と差異化”としての「イエローカルチュアー/アジアン文化」をモードの世界に於いても認識させ、差別化させる。
11) その為に、この新しい価値と発想による、新たなモードのプレゼンテーションを”東京や上海”に於いて定期的にコレクションを行ない、新時代のコレクション-ビジネス構想を持って”イエローカルチュアー & ラグジュアリー”による「新たなモードのキャピタル」の発信基地を東京や上海で誕生させる。
12) そして、”イエローカルチュアー & ラグジュアリー”を新しい時代の文化価値と美意識とした「利権ビジネス」をアジアを拠点に誕生させる。
*終わりに、ある提案;
具体的案の一つとして、”ユニクロ”をスポンサー&デベロッパーの中心企業と考える。
今後のこの企業の現状の資金力、ビジネス規模とその存在価値を考えると、この”イエローカルチュアー”を中心軸とした新たな21世紀の、”次世代型ファッション・パラダイムシフト”の
世界樹立を”ユニクロ”に託するのが最適であり最短である。
又、これは今後の”ユニクロ”がやらなければならない大切な新しい価値育成であり、
今後の関係性の拡大と安定化の戦略の一つでもある。
従来のユダヤ人たちが作ったファッションスタンダードの共存と継続だけでは
今後の”ユニクロ”には限界がある。
そこで、例えば「FOUNDATION UNQLO」を設立させる。
この「FOUNDATION UNQLO」で新たなファッション産業の価値とそれを主軸にした
”次世代型ファッション・パラダイムシフト”のビジネスの世界をアジア発信で構築する。
その為に、世界中の誰でもが利用出来る”アクティブ-アコモデーション施設”を
クリエーター、インフルエンサー、デザイナーとジャーナリストたちの”世界基地”という拠点をアジアに開設する。
ここでは、教育システムを作り、技術革新を計り、新素材開発と生産環境を整備し、
新しいビジネス構造とメディア構造を開発する。
そして、ユダヤ民族たちに対峙出来る「利権ビジネス」とファッション製品の”コピーライト”登録化の世界構造を確立する。
これにより、現在のファッションの閉塞感を打破し、若い世代の人たちが今後も、
ファッションに「夢」を持ってこの世界の有用な人材になる「可能性の開拓と開発そして、
啓蒙」を発信出来る。
”ユニクロ”が今後、あらたな商品開発に於いて考えなければいけないキーワードは
先の、「安心-清潔そして、便利性」をどのように具体的なアイディアで快適な商品へ落とし込めるかであろう。
*結論としてのアジテーション;
『「西欧近代」は崩壊し始めた。
従って、20世紀のボキャブラリィーを信用するな!
僕たちは21世紀を既に、10年間も生きて来た。
そう、21世紀を語れる”ボキャブラリィー”を創造しなければならない。
新たな、”次世代型ファッション・パラダイムシフト”の構築化のために。』
文責/平川武治。
初稿/2015年5月記。